私の母の実家は京都なのですが、先日おばさまからお電話がありまして、たまには遊びにおいでとおっしゃってくださいました。そういえばしばらくお顔を拝見してませんし、そろそろ桜の季節ですし、今度の土日に都でお花見というのもいいかもしれませんねぇ。
「夕子さんもご一緒にいかがでしょう?」
「うーん、悪いけどパス。あたしああいう静かなとこって苦手なんだよね」
「そうですか…」
 風流で良いと思うんですけどねぇ。
「近所の公園ならいいんだけどさぁ…。あ、あいつでいいじゃん。おーい公くん!」
「何や?朝日奈さん」
 ああ、そういえば主人さんも京の生まれでらっしゃいました。小学校のときにこちらへ引っ越してらっしゃったとか…。
「古式さんと花見!?行く行く、行かしてもらいます!」
「まぁ、本当ですか?それは嬉しいですねぇ」
「うひゅひゅ、超大チャンスって感じだね!」
「ななな何を言うとるんや朝日奈さん!ぼぼ僕は別にそないな下心は…」
 こうして、今年のお花見は主人さんと行くこととなったのでございます。





古式SS: 桜ランチ





「ど、どうもこのたびは厚かましくもご同伴させていただくことと相成りまして…」
「まぁまぁ、うちの娘のことよろしくお願いしますね。ねぇ、あなた?」
「‥‥‥‥‥‥‥」
 お父様は朝からむすっとしてらっしゃいます。渋柿でも召し上がったのでしょうか?
「…まさかひとつ屋根の下に泊まる気じゃなかろうな」
「めめ滅相もない!兄貴のアパートに泊めてもらいますさかい、お父様は安心して…」
「貴様にお父様呼ばわりされる筋合いはないわーーー!!」
「ああっすんません!えらいすんません!!」
 主人さんはぺこぺこと頭を下げてらっしゃいます。きっとお辞儀がお好きなのですね。
 と、銀次さんが荷物を持ってやってらっしゃいました。
「おやっさん、準備滞りなく整いました」
「おう、くれぐれも2人っきりになんぞさせるんじゃねぇぞ!」
「へい!」
「まぁおよしなさいな大人げない…。主人さん、気にせず楽しんでらしてね」
「は、はいっ。はは…」
「ゆかりさん、おじさまとおばさまにきちんとご挨拶するのですよ」
「はい、お母様〜」
 なにやら引きつってらっしゃる主人さんと、主人さんをじろじろ見ている銀次さんと一緒に車に乗り込んで、私たちは手を振りながら駅へと出発したのでした。

 新幹線の途中で見た富士山、綺麗でしたねぇ。
 大きな湖なども、あったようですねぇ。
 そうそう、お昼はお母様が持たせてくださったお弁当を皆でいただいたのですが、主人さんはとてもおいしそうに食べてらっしゃいまして、私もつい…
 …あら、もう着いてしまったのですか?
「いやぁよう来はった。大きゅうなって、まあ」
「大変ご無沙汰いたしております。おじさまもお変わりなく…」
「うん、うん」
 夕方の京都駅で、長いホームにはおじさまが出迎えに来てくださってました。おじさまも以前はとある会社の社長さんだったのですが、今は引退されまして、のんびりと余生を過ごしてらっしゃいます。私も昔からよく可愛がっていただいたものです。
「おお銀次君久しぶりや。そっちの君が主人君か。ゆかりからよう話は聞いてますわ」
「ご無沙汰しとりやす」
「ど、ども、初めまして」
「ささ、こないな所でも何やから、とりあえず家に行こか」
 私たちはタクシーに乗り込みますと、いろいろととりとめない話を交えながらおじさまの自宅へと向かいました。
「ほら古式さん、八坂さんや」
「まぁ、あれがそうなのですか?」
「あ、前にチンチンバスが走ってる」
「可愛いですねぇ」
 さすがにお詳しい主人さんはいろいろと説明してくださいます。おじさまもうんうんとうなずいてらっしゃるのですが、なぜか銀次さんだけぶすっとしてらっしゃいました。

 おじさまの家は浄土寺のあたりにありまして、少し歩けば哲学の道があります。古くてこじんまりとしていますが、落ち着いた感じが私は好きですねぇ。
「あら、まあまあ…。ほんまに久しぶりやねぇ」
「おばさまもお変わりありませんで…」
「皆さんもようこそおこしやす。ささ、中に入らはって。すぐお夕食の準備ができますしね」
 いつも優しいおばさまは、今日もにこにことしてらっしゃるのでこちらも嬉しくなります。
 玄関の前には五山送り火で残った炭が包まれて魔除けがわりに下がっています。私はそろって中へ入ろうとしたのですが、主人さんがあわてて手を振りました。
「い、いえ、僕はこれから兄のとこ行きますさかいに」
「なんや、そない遠慮せんと。夕食くらい一緒にどや」
「いや、天一かどこかで済ませますんで」
「まぁ、3人来はるゆうから準備しといたんやけどねぇ…」
「主人さん…」
「せ、せやけど…」
「…はっきりせんかい!」
 それまで黙っていた銀次さんがぼそりと呟きます。とたんに主人さんの背中がぴーんとなると、冷や汗を流しながらおばさまの方に向き直りました。
「ほほほほなお言葉に甘えまして…」
「まあまあ、最初からそうゆうたらええんですよ。ささ、入って入って」
 お家の中は昔と変わらぬまま手入れも行き届いていて、壁には祇園祭の粽(ちまき)がかかっています。もちろん食べるちまきではなくて、これもお守りです。
 私たちは座布団に座ると、いろんなことを話し始めました。おばさまも話をしながらお料理の支度をしています。お父様とお母様のこと、学校のこと、夕子さんのこと…。本当に、高校に入ってからたくさんのことがありましたねぇ。
「どや、主人君から見てゆかりは」
「え、ええっ。あ、いやその、何と言いますか…」
「えへん!」
 銀次さん、風邪でも引かれたのですか?
 そうこうしているうちにおばさまの料理ができましたので、私たちも運ぶのを手伝いました。
「あらあら、ええんですよ。お客様なんやから」
「みんなが食べるならみんなが手伝えとお母様がおっしゃってまして…。ねえ、主人さん?」
「は、はいっ!古式さんの言うとおりです!」
 作りたてのちらしずし、おさしみ、だし巻き、湯葉のお味噌汁、それからこの和え物は…。
「それは赤貝のおてっぱいやねぇ」
「てっぽうあえのことや、古式さん」
「まあ、主人さんは物知りなのですね」
「い、いやそんなっ。…なはは」
 おこんにゃく、にしんこぶ。京都の方はにしんがお好きですねぇ。
「それでは、いただきます」
「はいどうぞ、若い人のお口に合うとええんやけど…」
「私はおばさまの料理が大好きですよ」
「ぼ、僕も好きですっ!」
「こっちはどうや主人君。伏見の名酒や」
「い、いえっ、そっちは…」
「あ、な、た」
「わはは、ほな銀次君一杯いこか」
「これはいたみいりやす」
 こうして楽しいお夕食は過ぎていきました。大勢で食べるのは美味しいものですねぇ。
 棚の上のおたふくのお面も笑ってらっしゃいました。


 食事も終わり、主人さんはお兄さんの所へお帰りになり、銀次さんとおじさまは将棋を指してらっしゃいます。お風呂から上がった私は、台所のおばさまのところへと行きました。
「おばさま、明日のお弁当を作ってらっしゃるのですか?」
「ええ、そうですよ。ぎょうさん作っておかないとねぇ」
「あのぅ、よろしかったら私にも教えていただけないでしょうか」
「あらあら」
 かっぽう着を着たおばさまは、目を細めて私の方をご覧になりました。台所ではことことと鍋が音を立てています。
「おばさまのお料理がとてもおいしかったので…」
「まあまあ、嬉しいことゆうてくれはって…。そやねぇ、ほないくつか手伝うてもらいましょか」
 おばさまは長方形の卵焼き器を取り出しました。
「ゆかりさんはだし巻きがお好きやったねぇ」
「はい〜、とても大好きですよ」
「ほな…」
 おばさまに言われたとおりに、卵を割って溶きほぐします。卵のうちひとつは卵黄だけです。
「そしたら、このだし汁を加えてくださいね。だいたい、卵の量の1/3くらいやねぇ」
「はぁ…ええと」
「あ!そない入れたら入れ過ぎですよ」
 結局卵をさらに足す羽目になってしまいました。それから醤油とみりんで味つけして裏こしします。
「ほな卵焼き器に油を引いて…。あ!油流し込んでどないするんですか」
「まあ、これでは揚げ物になってしまいますね」
「だし巻きは揚げ物とちゃうねぇ…ちょい貸して」
 油を引きまして、卵を流し薄く広げます。いえ、私はおばさまがやるのを見ているだけなのですが…。
 おばさまは焼けた卵をくるくると巻くと、端によけたところへふたたび卵を流し入れ、焼けるのを待ってまたくるくると巻きました。なるほど、こうして作るのですね。
「まぁ、こんな感じやね」
「おばさまはお上手ですねぇ」
 それでは私も試してみることにいたしましょう。まず卵を流し入れまして…。
「そない入れたら厚焼き卵ですよ…」
 ええと、焼けるまで待ちまして…。
「そない待ったら黒こげやて…」
 …難しいですねぇ。手早くやらないと無理のようです。どういたしましょう?
「うーん…、ゆかりさんにはこっちの方が合うてるかねぇ」
 おばさまはそう言って鍋の中のたけのこにだしを足します。おこぶと一緒にたく精進だきで、5時間くらいはたくそうです。それならぼーっと待っていられますねぇ…。
 でも、一度始めたことは最後までやりとげろと、お父様はおっしゃっていたのです。
「やはりだし巻きに挑戦したのですけれども…」
「まあまあ、もちろん私はかましまへんよ」
「でも卵も少なくなってきてしまいましたねぇ」
「なくなったらまた買うてきたらええんですよ。ささ、落ち着いて手早くや」
「はい〜」
 これができるようになればお父様やお母様、主人さんや銀次さんや夕子さんや皆様に食べてもらうことができると、その一心で私は焦げた卵を量産していったのでした。

 そして翌朝。
「あのぅ、銀次さん大丈夫ですか?」
「あっしのことならご安心なすって」
 失敗した分とはいえ食べ物を捨てるわけにもいかず途方に暮れていたところへ、銀次さんが焦げた卵をぜんぶ食べてくださったのです。銀次さんはあれが好物なのだそうでしたが、そういうものなのでしょうか?
 おじさまは急な用事が入ってしまったそうで、玄関の前で一足先にお別れを言うことになりました。
「堪忍なぁ。桜の下のゆかりを見たかったんやけど…」
「そうですねぇ。でも桜はまた来年も咲きますしねぇ」
「うんうん、来年もまたおいで」
 銀次さんとおばさまと一緒に、朝の京都をバス停に向けて歩きます。今日は澄み切ったいい天気で、振り返ると大文字の山が大きく見下ろしてらっしゃいます。
「あ、おはようさん」
「おはようございます〜」
 バス停で主人さんと合流いたしまして、私たちはバスに揺られて円山公園へと向かいました。あそこの枝垂桜はお母様も好きだと言ってらっしゃいました。
 東大路を下りながら、琵琶湖疎水のほとりにも桜が舞っています。主人さんはあれこれと解説しながらも時折ちらちらと銀次さんが持っている折り詰めに目を走らせ、おばさまにくすくすと笑われていました。
「そない心配せんでも、ちゃんと主人くんの分もありますよ」
「あ、いやそのっ!」
「そうですよ〜。私もちょっとだけ、作りましたから」
「え、古式さん何作らはったん?」
「うふふ、それは秘密です」
 さて八坂神社にお参りし、節分のときに神様がやってきて舞うという舞台(でも神様なので人の目には見えないのだそうです。素晴らしいですねぇ)を見学した後、円山公園へと入りました。
「人が多いですねぇ…」
「まあ、日曜で天気もいいしねぇ」

 それもそのはず、見えてきた枝垂桜は大変美しゅうございました。私は思わず足を止め、ぼーっと見とれてしまったのです。
「古式さん?」
「‥‥‥‥‥‥」
「おーい、古式さん」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「お…」
「少しは黙って見せたらんかい」
「は、はいっ!えらいすんません!」
 銀次さんと主人さんが何か言っていたようでしたが、私は気づきもせず、そよ風に柳のように揺れる桜の枝を見つめていました。この枝垂桜は二代目で、残念ながら見られませんでしたが夜もまた美しいのだそうです。
 少しの間見た後(主人さんのお話だとかなり経ったそうでしたが)、私たちは公園をひとまわりしました。公園内には池があり、坂本龍馬・中岡慎太郎の像が建っています。この方たちも春にはお花見をしたのでしょうか。
「このへんはどこも予約済みやな」
 公園の北側、もう1本の枝垂桜を中心にシートがあちこちに敷かれています。あそこで寝ころんでいる方は近くの大学の方でしょうか?
「ほな、そろそろ行きましょか?」
「はい〜」
 私は名残惜しく桜を振り返りながら、円山公園を後にしました。そこから南へ出て、落ち着いた東山の道を歩きます。高台寺に八坂塔、文の助茶屋に三年坂。私は珍しいものばかりで、ずっときょろきょろしていました。
「このお茶碗、可愛いですねぇ」
「ほ、ほな僕がプレゼントしますわ!」
「いらんことは結構。古式家のお嬢様が施しなど受けん」
「そんなぁー」
「あらあら…」
 結局お茶碗は銀次さんに買っていただきまして、私たちは清水坂をずずいと登っていきました。主人さんが少し落ち込んでしまったようです。
「あのぅ、八つ橋のお店がたくさんありますね」
「そ、そうですやろ!」
 私が聞いたとたん主人さんは急に元気になって解説を始めました。
「ほら、あのお店『元祖』て出てるで」
「そうですねぇ」
「せやけどあちらの店は『本家』て出とるんや」
「面白いですねぇ」
 私たちは修学旅行生に追い越されながら、坂道をゆっくりと登っていきます。
「あらあら、ほんまに仲良しさんやねぇ。ねえ、銀次はん?」
「‥‥‥‥‥‥」
 そんなこんなで清水寺の仁王門が見えて参りました。写真を取る人があちこちに見え、外国の方や舞妓さんの方などもいらっしゃいます。
「これが、清水さんなのですね」
「お嬢さん、1枚撮りやしょう」
「はい〜」
 銀次さんがカメラを構えます。私たちは3人並んで撮ってもらおうとしたのですが、銀次さんが主人さんは駄目だとおっしゃるので主人さんだけ外されてしまいました。
「悪ぃな。あんたが写ってるとおやっさんに見せられねぇんでな」
「い、いや、全然気にしてへんですよ。はは、はははは…」
 なんで主人さんが写ってるとお父様に見せられないのでしょう?不思議ですね。
 境内にも人が大勢ですが、それを覆うように桜が咲き誇っています。三重塔の下を通り、拝観料を払いまして有名な舞台へと参りました。
「わぁー…」
 清水の大きな舞台からは、眼下にピンク色の絨毯が敷き詰められているかのようです。私は欄干に手を置いたまま、その場でお地蔵様になっていました。
「綺麗ですねぇー…」
「そうやろ」
「高いですねぇー…」
「うんうん」
「飛び降りてみたくなりますねぇー…」
「ちょっとっ!?」
「はい?」
 何か変なことを申しましたでしょうか?だってここから飛び降りたら、桜の花になれるような気がしたのです。
 私はできれば1週間くらいその場に立っていたかったのですが、もうお昼の時間ですので、舞台を離れ古寺を歩いてゆきました。
「古式さん、こっちが縁結びで有名な地主神社や」
「まあ、そうなのですか?」
「よよよ良かったら縁でも結んで…」
「そうですねぇ。私にもいずれそのような方が現れるのかもしれませんしねぇ」
「(…がっくし)」
 あら、主人さんがまた気落ちされてしまいました。銀次さんも渋い顔だし、おばさまは逆に必死で笑いをこらえてらっしゃいます。さすがは清水寺、不思議なことが起こるものです。
「あのぅ、あそこで並んでいる皆様は何をしてらっしゃるのですか?」
 石段を降りたずっと下の方に行列ができています。先頭の方は、どうも流れ落ちる水を汲んでいるようです。
「あ、あれは音羽の滝や。古式さん」
 ふたたび元気になった主人さんが教えてくださいました。
「あの3つの懸樋から流れる水は、右から長寿・健康・勉学に効くと言われてるんや」
「まあ、それは飲んでみたいですねぇ」
 するとあそこに並ばないといけないのでしょうか?私は待つのは得意なので別に平気ですけれども…。
「いや、ここはあっしが代わりに並んできやしょう」
「い、いやここはこの僕が!」
 と、お二人がおっしゃってくださったのですが、突然おばさまがくすくすと笑い出しました。
「あそこの水やったら、その水筒にお茶になって入ってますよ」
「え」
 主人さんが持ってくださってる水筒をおばさまが指差します。この水筒にはそんな神通力があったのでしょうか?
「昨日の朝早う来て汲んでおいたんですよ。早朝やったら人もいてへんしねぇ」
「まあ、それはお手数をおかけしてしまいまして…」
「全部混ぜておいたらきっと効果も抜群やと思いますよ」
「そういうものなのでしょうか?」
 私は主人さんから水筒を受け取って、一口飲んでみます。そう言われると寿命が延びて元気になって頭の回転も早くなった気がしますねぇ。ありがたいことです。
 そんなわけで私たちはそのまま釈迦堂、奥の院の方へと参りました。先ほど立っていた舞台を今度は一望に見ることができます。こんな風な造りになっていたのですね。
 そこでまた例によってぼーっと桜舞う舞台を見ていたのですが、主人さんに袖を引っ張られまして今来た道を戻ります。石段を下りまして、邪魔にならないような道の端に並んで腰を下ろすと、私たちは重箱を広げたのでした。
「いよいよやなぁ」
「いよいよですねぇ」
 下の段には切りご飯。四角い形に切り分けて、黒ごまをまぶしてあります。
 中の段にはたけのこ、ふき、いいだこ、とこぶし、たいたものが色々と。「たく」は「炊く」ではなく「煮く」と書くそうなのですよ。
 上の段にはかまぼこ、しいたけ、松葉がれ(かれい)。それから…だし巻きが少々。
「こ、これを全部古式さんが!?」
 だったら良かったんですけどねぇ…。
「大変お恥ずかしいのですが、そこのだし巻き四切れだけでして…」
「え、あ、いやその、とっても可愛らしいだし巻きやと思います!」
 銀次さんににらまれて主人さんはそうおっしゃってくださるのですが、楽しみにしていたわりにいざ見てみるとなにやら悲しいですねぇ。おばさまのだし巻きがきれいに巻いてあるだけになおさら……
 でも、
「おいしいです、古式さん…。なんや、古式さんの心の暖かさが伝わってくるようや…」
「何言うとんじゃい」
「べべべ別にええですやろ!そういう銀次さんはどないなんや!」
「こんなうまいもんは後にも先にも食ったことがねぇ。お嬢さん、あっしなんぞには勿体ないほどの味でさぁ」
「まぁ…」
 でも、2人とも喜んでくださったのでよかったのではないでしょうか。
「ほらほら皆さん、お弁当ばかり食べてへんで、桜も見なあきまへんよ。花見ゆうんやからね」
「まあ、そう言えばそうですねぇ」
 昨日鍋に潜っていたたけのこの精進だきが、私の口の中でやんわりと溶けていきます。頭上に浮く桜の枝に私もまた溶けてゆくようで、なんだか自分が風にそよぐ桜になったかのように私はぼんやりとしていました。今回ばかりは他のみなさまも私と同じようにぼーっと桜を眺めながら口を動かしていたのでした。

「おばさま、ごちそうさまでした」
「いいえぇ」
「ありがとうございやした」
「ごちそうさまでした!いやぁ、こないうまい弁当は初めてや」
 そうですねぇ、おいしかったですねぇ。私もいつかこのくらい作れるようになれると良いのですけれど。
「きっと長い修行が必要なのでしょうねぇ」
「あらまあ、でもそこの2人はゆかりさんのだし巻きが一番おいしかったって顔に書いてありますよ」
「いや、あっしは…」
「べ、別にそないな…。いや…実はそうなんです!」
 主人さんがいきなり断言して、私は思わずびっくりしてしまいました。真っ赤になった主人さんに、おばさまはお腹を抱えて笑ってらっしゃいます。
「ええと…そう言っていただけると、嬉しいですよ」
「ぼ、ぼぼ僕も嬉しいです!」
 そうなのですか、嬉しいですね。一切れのだし巻きでも、なかなか馬鹿にはできないものなのですねぇ。
 そんなことを考えながら私は長寿と健康と学業のお茶を飲みました。考えていたのでコップに入った桜の花びらも一緒に飲んでしまいましたが、たぶんそれはそれでなにか御利益があるのではないでしょうか。


 清水坂を降りて東大路からまたバスに乗り、平安神宮の前を通り過ぎ、岡崎神社の近くで降りました。そこから東へ歩いて哲学の道へとゆき、後はゆっくりと疎水べりに桜を楽しみながらみんなで歩きます。以前偉い哲学者の方がここを通りながら思索にふけったそうですが、私などは何も考えずにぼーっと歩く方が好きですねぇ…。
 水面におおいかぶさった桜からは花びらが間断なく舞い降り、そのまま着水してゆらゆらと流れていきます。それはとても幻想的で、いつのまにか私の心もゆらりゆらりとしていたのでした。
「私も流されてみたいですねぇ…」
「古式さん…」
 道沿いには紙人形のお店がありまして、そこで私は主人さんに折り鶴の"もびいる"を買ってもらいました。銀次さんは断ろうとしたのですが、今度は主人さんも一歩も引かなかったのです。
「なんとお礼を申しましょうか…」
「い、いや!僕が古式さんに似合うと思ただけです!」
「まあ、そうですか?それではわが家の…いえ、私の宝物にいたしますね」

 しかし楽しい時間も永遠に続くわけではなく、私たちはとうとう哲学の道の終点まで来てしまいました。もうそろそろ新幹線の時間ですので帰らなくてはいけません。後ろ髪を引かれながら、せめてもと疎水沿いに今出川通りを歩いていると、鳩さんたちが暖かそうに私たちを見送ってくれたのでした。



「ほな、くれぐれも皆さんによろしゅう」
「はい、だし巻きのこともよろしくお願いいたしますね」
「はいはい、そやねぇ」
 苦笑するおばさまにおじさまの分のだし巻きのことをくれぐれもお頼みすると、いよいよお別れのときがやって参ります。それでもまた遊びに来ることを約束しまして、私たちは京都駅ゆきのバスに乗り込みました。
「それでは、お世話になりました」
「どうも、色々おおきにでした!」
「お世話になりやした」
「風邪など引かんようにね〜」
 手を振って見送るおばさまを、バスの窓からいつまでも追い続けます。色々とお土産もいただきましたが、一番のお土産は私のこの手の中にあると、そんなことを思う今回のお花見でした。
「楽しかったなぁ、古式さん」
「そうですねぇ…」
 しかし私の頭には桜が舞い通しだったので、主人さんの声もあまり聞こえていなかったのでした。


「ええと…」
 家に帰り、お父様とお母様とお話しし、夕食の時にもお話しし、お風呂に入…った後、私は途方に暮れていました。今回身につけただし巻きを作ろうと広い台所で卵焼き器を取り出したのはいいのですが、だし巻きと言うからにはだし汁がなくてはなりません。しかし昨日はおばさまの作っただし汁をそのまま使っていたので、私は作り方を知らないのです。せっかく一品作れるようになったと思ったのですが…。
「困ってしまいましたねぇ…はぁ」
 私が小さくため息をついていると、後ろから静かに足音がしました。振り返るとお母様でした。
「どうしたのですか?ゆかりさん」
「お母様…実はかくかくしかじかなのです」
「あら、まあ。そういうことは恥ずかしがらず人に聞けば良いのですよ」
「それもそうですねぇ。それではおばさまのところに電話してみましょう」
 と、台所を出ていこうとする私を、お母様がにっこりと引き留めます。
「ゆかりさん、誰か忘れてはいませんか?」
「はい?」
「あなたのおばさまと同じ母親にお料理を教わった人が、あなたのそばにいるのですけどねぇ」
 …あ。
「まあ、私としたことがぼけておりました…。お母様、教えてくださいますか?」
「はい、もちろんですよ。それではかつおと昆布を用意しまして…」
 先生とは身近なところにいるものですねぇ。鍋をかけるお母様を見ながらそう思いました。
「お母様も、お母様のお母様から教わったのですか?」
「ええ、そうですよ。でも教わったままではなくて、自分でも色々工夫しているのですよ」
「私がそうなるにはしばらくかかりそうですねぇ」
「焦らなくても、ひとつずつ覚えていけば良いのですよ」
 なるほど、お母様の言うことはいつも有り難いものです。浮かぶ昆布を見ながら私はそう思いました。
 さてだし汁はできました。卵と溶いて流します。落ち着いて、でも手早く…。


 お父様の部屋の前に行くと、銀次さんと何か話しているようでした。
「どうだ銀次、相手の男も大した奴ではなかっただろう」
「へい。一人前と言うにはまだまだでした」
「うむうむ!そうだろうそうだろう」
「…ただ、お嬢さんを思う気持ちに嘘偽りはありやせんでした」
「‥‥‥そうか‥‥‥」
 なにやら難しい話をしてらっしゃったのですが、私はお皿を廊下に置いて静かに襖を開けました。
「お、ど、どうしたゆかり。疲れただろうし早く寝た方がいいぞ」
「はいお父様。実はおばさまとお母様から教えていただいただし巻きを作ってみたのですが…」
 お皿に乗っただし巻きをお父様に差し出します。お父様は座布団から飛び上がると、わたわたとお皿に手を伸ばしました。
「こ、これをゆかりが?」
「はい〜」
「聞いたか銀次…。ワシはいい娘を持ったなぁ」
「へい…!」
 まあ…。でも同じ学年の虹野さんなどは色々とお料理が得意なそうですからねぇ。私などまだまだだと思いますよ。
 と、思ったのですが、お父様があんまり嬉しそうに召し上がるのでそんなことはどうでもよくなってしまいました。
「うまい!どんな料理人よりもうまい!!さすがはワシの娘!!」
「まあ、ありがとうございます。これで桜があるともっと良いのですけどねぇ」
「いや、桜ならありまさぁ」
 一礼してだし巻きを召し上がった銀次さんが、しみじみと言いました。
「この銀次、お嬢さんこそどんな樹々よりも風流を感じる桜のようなお方だと思っとりやす」
「銀次よ…。お前いいこと言うなぁ」
 お父様もしみじみおっしゃると、卵を味わいながら私を眺めてらっしゃいました。桜の樹はこんな気分なのでしょうか…。



「へぇ、これゆかりが作ったの?」
「はい〜」
「こいつはチェックだぜ!」
「絶品やでほんまに」
 翌日もだし巻きを焼いて学校へともっていきました。このまま毎日だし巻きというのもいいかもしれませんねぇ。
「あ、おいしーじゃん」
「そうですか?」
「いやうまいっスよ古式さん、ホント」
「2日続けて食べられるなんて僕は幸せ者やぁ〜」
「今度からお弁当はゆかりに作ってもらおっかな」
「お前自分で作るとかなんとかしろよ…」
「あによぉ、ヨッシーに言われる筋合いないねーだ」
「うふふふふ…」
 私は思わずくすくす笑うと、自分でも一口つまみました。皆さん喜んでくださって、本当に有り難いことですねぇ。
「あーくそっ、俺も女の子と花見がしてぇー!」
「いや、花ならあるで。…古式さんこそこの世で一番の桜の花や!」
 主人さんの断言に、私たち3人はぽかんと口を開けていました。主人さんがおそるおそる私に尋ねます。
「せ、せやろ。古式さん」
「あのぅ、実は昨日銀次さんにも同じ事を言われたのですが…」
「ええっ!?」
「ぶっ!」
 突然夕子さんと早乙女さんがお腹をかかえて笑い出します。主人さんは真っ赤になって手を振り上げました。
「な、なんや。何がおかしいんや!」
「だ、だってよぉ…」
「きゃはははは…。公くん、まだまだ銀次さんにはかなわないね!」
「や、やかましな!次の桜が咲く頃にはあのくらい追い越してみせるわい!」
 私はよくわからないまま、卵をもうひとつ手に取りました。よくはわかりはしないのですが、皆さん楽しそうでよろしいですねぇ。
 次の桜が咲く頃にも、たぶんまたこうして笑いあえるのでしょうね。そんなことを考えながら、私はだし巻きをゆっくり味わうのでした。



 金色の 卵に香る 京桜




(了)




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