「ねぇねぇ来人さん、とっても綺麗な場所だね!」
「そうだな、なんだか落ち着くなぁ…」
 見渡す限りの一面の野原の中で、キャラットは嬉しそうに跳び回っていました。カレンもにこにこと、楊雲も優しい目でそれを見ています。楽しい旅はこの野原のように、本当にどこまでも続いていくかと思われました。妖精のフィリーも呆れ顔でしたが、本当は楽しそうでした。
「ほんっとあんたっていつでも元気よね」
「うんっ!ボクとっても元気だよ!」
 でもキャラットにはひとつだけ心配事がありました。このままずっと先へ行くと、彼女の故郷の森の近くを通ることになるのです。キャラットはそれが心配です。
 だからキャラットは明るく笑いながら、心の中で何事もなく通り過ぎますようにとずっとお祈りしてるのでした。





キャラットSS: フォレスト・ワルツ(前)





 フォーウッドの森は平和な森。キャラットもお父さんとお母さんと一緒に、野菜を作ったりお花を植えたりしながらのんびりと暮らしていました。
 でもキャラットは時々やってくる旅人たちのお話を聞くのが大好きで、自分もいつか街に行ってみたいとずっと思っていたのです。フォーウッドは15歳で一人前になります。前から心に決めていたキャラットは、誕生日の日にお父さんとお母さんに切り出してみました。
「あのね、ボク街に行ってみたいんだ」
 2人は顔を見合わせて、控えめに反対します。でもキャラットの決意が固いと知ると、仕方なさそうに耳を振りました。
「そうだなぁ、でも長老さまがいいとおっしゃったらだぞ?」
「うんっ!」
 3人はすたこらと長老さまのところへ向かいました。長老さまはとても長く生きているので、大事なことはいつも相談するのです。
「ふむ、街へ行ってどうするね」
「あのね、ボクこの森の中だけじゃなくて、もっといろんな人と知り合いたいんです。それでたくさんお友だちを作って、みんなと仲良くなるの!」
「ふぅむ…」
「ど、どうでしょう。長老さま」
 お父さんの言葉に長老さまはしばらくひげをなでていましたが、じっとキャラットの顔を見るとおもむろに口を開きました。
「まあ、そこまで言うなら行ってきなさい。でも辛いこともあるかもしれんよ?」
「あ、ありがとうございます!ボク全然辛くなんかないです!」
 ぴょいぴょいと跳ねて喜ぶキャラットに、長老さまはなにか深い目をしていたのでした。


「それじゃ、体に気をつけるのよ?」
「うんっ、じゃあボクそろそろ行くね」
「元気でなー!」
「嫌なことがあったらいつでも戻っておいでー!」
 フォーウッドの村の全員が手を振って見送ってくれています。キャラットはその気遣いに感謝しながら、でも戻ってくるなんてことは全然考えていませんでした。これから行く素敵な場所への思いでいっぱいでした。
 もちろんキャラットもあてもなく飛び出したわけではありません。まずはしばらく旅を続け、知り合いのいるパーリアの街へと向かいます。
「レタお兄ちゃん、こんにちは」
「ん、キャラットか。まあ上がれ」
 フォーウッドのレタは数年前に森を出て、世界のあちこちを旅しています。今はパーリアの街に住んでいて、長老さまの手紙でキャラットが来ることを知らされていました。
「街に来たからには今までみたいに野菜を作ってのんびりって訳にもいかない。なにか仕事をしないと生きていけないんだ」
「ボクなんでもやるよ!」
「そうか…。それじゃついてこい」
 キャラットはわくわくしながらレタの後をついて街を歩きます。あんまりきょろきょろしているので、途中で魔法馬車にひかれそうにもなりました。
「ねえねえお兄ちゃん、あれなぁに?」
「そのへんは後でゆっくり説明してやる。ほら、ここだ」
 レタの指さす先を見て、キャラットの顔がぱあっと輝きます。そこは鉢植えがいっぱい並べられていて、色とりどりのお花が所狭しと咲き並んでいます。人のよさそうなおばさんが、レタの声にこちらを振り向きました。
「おや、レタ。この前の花の病気はおかげさまで無事治ったよ。どうもありがとうね」
「フォーウッドにすればわけもないさ。ところでひとつ相談なんだが…」
 そういってレタはキャラットを前に押し出します。キャラットはあわててぺこりとお辞儀をしました。
「おやおや、これは可愛らしいお嬢さんだね」
「ボ、ボクキャラット・シールズっていいます。ええと、この前森から出てきたんです」
 レタの相談というのはキャラットをここで働かせてもらえないかというものでした。優しいおばさんはふたつ返事で引き受けてくれて、キャラットは飛び上がらんばかりに喜びました。
「わぁい、ボクお花って大好きなの!一生懸命がんばるね!」
「しっかりな」
「よろしくねぇ、キャラットちゃん」
 そしてキャラットは花屋で働きながら、レタの借りてる部屋の屋根裏に住まわせてもらうことになりました。新しいおふとんを運び入れながら、キャラットはこれからの生活に心を躍らせるのでした。最初は誰だってそういうものです。



 花屋のおばさんとおじさんはとてもいい人で、キャラットは見ず知らずの自分を働かせてくれる2人をがっかりさせないよう一生懸命働きました。不慣れなのでいくつか失敗もしましたが、したらしたで頑張って埋め合わせをします。花屋のキャラットはたちまち評判になって、前よりお客さんも増えています。おばさんとおじさんも喜んでくれるので、キャラットはもっと頑張りました。ただお客さんのいく人かは物珍しさでやってきたのですが…。
 キャラットはとにかく街の暮らしに慣れようと必死で、ご飯を食べていきなさいと言われても遠慮して、自分でご飯を作りました。街の野菜はあまり新鮮ではありませんでしたが、なんとか料理して食べました。レタはほとんど部屋にいないので、夜なんかはしぃんとしています。さすがにキャラットも心細くなるのですが、最初のうちだけだと自分に言い聞かせました。
 そんな感じで忙しい時間は過ぎていきました。街にあるものは何もかも初めてで、キャラットはお花を配達するときもついついまわりをきょろきょろと眺めてしまい、あわててこつんと自分の頭をたたくのです。大きな博物館、いい匂いのするレストラン、様々な種族たち、見たこともない魔法の道具。でもそんな中で、道行く人たちもまたキャラットをじろじろと見ていくのがちょっと嫌でした。レタはあまり街に出ないので、キャラットが珍しいのは仕方ないのかもしれませんが。
「ううん、でもいい人ばかりだよ。明日も頑張ろうっと」
 そして日々は飛ぶように過ぎていってしまったので、キャラットは友達を作るということをすっかり忘れていたのでした。


「はい、いらっしゃい。銀貨3枚になりますね」
「どうもー」
 おばさんは買い出しに出かけているので、今日はおじさんと2人で店番です。キャラットはお客さんの姿を横目で見ながら、お花が元気でいられるように朝からずっと世話をしていました。
「キャラットちゃん、もう一休みしていいよ。そろそろお昼だしな」
「ううん、ボク大丈夫です。お花見てると飽きないんだもの」
「そうかい。お花もキャラットちゃんが大好きなんだろうなぁ」
 おじさんの言葉にキャラットはにっこり笑います。天井から下がった花瓶には紫檀草が咲いています。キャラットはこのお花が好きなのでできたらずっと見ていたいとも思っているのですが、幸いとても高いお花なのでその願いは今のところかなえられているのです。
「失礼、花について聞きたいんだが…」
「はいはい、いらっしゃい」
 2人連れの男の人が入ってきて、1人がおじさんと話を始めました。もう1人は狭いお店の中をぶらぶらと見て回っています。しゃがんでいるキャラットには全然気づいてないようです。
「(あ!)」
 この人はどんな人なんだろうとか、どんなお花が好きなんだろうとか、そんなことを考えていたキャラットは、不意に声にならない叫びを上げました。その男の人はおじさんから死角になる位置に立つと、花瓶から紫檀草を抜き取って素早く鞄の中に入れたのです。おじさんは気づいていません。もう1本、もう1本。キャラットはがたがたと震え出しました。この人は何をしているのでしょう。お花をどうしようというのでしょう。
「(や…)」
 やめて、という声は喉にはりついて出てきません。手の震えが止まりません。お店を飾っていた紫檀草は、ひとつひとつ静かに消えてゆきます。
「おい、あんた何やってる!!」
 キャラットは心臓が握りつぶされたかと思いました。あの優しいおじさんが、怖い顔で怒鳴ったのです。2人組は弾かれたように逃げ出しました。
「誰か捕まえてくれ、花泥棒だ!!」
 通りに向かっておじさんが叫びます。人々の怒号とわめき声、そして誰かを殴る音が聞こえてきました。キャラットは小さくなったまま、必死で耳を押さえていました。
「ふぅ…」
 おじさんが安堵のため息をもらします。どうやら犯人はつかまったようです。震えるキャラットに気づいて、こちらの方に近づいてきます。キャラットは思わず逃げようとして、でも体が動かずに泣きそうな目でおじさんを見ていました。
「キャラットちゃん…」
「ご、ごめんなさい!ボク気がついてたのに…」
「いや…。キャラットちゃんが悪いことなんて何もないさ」
「ごめんなさい…。ごめんなさい…」
 おじさんは安心させるようにキャラットの頭を撫でようとしたのですが、その手が触れる瞬間びくん、とキャラットの体が硬直しました。あわててもう一度謝ります。頭の中がぐちゃぐちゃで、どうしていいか判りませんでした。

 犯人さんたちは魔法実験のために紫檀草が必要だったそうですが、そんなの聞きたくありません。キャラットはお休みをもらって、自分の部屋で毛布にくるまってずっと小さく震えていました。


 街は天国なんかじゃなくて、いい人もいれば悪い人もいる。
 そんな当たり前のことに、キャラットはようやく気がつきました。


 次の日もキャラットはお店に行きたくはなかったのですが、そういうわけにもいかないので無理矢理自分の部屋を出ます。元気のないキャラットをおじさんもおばさんも気遣ってくれましたが、心配かけてしまってかえって申し訳ない気持ちでいっぱいでした。でも元気を出そうとすればするほど、気持ちが空回りしてしまうのです。考えまいとすればするほど、考えてしまうのです。
 とぼとぼと街を歩いていると、魔法馬車にひかれそうになりました。頭の上から御者の怒る声が聞こえ、キャラットはあわてて謝りました。

 森ではこんなことはありませんでした。のんびり散歩しても誰にも怒られませんでした。
 ここには樹々を抜ける風もありません。
 小川のせせらぎもありません。
 りんご祭りの歌も聞こえません。
 代わりにみんながじろじろとキャラットを見ます。だってこんな耳をつけてるのは、この街で彼女だけですから。
「…頑張らなきゃ…」
 キャラットはそう呟いて、また誰もいない自分の部屋に戻るのでした。



 この街に来てからひと月後、キャラットは久しぶりにレタと顔を合わせました。喜んで駆け寄るキャラットに、でもレタはもうすぐこの街を離れることを告げました。
「そ、そうなの…。うん、レタお兄ちゃん、旅してるんだもんね…」
「どうした、何かあったか?」
「え?な、なんでもないよ。ボク元気だよ」
「そうか…」
 レタは少しかがんでキャラットの顔をのぞき込みます。
「キャラット、無理はしない方がいいぞ。一度森に帰ったらどうだ」
 その言葉にキャラットはびくっとして、うつむいたまま押し黙ってしまいました。レタもまた小さくため息をつき、何も言おうとはしませんでした。

 そして次の日、ありきたりな別れの挨拶を交わして、レタはパーリアの街を離れました。
 キャラットは独りぼっちになりました。



 帰りたい。


 ガラス窓の外は雨が振っています。見慣れない街。見慣れない人。こんなに大勢の人がいて、フォーウッドは独りだけでした。
 帰りたい。
 帰りたい。
 帰りたい。
 いくら耳をふさいでも、その声はどこからか聞こえてきます。こんな弱虫な自分は雨にでも溶けてしまえばいいのに。
「帰りたいよぉ…」
 耐えきれなくなって、キャラットは口にしてしまいました。
 誰もいない小さな部屋で、キャラットは声を上げずに泣き出します。自分から飛び出した彼女は、もう森には帰れないのです。



 結局キャラットは、街を出るいいわけを探していたのかもしれません。



 その日お花の配達を終えたキャラットは、お店に戻ったときいつもと違う顔をしてました。ご苦労様を言うおばさんとおじさんに、おそるおそる切り出します。異世界からやってきて困ってる人がいること。その人が自分を必要としていること。何度も何度も繰り返しました。その人がどんなに困ってるかを、何度も何度も。
「そうか…。それじゃ仕方ないなぁ」
「ご、ごめんね」
 謝罪とお礼とお別れと、キャラットは休む間もなく口にし続けました。不意におばさんが寂しそうに言いました。
「キャラットのことは実の娘みたいに思ってたんだけどねぇ…」


 おばさんは、たぶんおじさんも、キャラットの本当の気持ちなんてとっくに気づいていました。それでも何か手助けしようといろいろ気遣ってくれたのに、キャラットはずっと耳をふさぎ続けていたのです。
「…ごめんなさい…」
 か細い声でそう言うと、キャラットはそれ以上2人の顔を見られずに、背を向けて駆け出しました。何人かにぶつかって怒られますが、構わず走り続けます。その先にはさっきの人と妖精さんと、ここでないどこかが待っているのでした。




 こうしてキャラットは、街から逃げ出しました。






<To be continued…>




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