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エピローグ


「私は結局、誰の一番にもなれへんかったなあ……」

 三月最後の土曜日。
 朝ご飯を食べた花歩は部屋に戻り、机に頬杖で溜息をついていた。

 勇魚は友達に順番をつける子ではないし、花歩を親友と思ってくれているのは確かだ。
 それでも三日前、あの新大阪での涙を思い出すに、やはり姫水が誰より特別なのだろう。
 立火も、夕理も、つかさも、一番大事な人がいて、それは花歩ではない。

「はーあ……」
「私は?」
「え?」

 顔を上げると、隣で芽生が自分を指さしていた。
 いつもの平然とした表情で、いきなり爆弾発言を投げてくる。

「私、花歩のことが一番好きやねんけど」
「ええー!?」

 思わぬ言葉に花歩は飛び上がり、にへらと笑いながら妹へすり寄った。

「なんやもう! 芽生ってそんなにお姉ちゃんのこと大好きやったん!?」
「まあ、他にこれといって好きな人もいないから、相対的に」
「……ですよねー」

 淡白な妹に上げて落とされ、花歩は再び突っ伏して机を叩く。

「そーいうのやなくて! もっと絶対的な愛がほしい!」
「今後の出会いに期待したら」
「私にそんな人、現れるんやろか……」
「待ってるだけやなくて、積極的に探していったらええやん。
 もし上手くいかなくても、私というセーフティネットがいるんやから」

 芽生の言葉は少し難解だったが、双子だけに何となく通じた。
 これから花歩に何があっても。誰かを好きになったり好かれたり、再び振られたりしても。
 妹は何も変わらず、淡々と花歩のことを好きでい続けてくれるのだ。

 身を起こした花歩は、壁の時計に目を向けた。
 部活に行くまでまだ四十分ある。

「芽生、ちょっと公園に行かへん?」
「ん、お花見?」
「ちゃう。軽い運動や」

 正式なライブはまだ先でも、一番好きと言ってくれた子だ。
 今だけ独り占めさせてもらっても、罰は当たらないだろう。

「この一年間の成果を、お互い見せあいっこしよう」


 ジャージに着替えて、徒歩三分で長居公園。
 この大きな公園は、自主練習の場として何度もお世話になった。
 しかし学校が違うこともあり、芽生と一緒の練習は初めてだ。

 軽く柔軟体操をしてから、楽しそうな視線が眼鏡越しに向けられる。

「言い出しっぺの花歩からどうぞ」
「ええよー、ほな手拍子お願い!」

 経験を積んだ今は緊張も恥もなく、花歩は堂々と声を張り上げる。
 せっかくだから公園にいる人たちにも届くようにと、一年間の集大成の曲を。

『1、2、3、いぇい! ここから始まる楽しいフェスティバル』

 芽生の手拍子とともに、笑いと楽しさのライブが始まる。
 小学生の女の子が三人ほど、興味を持ったように近づいてきた。
 花歩は歌いながら大喜びで、ダンスもますます加速する。

『素で参るようなスマイルで 笑って決まってわっしょいわっしょい!』

 道行く人たちも足を止め、しばし花歩に目を向ける。
 一ヶ月前のアキバドームとは、観客の数はかなり違うけど。
 同じくらい熱くなりながら、ジャージ姿の姉は一気に歌い切った。

『愉快でフライな頭はハイ! そんな私たちの――
 オール・ザッツ・ファニー・デイズ!』

 芽生が笑顔で拍手する隣で、子供たちも釣られて手を叩く。
 これってラブライブ!? と言う子がいるあたり、スクールアイドルは広く浸透しているようだ。
 うなずいた芽生が得意げに情報を伝える。

「このお姉ちゃん、全国大会でアキバドームに行ったんやで」
「ウソ!? あの東京の!?」
「言われてみればテレビで見たかも!」

 二人は素直にそう言ってくれるが、もう一人の子はジト目を向けてきた。

「ほんまにー? なんか地味やし、信じられへんなー」
「ほっとけ! 見た目はそうでも中身は根性にあふれてるんやで。さ、次は芽生の番や」
「うん。手拍子はいらないからね」

 演者と観客の位置が入れ替わり、隣の子供が花歩に尋ねてくる。

「おんなじ顔やし、このお姉ちゃんもすごいん?」
「うーん、すごいはずやけど。実は私も見るの初めてなんや」
「ご覧ください。『円環のオラトリオ』」

 結果的に今年度の聖莉守では最高峰となった、夏の地区予選で披露された曲。
 それが始まった途端、花歩の目は奪われた。

(芽生――)

 美しい、と素直に思った。
 元から歌は花歩より上手かったが、今は聖莉守に相応しい天使の歌声。
 何より、運動が苦手だったとは思えない、流れるようなバレエダンスだった。

『捧げましょう 切なる祈り 世の安らかならんために』

 姉が波乱万丈に過ごした一年間を、妹はひたすら地道にコツコツ練習し――
 苦手なことも克服して、この域に達したのだ。

『この歌の届く全ての人へ 祈りましょう 幸あれと……』

 静かにライブは終わり、花歩は全力を込めて拍手する。
 小学生たちも二人は感動していた。

「きれいー!」
「すごーい!」

 が、もう一人は今回もジト目を向けている。

「真面目すぎておもろない。あと、アイドルにメガネはいらんと思う」
「て、手厳しい子やなあ」
「眼鏡は譲れへんとこやけど、でもご意見ありがとうね」
「う、うん……」
「とにかく! お姉ちゃんたちめっちゃ素敵やったで!」

 別の子がそうフォローして、子供たちは去っていった。
 他のギャラリーも満足して解散し、花歩は改めて芽生に向き直る。

「素晴らしいの一言や。芽生、ほんまに頑張ったんやなあ」
「ありがと。次のライブ、出るか迷ってたんやけど。
 花歩がそう言うてくれるなら、出てみようかな」
「おっ、いよいよデビューやな!」

 ほとんど単なるファンの目で、妹の活躍が大いに楽しみな姉だけれど。
 それだけではいけないと、改めて気合いを入れ直す。

「私もうかうかしてたら、芽生に追い越されるで!」
「勝ち負けはどうでもええけど。でも花歩の刺激になるなら、もっと本気出してみよか」
「あはは。私も勝ち負けはともかく、芽生の本気は見てみたいで」

 学校の違う双子は、どちらからともなく握手を交わした。
 もうすぐ中堅の二年生。お互い大好きなグループの中で、先輩を支え後輩の手本となるのだ。

 四分咲きの桜の下、散歩しつつ花を見ている間に時間になった。
 帰宅して準備をし、バス停で勇魚と合流する。
 これから、年度最後の部活動だ。


 *   *   *


「おはよう、晴ちゃん」

 小都子が駐輪場を出ようとしたところで、晴の自転車も到着した。
 おはよう、と返す彼女の駐輪を待って、並んで校舎へ向かう。

「今日でいったん一区切りやねえ」
「暦の上ではな」

 2019年3月30日。
 明日は日曜なので、次の活動日は新年度になる。
 その先にある入学式に向けて、着々と準備を進めているところだ。

「新入部員、どれだけ来てくれるやろなあ」
「10人は入るやろ」
「え、そんなに?」

 控えめな小都子は半信半疑だが、晴は冷静に計算しての発言だ。

「全国大会に出場した上に、部長は優しそうときた。
 去年のような失敗はあり得へんし、それくらいの人数は集まってくる。
 ただ、それはそれで別の苦労がありそうやけどな」
「うん……選抜が必要になるかもしれへんね」

 さすがに全員をステージには上げられない。
 文化祭などで出番は作ってあげたいが、ことラブライブでは、最後まで補欠の者も出てくるだろう。
 が、今の小都子は棚上げする。その程度の問題は乗り越えられる自信はあるから。

「あまり捕らぬ狸の皮算用をするのもね」
「そうやな。実際に集まった人材を見て考えることや。
 けど次に目指す場所は、その前に決めておいてほしいで」

 昇降口で上履きを取り出しながら、晴は部長へと三白眼を向ける。
 皆の意見も聞くとしても、部長がどうする気なのかは固めておくべきと。

「来年度、Westaはラブライブで何を目指す?」

 小都子は置いた上履きをじっと見てから、足を入れて話し始める。

「……部長を受け継いでから、私もずっと考えてはいるんやけどね。
 どっちの道も魅力的やから、迷うなあ」

 ひとつは王道。少しでも上位を、最終的には全国優勝を目指す。
 夕理はこれを望んでいる。

 もう一つは色物。前回のようなひとときの笑いを、今後もずっと提供する。
 順位は望めないが、ラブライブの中で一定の地位を確立できるはずだ。

 職員室への階段を上りながら、小都子は悩みに悩んでいる。
 あまりに迷うので、ついてきた晴もつい口出しした。

「お前はお笑いの方がやりたいんやろ。実現性でも色物の方が容易や」
「でも一度だけは、Westaの優勝が見たいのも本音やなあ。
 その後は気楽な笑いでもいいから、たった一度だけは。
 まだ届いてへん領域があるのは、ある意味幸せなことやと思うしね」
「確かに。もう予選突破では、去年のような感動は得られへんからな」

 晴の視線が階段の上へ向く。
 何事も二度目からは感動は薄まる。
 あの達成感をもう一度味わいたいなら、未踏の成果を目指すしかないが……。

「ただ現実的に、私たちの代で優勝は無理やで」
「うん……」

 ステージ上の三年生が小都子だけというのはあまりに厳しい。
 熱季や新人に期待するとしても、全国上位はさすがに遠すぎる。
 職員室の前で足を止め、小都子は真っすぐに晴を見すえた。

「実は結構、身勝手な未来図を想像してるんやけどね」
「お前が身勝手になるのはええことや。ぜひ話してくれ」

 小都子は口を閉じたまま、まず職員室に入って鍵を借りる。
 そして出てきたとき、どこか吹っ切ったように、その未来図を口にした。


「もしWestaに優勝できる可能性があるなら、それは再来年。
 一年生でアキバドームを経験した四人が、揃って三年生になるその年やと思う。

 私のこれからの一年間は、そのための足場作りに使いたい。
 そして花歩部長率いるWestaが、深紅の優勝旗を大阪に持ち帰る――。
 そんな夢みたいな絵を、私の頭は描いてるんや」


 晴は一瞬だけ微笑んでから、すぐに真剣な表情に変わる。

「それ、花歩には言うてあるんか」
「い、いや、さすがに押し付けるのは気が引けて。
 立火先輩は私に自由にさせてくれたから、余計にね」
「後輩に託すのも含めてお前の自由やろ」
「そうやね……本音を隠したまま活動するわけにもいかへんか」

 どのみち何らかの方針は決めねばならない。
 一年生の、いや二年生になる皆がどう反応するか、言わねば知りようのないことだ。

「明後日に熱季ちゃんが来たら、全員に話してみるね。
 熱季ちゃん、アキバドームを経験してへんの気にしてるから、言い方は気を付けないと……」

 話しながら、二人の足は部室へと近づく。
 春休みで静まり返った校舎から、四人の後輩の声だけが聞こえてきた。

「いよいよ明後日には、新しい元号が分かるんやね! うち楽しみや!」
「あー、とうとう平成も終わりやなあ」
「どうでもいい……元号なんてどうせ使わへん。西暦で十分や」
「また夕理ちゃんはそんなん言うて。『夕理元年』とかになったらどうすんねん」
「なるわけないやろ! アホらしい!」
「あはは、みんな朝から元気やねえ」

 現れた上級生に、おはようございます! と元気な声が響く。
 小都子も挨拶を返しながら、既に慣れた手つきで部室の鍵を開けた。



「元号もええけど、熱季ちゃんが来る日でもあるからね。みんな、温かく迎えるんやで」
『はーい』

 部室に入って座りながら、花歩と勇魚は前向きに、夕理は仕方なくそう返事する。
 一方でつかさは、にやにやと悪い顔をしていた。

「わざわざ四月一日に来るとは、大したカモやなあ。あいつめっちゃ騙されやすそう」
「つ、つかさちゃん。あの子には初めてのWestaなんやから、誤情報を与えるのはやめてや?」
「分かってますって、部活以外の嘘にしときますよ。花歩も覚悟しとくんやで」
「はー!? そ、そうやって宣言されてて引っかかるわけないやろ!」
「ほほー。帰りにどんな顔してるか楽しみやなあ」
「あはは、ところで熱季ちゃんへの情報といえば……」

 と、小都子が夕理とつかさに向ける目は、実に嬉しそうだった。

「二人が付き合うてるの、熱季ちゃんや新入生にも教えてええよね?」
「もちろんです、まだアタック途上であることも含めて。何ら隠すことではないです」
「べ、別にいいっすけどー」

 堂々としている夕理に対し、つかさはまだ少し照れくさそうだ。
 花歩も勇魚も、この交際を聞いたときは大喜びだった。
 未来がどう転ぶかは分からないけど、つかさも一歩を踏み出してあげたのだから。
 その想い人を嬉しそうに見ながら、夕理は少し先のことを小都子に話す。

「五月になったら、舞洲のネモフィラ園でデートする予定です」
「あら、そんなんあったっけ?」
「ゆり園が台風で駄目になったので、植え直して新たに開園するみたいです。
 私の恋が始まった場所で、つかさも恋を始めてくれたらいいなと思います」
「ま、それは夕理の魅力次第やなあ」

 軽くかわすつかさだが、それでも夕理は幸せそうだった。
 姫水が引っ越してたった一ヶ月後では、まだまだ可能性は薄いと分かっているけど。
 いつか振り向いてもらえるまで、少しずつ交際を重ねていきたい。

 そしてこれっぽっちも興味のない晴は、部長に話の変更を促した。

「雑談はこれくらいでええやろ。そろそろミーティングにしたらどうや」
「はいはい。花歩ちゃん、新曲の歌詞はどう?」
「はいっ、週明けには完成します!」
「なら熱季ちゃんが来たら練習開始やね。となると今日は、新人勧誘の打ち合わせでもしとこか」
「あ、うちはボランティア部の部員も集めなあかんので!」

 明るい声で、勇魚が元気に手を上げる。

「そっちで活動する日もあるかもしれません!」
「そうやったね。どちらの部も大勢来るとええねえ」
「はいっ。でも今年は天災はありませんようにって、みんなで話してます」
「お前は今後も掛け持ちを続けるのか」

 いきなり晴が重要なことを聞いてきた。
 固まる勇魚にかける声は、決して責める口調ではなかったけれど。

「学年が上がれば負担も責任も増えていく。看護学校の倍率も最近は上がってるんやろ」
「はい……。確かに大変ですけど、でもうちは全部やり遂げます!
 姫ちゃんはもっと厳しい道に挑もうとしてるんや。うちは姫ちゃんの友達ですから!」
「それに、勇魚ちゃんには私がついてますからね!」

 小さくてもパワフルな後輩と、その親友の言い分に、小都子たちの顔も思わずほころぶ。
 笑い合う勇魚と花歩を見て、晴も肩をすくめるばかりだった。

「ま、分かってはいたけど一応聞いただけや」
「はいっ、心配してくれてありがとうございます!」
「別に心配はしてへん。それで小都子、勧誘のポスターやけど……」


 *   *   *


 その打ち合わせも午前で終わり、午後は少し手持ち無沙汰になってしまった。
 本格的な活動は、やはり熱季が来てからにしたい。
 小都子は家で府議選の手伝いもあるし、今日はお開きでもいいのだが……。

(でも、今日は貴重な一日やからなあ)

 形式上だけとはいえ、立火も桜夜も姫水もまだ住女生でいられる、最後の活動日だ。
 ここにいない部員たちを思い、部長はひとつの提案をした。

「四月からはまた全力で走り出すから、立ち止まれるのは今だけや。
 せやからみんなで、この一年間を振り返ってみるのはどうやろ?」
「わ、いいですね! 色んな思い出がありました!」

 勇魚が真っ先に賛同し、夕理も腕組みしてうんうんとうなずく。

「今までの反省点を洗い出し、次年度に備えようというわけですね。さすがは小都子先輩です」
「い、いや、そこまで固くなくてもええんやけどね。晴ちゃんはどう?」
「六代目Westa、終了記念座談会。いい宣伝コンテンツになりそうやな」

 そう言った晴はノートPCを用意して、キーを打ちつつ録音を始める。
 四月に記憶を巻き戻したつかさが、気付いたように花歩へと顔を向けた。

「そういやあたし、花歩が入部したときの話って聞いてへん」
「あれ、そうやったっけ? 勇魚ちゃんと姫水ちゃんには言った覚えあるけど」
「さぞかし感動的なエピソードなんやろなあ」
「普通に勧誘されただけやから!
 ……でも私にとっては、ほんまに世界が変わるような出来事やったなあ」

 花歩は身をひねって、部室の扉を視界に収める。
 あの日、この扉は開いていて、中には立火が、外には花歩がいた。
 あそこで逃げ帰っていたらどうなっていただろう。大事な経験をどれだけ失くしていたろう。

「立火先輩が手を差し出してくれて、それから全てが始まったんや」

 全員が扉に目を向ける中、花歩は自然と手を差し出した。
 これから出会う部員たちへ。来月はもちろん、来年も、あるいは自分が卒業した後も。
 六人の思いは、扉の向こうから入ってくる誰かを待ち望む。
 ようこそWestaへ、と。




 大阪市の西南に位置する、住之江女子高校。
 その西端にある部室で活動を続ける、スクールアイドルグループ『Westa』。
 初代から数えて六代目のメンバーが、今は賑やかに話している。

 輝く時間は限られていて、ラブライブもWestaも永遠ではあり得ない。
 だとしても全力で走りきって、次の代へと繋げるために――

 この一年間の素敵な出来事を、ひとつひとつ記録に綴じて。
 年度の区切りに、いったん活動のページを閉じる。


<ラブライブ! WEST!!・終>






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