なぜ日本は「廃校」や「公園」を使わないのか

なぜ日本は「廃校」や「公園」を使わないのか

タイトル、パクリです。

情報源: なぜ日本は「廃校」や「公園」を使わないのか | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

久々に触発されるタイトルです。

私も常にこれについては、疑問に思っています。

特に「廃校」の方ですね。

廃校に限らず、公共建築物全般に言えることですが・・・・・

 

「廃校」特に「学校」についてですが、今や日本は人口減少の世界に入り、なおかつ少子化の時代が叫ばれて久しいことは、多くの方の認識が一致するところだと思います。

当然「学校」へ入る人数は減っていくわけですから、教室もあまり、地域によっては「廃校」がどんどん出てくることは想像に難くありません。

その「廃校」が日本において、適切に活用されているかということについて考えると、どうもそうではないように思えてなりません。

私の住んでいる県庁所在地の「市」の中心街にも「廃校」になっている所があります。

中心街ですから、地価も充分高いところにあるわけです。

ところがたまに使われているだけで、常時活用されているかというと、そんなことはありません。

この状態を、自分個人として考えてみてください。

個人が、地価の充分高い所に土地と建物を持っている場合、家計が苦しければ、貸すか売るか考えますよね。

貸すことも売ることも出来なければ、自分の土地とは言えませんし。

 

自分の住んでいる所のまじかにそんなところがあるわけですから、日本全国で考えてみれば、こんな「廃校」は数えるのが嫌になる位あるはずです。

 

もちろん「廃校」は、様々な人の思惑と権利が絡み合っていて、何をするにも不適切であろうことは想定の範囲内です。

まず様々な法律の絡みがあるのでしょう、地元の行政機関の色々な人の思惑もあるでしょう、地域住民の感情論もあるでしょう。

でも、どうやら使われていない部屋を家賃を払って部屋を押さえて放置しているのは、今回の廃校利用のような、そういう系のまちづくり的なことを標榜するNPOの関係者たちだということが見え隠れしておりまして、廃校などの眠っている施設の有効利用を目指す当事者が、安い金で場所を押さえて使わずに休眠させておくという謎の顛末となっている可能性があるわけです。
情報源: 岡山の廃校利用とかそういうのがうまく行かない理由。 – アイデアのスープのレシピ

こんな事例もあるくらいですし。

 

結局は危機感の問題なんでしょうね。

「廃校」が崩れそうだという話になれば、さすがに誰かが文句を言って、行政もしぶしぶ動くのでしょうから。

 

結局の所、日本人は裕福なんでしょうね。

何も動かないというのは。

 

再び、個人で考えてみてください。

個人が、地価の充分高い所に土地と建物を持っているとします。

家計が苦しくて、その土地と建物をお金に変えたいと思います。

その時に、実は自分の所有権は20分の1で、他に19人の所有権者がいるとします。

自分は売ろうとしても、他の19人の中には、売りたくないとか、様々な思惑が絡み合っているとします。

その場合は、自分ではどうにもできませんからね。

でも、その自分がどうにもこうにもお金に困っていたら、そのお金を貸している債権者が、競売を申し立てることだってあるわけです。

所有権の20分の1を他の人に買い取ってもらうことだってあるわけです。

そうして、自分の持ち分の範囲で、その権利を行使しようと考えれば、なんらかの方策はあるのですが・・・・・

 

元に戻って「廃校」の場合、使われずに、放置されていても、正直言って誰も困りません。

ただ、薄い関係者がもったいないなあと思うだけです。

これを書いていて良く分かることがあります。

国の借金(借金なのかどうかも異論がある人はあるようですが)について、それを真剣になんとかしようという人があまりいない構図とよく似ていますよね。

結局は危機感の問題です。

国が倒産する(デフォルトする)ということにならなければ、こうした資産の有効活用なんて、誰も考えませんよね。

なんだかなあ。