理性と欲求

理性と欲求

まあたまには、なんだかわけの分からない話を。

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タイトルは「理性と欲求」です。

 

子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず『論語・為政』

 

私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった

 

現代は昔より長寿ですから、まあ40にして惑っていても、50にして天命を分からなくても良いという話がありますが、それにしても、私、50を超えて、立ってもいないし、惑いっぱなしです。

なんだかなあ。

思えば子供のころから両極端でした。

どう両極端化と言うと、理性的にふるまおうとして良い子にする所と、逆にダークな部分を求める所が・・・・・です。

そもそも理性的に生きようなんて考えること自体が理性的なのに、自分は欲求に凝り固まっていてだめだと思っているのですから、その点を取ってみても、両極端です。

頭で考えすぎるのですね。

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下手の考え休みに似たり

です。

で、なんでこんなこと、つまり「理性と欲求」なんていうことを考えたかた言うとですね。(前置き長かったなあ。)

最近、夜寝れなくなりました。寝れなくなったというと語弊があるんですが、寝ようと思えば正直今でもすぐ寝れますが、寝ようと思わなくなった、もしくは、寝るよりやりたいことができたんです。

それは、小説を読むことです。

まあ、どんな小説かは置いておいて(別にエロ小説じゃないですけど。)、とにかく夜、小説を読まないといられなくなってしまいました。

それも30分や1時間ならまだしも、とにかく究極に眠くなるまで、小説を読み続けてしまうのです。

麻薬患者と一緒で、全然自分で制御できません。

昨日なんか3時間以上も読み続けて、午前2時過ぎに寝ました。

欲求にあらがえない自分がいます。

なんだかな。

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そして、2つの心の声が聞こえてきます。

「50過ぎて、翌日具合が悪くなるのに、なんで夜中に小説読んでいるんだ。馬鹿じゃないか。もっと身になることをするか、早く寝ろよ。早く寝れば、(翌日)こんなに具合が悪くならないのに」

「いやいや、少しは自分の好きなことをしているんだから、具合が悪くなろうと、仕方ないじゃないか」

で、実は、心の声としては、前者が勝っているのですが、実際の行動としては、結局また夜中に小説を読むことになります。

心の声なき本能の勝利なのでしょうか?

正直、周囲の人間で、こんなバカをやって、毎日具合が悪くなっている人はそういないと思うのです。

たまに自分は異常者なのではないかと思ってしまうこともあります。

はてさて、この先、どうなっていくのでしょうか?

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今も、2つの心の声が聞こえます。

「普通と同じでどうする。人と違うことをする方がいいに決まっている。」

「体を悪くするまで欲求のままに生きてどうする。かえってマイナスじゃないか。」

 

人間とはかくも不思議な生き物です。

(あ、思い出した。私は自分の自己分析をするのが昔から苦手だった。)