自戒の念を込めて-人は聞きたいように聞く

自戒の念を込めて-人は聞きたいように聞く

「人は見たいように見て、聞きたくように聞く」ってのが一般的らしいっす。

やっぱり外国発信の言葉のようですが・・・・

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情報源: 「人は自分が見たいように見る」by ジュリアス・シーザー『ガリア戦記』|Sapere Vedere ~見る技術~β版

今回は自戒の念を込めて、書いて置きたいと思います。

例①:「3時ないしは5時でお願いします。」と文章で書いたら「3時から5時の間でお願いします。」と伝わった。

このブログでも別の所で書きましたが、法律用語はいざしらず、一般的には上記の場合、3時か5時、なんですが、見た人が見たので、そういう誤解を生みました。

例②:私は「行きたいなあ」と言ったのに、相手はもうくるものだと思って信じ込んで、宿泊の手配やらを済ませていた・・・・・

いやいや、まだ「行く」とは断言していないのに、相手は来てもらいたいもんだから、宿泊の手配まで済ませたって・・・・どんだけだ。

宿泊しなければいけないほど遠方なんだから、行く方としては踏ん切りというものが必要だと思うのだが、相手は全国を飛び回っている人なので、そんな距離的な感覚はこれっぽっちもないから、気軽に動けるものと信じているようで・・・・

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例③:Aという人が自分の店の経営の手伝いをBにしていてもらって、ある時お金の管理をBに任せることにした。丁度この店は赤字続きで、Aは困っていたのだが、Bはこれとこれをすれば黒字になるから、Aに「お金の心配はいらない」と言った。ところがAはこれを「Bが赤字分を補填してくれる」と解釈した。

まあ確かにBも経営者だしAから見れば事業で成功しているBの言葉をそう取っても結果論としては間違いないかもしれないが、ここまで来ると、「人は聞きたいように聞く」の最たるものだと思う。

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とまあ、常にコミュニケーションは、相互の理解の不完全を助長しているようにも思える。

なんだかなあ。

コミュニケーションを取らなければ、相互の理解はますます離れていく。

しかしそうは言ってもコミュニケーションもこの例のように中途半端にすると、かえって誤解が深まったりする。

難しいものである。

だから、私はコミュニケーションというものが嫌いである。