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貧困問題・NHKニュース・女子高校生

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情報源: 「1000円ランチ」女子高生をたたく日本人の貧困観 | 下流化ニッポンの処方箋 | 藤田孝典 | 毎日新聞「経済プレミア」

 

ええと、何の話かは、まあネットでは割と盛り上がっていますので、ここの冒頭部分を読んで頂ければ分かりやすく書いていますので、こちらでは割愛致します。

 

私も基本的にバッシング派に近い分類の考え方です。

何でこれを書こうかと思ったら、私の古くからの知人がFACEBOOKで、ちょっとこの問題についてコメントしていたのですが、私と同じ方向の発言をしたら、コメントで袋叩きになっていました。

FACEBOOKは、ちょっとした知り合いも知り合いで、その人のことを深く知らなくても、コメントを書けるので、曰く人でなし呼ばわりされていましたが・・・・

なんだかなあ。

そいつは、きわめて社会派で、むしろ貧困している人がいたら、どちらかと言うと絶対に助けるようなやつです。

なので、そいつの代わりにここで代弁しようかと思ったわけです。(あくまで私の解釈ですが・・・・)

2013-12-26-01-min

さて、前述の記事には、絶対的貧困と相対的貧困という概念が記載されています。

肉体・生命維持で精いっぱいの極限状況を「絶対的貧困」と呼びます。
絶対的貧困は社会が対応しなければいけないという認識が広がり、20世紀に入ると、社会保障で貧困をなくす動きにつながりました。
1960年代になって、英国の社会学者ピーター・タウンゼントが「相対的剥奪」(Relative Deprivation)という概念を提唱しました。
「最低限のものを食べられて、着る服があれば貧しくないのか、人間的な生活と言えるのか」と問題提起をしたのです。これが「相対的貧困」という概念です。

これについては、異論はありません。

ところが、この( 「1000円ランチ」女子高生をたたく日本人の貧困観 | 下流化ニッポンの処方箋 | 藤田孝典 | 毎日新聞「経済プレミア」)記事については、ここから、ちょっと

なんだかなあ。

と思ってしまうのです。

①ところが、今回の貧困バッシングでは、女子生徒の1000円ランチがたたかれました。
②「貧困であることをアピールし、支援を求める高校生がランチに1000円もかけるとは何事か」という偏狭な批判です。
③貧困なのだから映画を見てはいけない、アニメグッズをそろえてはいけない、と求める批判者は、支援されるべき貧困を「絶対的貧困」と考えています。
④そして、「貧しい者は貧しくしていろ」という懲罰的態度を無自覚に相手にぶつけています。

①については、たしかに「叩く」ことについては、どうかとは思いますが、それについては、まあよしとします。

②についてですが、これが何故「偏狭」な批判なのかが分かりませんが、以降に関係してくるのでしょう。

③についてですが、これはちょっと断定的過ぎる気がしています。

④、これがおかしいと思うのです。別に貧しいものは貧しくしていろと言っているわけではないという人が多くいると思うのです。

 

私は個人的には「絶対的貧困」の人について、救いの手を差し伸べてあげるべき派です。

「相対的貧困」の人について、救いの手を差し伸べてあげるべきではないとまでは考えていません。

ですが、「絶対的貧困」の人と「相対的貧困」の人がいれば、どちらを助けるかは言うまでもありません。

下を見ればきりがないと言われるかもしれませんが、NHKニュースに出てくる貧困の人と貧困と定義してしまうと、その絶対的貧困の人を助けてあげなければという順序がおかしくなる気がするのです。

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この( 「1000円ランチ」女子高生をたたく日本人の貧困観 | 下流化ニッポンの処方箋 | 藤田孝典 | 毎日新聞「経済プレミア」)記事では、

日本の憲法第25条は、相対的貧困の考え方を先取りする形で、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とうたっています。にもかかわらず、日本ではいまだに貧困バッシングが続いています。

とありますが、確かに相対的貧困の方をなくすべきだという主張は分かります。

でも、日本には絶対的貧困な方はいないのでしょうか?

そして、更に不思議なのは、例えば奨学金-貧困-風俗、馬鹿言ってるんじゃないよ。でも書きましたが、奨学金を使って大学まで行けるような人に対して、更に救いの手を差し伸べろという議論があったりします。

更には、生活保護の受給者が増えすぎていて、更には更には、国民年金をもらうより生活保護を受けた方が儲かる的な矛盾まで指摘されています。

こうした様々な矛盾があるのは分かります。

でも、それに対して、本当に日本の社会には、これらの矛盾を覆せるようなチャンスはないのでしょうか?

話が横道にそれているような気もしるかもしれませんが、

NHKニュースに出てくるのは、明らかに絶対的貧困の人ではありません。

相対的貧困の人を救う前にやることがいろいろあるような気がします。

更には相対的貧困の人だったら、誰にでも救いの手を差し伸べてあげようというのは、おかしいと思うのです。

相対的貧困の人が、その貧困を覆すようなチャンスを得る権利がないことについて、救いの手を差し伸べれあげればいいと思うのです。

 

この人は、生命の危険にさらされるほどは貧困していません。

ということは、いくらでもチャンスはあるわけです。

自分のなりたい職業に金がないからつけない、自分の行きたい学校に金がないからいけないなんていうことまで、相対的貧困に入れたら、そのお金は誰が負担するのか、全然考えられていないと思うのです。

 

そうそう、先ほどの日本の憲法第25条だって、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と、権利があることをうたってはいますが、それを保証するとはうたっていません。

 

更に追記しておきますと、バッシングするのは、レベルが低いだとか言う人がいますが、自分が貧困だとか、昔はこんなに貧困だった思っている人がいて、自分、自分のあの時より裕福な生活を送っている人が「貧困で困っている」なんて言えば、怒り出すのは、かなり納得できる感情だと思うのですが・・・・・

 

そういう意味ではNHKニュースは、作りが甘かったのだと思います。

なんだかなあ。

ニュースで映像を使うわけですから、イメージの問題として、貧困だということを全面に押し出せるような映像を作るべきだったのでしょう。

 

(追記)

ちなみにうちの16歳の娘は、現在、居酒屋やコンビニでバイトをして、推計年間100万円近くのペースで労働しております。

それでも毎日のように遊び歩いています。

高校は、受験しても受かる頭がないと自分で判断し、通信制の高校です。

何が言いたいのかというと、相対的貧困とか言っていますが、ちょっとしたお金を稼ぐ位なら、誰にでもできるはずなんです。

 

 

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