歴史


 


 アイリストール市が誕生したのは聖歴97年のことになりますが、その母体となる街バローシャの創設はさらに古く、前聖歴に興ったエルフォード朝オールビー王国の時代まで遡ることとなります。


○バローシャ時代

▼オールビー王国
 オールビー王国がアイリストールを含むロニエル地方へ進出したのは、前聖歴300年代のことです。この時代にアナリシア島を治めていたのはフィアン王国(現ソファイア王国)でしたが、幾度もの戦いを経た末に全島がオールビー王国の支配下へと移ることになります。これは前聖歴324年のことになりますが、この時点では現アイリストールの地にはまだ大きな街は出来ておらず、今の旧市街の中心域に土塁と柵に囲まれた小さな街バローシャがあり、その周辺を湿地と農村が囲んでいるだけという状況でした。
 それから間もなくオールビー王国の内部で分裂が起こり、現ユノスの北部にいたエルフォード家を、ランドレイク島(東島)のラートリー家が倒して、前聖歴285年にラートリー朝ベルメック王国が成立します。ラートリー王朝の治世は約300年ほど続きますが、この間にバローシャは陸上交易の中継地としての地位を確保し、都市へと発展を遂げました。


▼ロンデニア王国の誕生
 バローシャが大きな転機を迎えるのは、ソファイア王国との間に55年戦役と呼ばれる戦いが起こり、それが終結した聖歴65年のことになります。この年、ミュンフ朝ロンデニア王国が誕生するのですが、このミュンフ家が支配していたのが現在のロニエル地方の中心域であったために、王都がバローシャ市(現在の旧市街)へと移されることとなったのです。


○アイリストール誕生

▼遷都
 この当時、大カルドレン島(北島)の支配権がクルヴィス人によるシェヴァリック王国へと移っていたことから、ロンデニア王国は北方の防備を考慮する必要が生じていました。しかし、バローシャの立地は北からの防備には向いていなかったため、現在の環状道路で囲まれている地域に、新たな首都となる城塞都市を建設することになりました。
 なお、都市がこの場所に置かれることになったのには、2つの大きな理由があります。
 まず1つは、現アイリストール市の北にあるローズデン丘陵の頂上に、かつてフィアン王国(現ソファイア)が建設したリオー砦が放置されており、それを北方防備のための要塞として利用しようと考えたためです。なお、この砦は現在は廃墟と化しています。
 もう1つの理由は、ちょうどこの頃に、聖母アリアの娘カナタが没したのが、現在の『風の聖カナタ』教会のある場所だということが判明したためです。ミュンフ家はまだ国内外に敵を残しており、王権の正統性を主張するために教会の後ろ盾を欲しておりました。そのため、王家は教会守護という建前のもとに『風の聖カナタ』教会を守るように市壁をつくり、また、教会建設のためにも多額の費用を投じたのです。


▼アイリストール誕生
 アイリストール市の正式な誕生は、聖カナタ教会が完成した聖歴97年のことになります。市名がアイリストールと名付けられたのは、この時に聖カナタ教会前の広場に1万本の高アヤメが植えられたことに由来します。アヤメはカナタが最も愛した花であり、彼女を慕って後を追った戦士たちもアヤメの騎士を名乗ったと伝えられています。
 初代ロンデニア国王ベルゼール1世は、建国に際して聖母教会への永遠の忠誠を誓っており、カナタに捧げられた高アヤメも王家からの教会への寄進の1つでした。以来、聖母教会は国教と定められ、代々のロンデニア王はアヤメの騎士(ナイト・オブ・アイリス)の代表を名乗ることが許されました。ベルゼール王の墓碑にも『初代ロンデニア王にして、アヤメの騎士の1人』と刻まれています。
 なお、聖母教会は王権を保護しない組織ですから、アヤメの騎士は国家を代表して受け取る称号となります。聖母教会が国教である間は、これを信奉するロンデニア国民全体が、それぞれアヤメの騎士の1人として認められていたことになるわけです。


○エルザ運河

▼問題
 その後、アイリストールは王都として発展を遂げてゆきますが、東部を流れていたミンキッシュ川の氾濫に幾度も悩まされることになります。もともとこの川は真っ直ぐ南北に貫流し、東のマーム川と合流して北へと向かっていたのですが、ローズデン丘陵に続く傾斜地にぶつかるために、現在のエルザ宮殿付近の一帯がよく水没する羽目になりました。また、市は西を流れるレスターファ川を通じて、北部の街との物資のやり取りをしていたのですが、ミンキッシュ川を通じて運ばれて来る南からの物資を送るためには、1度市内で積み換えを行なう必要がありますし、何よりレスターファ川の幅の狭さが大きな問題になっていたのです。


▼エルザの治世
 これらの問題を解決したのが、後に至高女王とも呼ばれるエルザ姫(聖歴212〜271年)です。彼女は若い頃から年老いた父王の片腕として優れた政治手腕を発揮し、やがて王都改造を一手に任されることになります。
 エルザは高名な学者らと協力して計画を立て、マーム川、ミンキッシュ川、レスターファ川を運河によって繋げる一大工事を敢行します。この運河は城塞都市を守る外堀として機能すると同時に、南北の街とアイリストールを連絡させる、重要な交通路としての役目を果たすものでした。こうして、幅50mほどしかないレスターファの流れは、200mもの河幅を誇るエルザ=ロンドとして生まれ変わり、アイリストールの経済を短期間のうちに飛躍的に発展させることになるのです。
 なお、運河建設の際には護岸工事や水門建設、そして上下水道の整備も同時に行ったために、全ての工事が完了する頃には、女王の座に就いていたエルザの引退も間近となっていたそうです。なお、彼女は自分の成し遂げたこの事業を何より誇りとしていたため、かつてミンキッシュ川が流れていた土地を埋め立てて造ったエルザ離宮で、隠居後の余生を過ごしております。
 しかし、そんな彼女にも1つだけ予期できなかったことがあります。それは、エルザ運河を通したために、かつてはあまり見ることのなかった霧に、街が頻繁に覆われるようになったことです。このことから、彼女は霧姫様と呼ばれるようになり、エルザ宮殿の前の通りは霧姫通りと名付けられることとなったのです。


○大市壁グランドウォール

▼城壁強化
 エルザ女王の治世が終わると、強力なリーダーを失った反動から後継者争いが激しくなり、国内諸侯の意見が割れるようになります。そして、エルザ運河によって発展を遂げるアイリストール市と反比例するように、王国の力は衰えを見せるようになります。
 この頃の国王ラルファは悪化するばかりの国内情勢に強い不安を抱き、城壁を強化するための工事を行います。そして、土塁の外側に石を積んだだけの市の外壁を、厚さ5m、高さ10m以上にもなる高塀式の大市壁に改造し、さらにその外郭に堀を設けて、アイリストールを堅固な城塞都市へと変貌させました。


▼内乱時代
 しかし、この頑強な石壁がラルファ王の治世のうちに効果を発揮することはなく、逆に曾孫アルティスに仇なすことになるとは、思いもよらなかったことでしょう。
 聖歴380年代になると、国王アルファリドが病床にあったため、長子であるアルティス王子が政治の実権を握るようになります。しかし、王子が海洋上での同盟を結ぶべくカルネアを訪れていた隙に、異母妹ジャクリーヌ王女による王位の簒奪が行われました。
 その後、アルティスはアルメア王国やカルネアの力を借りて兵を集め、北方より王都を包囲するまでに至りますが、大市壁がジャックリーヌを大いに助け、長い間、堅固な壁を挟んで兄妹がにらみ合う状態が続きました。しかし、裏組合によって逃がされていたアルティスの従兄弟カドルは、王族のみが知る通路から王城へと侵入し、ジャクリーヌを暗殺することに成功します。これによって革命政権は内部から崩壊し、まもなくアイリストールは陥落することとなりました。


○マルグリット王朝の誕生

▼反動体制
 混乱をおさめたアルティス王子は、そのまま譲位によって王位につくことになりますが、先の謀反に対する反動から制度の締め付けや粛正などが多く行われたため、諸侯たちの反発が強まってゆきます。この時、従兄弟のカドルは諸侯との間に立って調整を行っておりましたが、そのために非公式の会談を繰り返したことで、反発した諸侯と親密な関係にあるのではないかと疑われ、やがてアルティスに疎まれるようになるのです。
 カドルはこの仕打ちに怒り、諸侯を味方につけて貴族議会を主導すると、アルティス王を排斥して新たなる議会の設立を宣言します。そして聖歴402年には、これを拒んだアルティスを戦いの末に捕らえて塔に幽閉し、議会によってカドルが新たなる王として指名されました。なお、この時にアルティスが投獄されたのが現在の時計塔広場がある場所で、当時のリュヒース王城はこの塔を含む環状道路の中心地域に建てられておりました。


▼王城移転
 こうしてミュンフ王朝が終焉し、マルグリット王朝(聖歴403年〜549年)の治世へと時代は移ることになります。王朝の移行にともない、現在のアモージュ王宮のある場所に、強固な防衛施設を備えたフレイマー城が新たに建設され、リュヒース城は警察署、裁判所および国事犯の幽閉施設へと役割を変えることになります。しかし、聖歴478年に付近で大火が起こり、貴族を含む多くの刑人が獄中で命を落としたことから、現在の監獄通りに面するレスターファ川沿いに施設が移され、この場所には新たに時計塔広場がつくられました。物見の塔が大時計塔へと改修されたのはこの時のことで、現在は観光名所の1つとして人々に親しまれています。


○絶対王政の崩壊

▼絶対王政
 その後、マルグリット朝は官僚制度や常備軍の整備に力を入れ、絶対王政の基盤を作り上げますが、やがて宮廷の浪費や専制政治に対して人々が反発するようになります。そして、中産階級や下級貴族を中心とした議会は、聖歴514年、国王に対する違憲立法審査権を備えた特別裁判所の設置を定める法律を通過させます。しかし、国王ジオールはその決定を無視すると、武力によって議会を強制解散させて、その後5年の間、完全な専制政治を行うことになるのです。


▼共和政権
 議会はこれに対抗して、将軍であったゼローニア=ローレンスを首長として首都アイリストールを包囲します。ジオール王は王領であるブリッグスに移り内戦に踏み切りますが、小カルドレン島での決戦に破れ、最終的に議会派が勝利をおさめます。そして聖歴525年にジオール王は処刑され、ローレンスによる共和政権が誕生することになるのです。


▼無血革命
 しかし、ゼローニア=ローレンスは革命後の混乱を収める手段を武力に頼り、徐々に独裁者へと変貌してゆきます。これに対して、政治参加を訴える無産市民による急進派は、富裕農民と手を結んでローレンス派に対抗し、議会を通じて無血のうちに政権を手にすることに成功します。そして聖歴549年に、ミュンフ朝の血を引くウィンズリー家からジョセフ王を迎えて、現在まで続くウィンズリー朝ロンデニアが誕生することになります。
 この時点で既に王権の殆どは政治とは切り離されて、国王は実質的な権限を殆ど与えられない象徴的存在として君臨するのみとなりました。ちなみに、聖母教会はこの時点で国教ではなくなり、王家(国民の代表)がアヤメの騎士の代表を名乗る風習も失われています。現在ではアヤメの騎士という称号は聖職者のみに与えられるもので、アイリストールで働く神官戦士がこの名を受け継いでいます。


○都市改造

▼近代国家への転換
 それからのロンデニアでは議院内閣制による政治が発達し、聖歴580年代までには現在の制度の基礎が整い、いちはやく近代国家へと生まれ変わることとなります。なお、この時期に堅固な王城だったフレイマー城は、居住性を重視したアモージュ宮殿へと改築されました。


▼環状道路
 聖歴700年代に入ると、人口とともに交通量も増加し、通りの混雑が極みに達します。このことから都市機能が麻痺する前に対策を施す必要が生じ、先々代のフェルケイ国王(聖歴689754年)の下で都市の大改造計画が進められました。工事は聖歴724年に始まり、市の中央域を取り囲んでいた大市壁の撤去と外堀の埋め立てが行なわれます。こうして城塞都市アイリストールは姿を消し、新たな都市の動脈となる環状道路が誕生したのです。
 なお、この際に都市全域の区画整理や、傷んだ道路の補修工事も全面的に行われています。また、国会議事堂の建設や市庁舎の移転が行われたり、市内の各所に新しい公園が次々と造成されたのも、この時期のこととなります。これらの一連の工事は聖歴730年代の終わりまで行われ、この間を都市新生時代、あるいはループロード(環状道路)時代と呼ぶこともあります。


▼河川交通
 都市改造は聖歴730年代まで続き、かつて赤矢通りの南に置かれていた市場街も、交通の流れを考慮して現在の都市東部へと移設されることとなります。これによって生活必需品の輸送ルートが、レスターファ川から河幅の広いミンキッシュ川へと切り替わり、以前よりも物資の移動がスムーズに行われるようになりました。
 このことは同時に、荷馬車の通行量を削減することに繋がりましたが、ミンキッシュ川沿いに汽船を停泊させるためのドックが多数建設されたために、付近一帯を蒸気機関から出る煤煙が覆うようになり、周辺住民の一部は環境のよい郊外へと移住してゆきました。


○発展〜現在

 その後、アイリストールは首都として発展を続け、少しずつ南へと居住域を広げてゆきます。聖歴740年代には都市の東南部に広がっていた湿地が埋め立てられ、大規模な工業区が造成されました。また、聖歴748年代には南部の町フォーダーが市に併合され、市の中心部から移り住む人々によって新興住宅地が形成されます。
 今も市街地の開発は進められており、周辺の農村部から流入する人々や国外からの移民を受け入れながら、都市は少しずつ郊外へと拡大を続けています。聖歴789年の現在は、フォーダー地区を中心にかつてないほどの建築ラッシュが訪れており、河川を通じて大量の建築資材が運ばれ、様々な重機械がせわしなく動く姿が見られます。
 しかし、無軌道な都市の拡大に行政機構の整備が追いつかず、法の目が届かない場所が新たに数多く生み出されました。これによって治安が悪化し、エルモア地方でもトップクラスの犯罪都市として知られるようになっています。また、資本家と労働者の間に生まれる貧富の差は広がるばかりで、大量の貧民を生む結果となりました。こういった下層市民たちの中には、工場からの煤煙や廃液が引き起こす病に苦しむ者も多くいます。ですが、このような混沌とした状況を改善する策を持つ者は誰もおらず、いましばらくは悪化する生活環境を、指をくわえて見ているだけの状況が続くことでしょう。


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