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〈ことば〉の仕事 仲俣暁生・著 原書房刊 264p ISBN: 4562040009 \1,900(税別) 装丁:平野甲賀 写真:大野純一 誰もが情報を発信できる時代となったいま、「言葉をあつかう仕事」のなかでは何が起きているのか。最前線の批評家、研究者、出版人へのインタビューから探る、言葉の方法論の現在。
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すでに本文をお読みになった方はお気づきのとおり、本書に登場するのは(筆者もふくめ)、一九六〇年代の前半に生まれた人たちばかりである。元号でいうと、昭和三十年代の後半生まれとなる。 そのような世間からの眼差しのなかで育ったこの世代の多くは、一九七九年から国公立大学に導入された共通一次試験(九〇年からは現在の大学入試センター試験)を通過している。この試験にもちいられた回答方式から、選択肢のなかから選ぶことしかできない「マークシート世代」などとも呼ばれた記憶もある。 それまでの世代のように、自国を深く巻き込んだ戦争や、暴力をともなった激しい政治闘争といった表象を欠き、さりとて人口比でいってもさしたるボリュームを形成しないこの世代は、「団塊世代」「団塊ジュニア世代」のようにマスとして認知されることもなく、固定的な名で呼ばれることもなかった。そのかわり、時代ごとの社会風俗のごく限られた一面をレッテルとして貼り付けられることが多かったのは、すでに見てきたとおりである(もちろん、これは世代論一般にあてはまることだが)。 文芸評論家の磯田光一は、『戦後史の空間』という長編評論の「転向の帰趨」という章で、作家の中野重治が雑誌『近代文学』の終刊号に寄せた、一九三〇年代から四〇年代始めまでの、軍国主義に傾斜していく時代に青春時代をすごした自身の世代について述べた次のような文章を引用している。 一九三〇年ころから四十一、二年ころまでをおろかな時代として置いてみてもいい。この愚かな時代を物ごころを持って通ったか通らなかったかが、すくなくとも差しあたりは問題になる。私にとってである。『近代文学』の人びとは多かれ少なかれこの時期を物ごころを持って通っている。ある種の人びとから「愚かな」と見られるかも知れぬ苦労、勉強をして通っている。そのことを私は尊く思う。 中野重治ら「近代文学」の世代ほどの苦労や努力をしたなどとは、とても言えない安逸な暮らしを私自身はしてきたと思うが、本書のインタビューをお読みいただければ、私たちの世代にも、「一九八〇年代」というもう一つの「愚かな時代」というべき時代を、ある「物ごころ」をもって通過した人がいたことがわかるだろう。この世代にとっても、物ごころをもって「愚かな時代」を通過したことには少なからぬ意味があると思う。自分たちの若かった時代をノスタルジックに振り返るのではなく、むしろある距離をおいて振り返れるだけの冷静な目が、一九六〇年代前半に生まれた人間には備わっているように思うからだ。 もちろん、本書はそのような「世代論」を論じることを目的として編まれた書物ではない。 それまで一度も意識したことのなかった自分の属する世代の特徴が、インタビュー取材を重ねるごとに、明瞭に浮かび上がって来たのは私にとって貴重な体験だった。「われわれ」「ぼくたち」といった複数形の主語で語るのが、なににもまして恥ずかしい。私たちの世代にとって、唯一といってもいい共通項はそれである。複数形の主語を拒むことで、平板な世代論をもっとも強固に拒んできたのがこの世代だと言えるかもしれない。だが、そのような「私たち」にも、やはり同世代ならではの刻印はあったのである。 それは、よく言われるサブカルチャーを中心とした様々な共通体験のことではない。世代に偏した共通体験を解読キーにしたのでは、私たちの世代が置かれたわかりにくい位置をうまく伝えることはできないし、だいいち、それでは個人の顔立ちがはっきりしない。そこで、取材にあたっては彼ら/彼女らが仕事においてとっている方法意識や、身振りあるいはちょっとした「仕草」とでもいうしかないような、言葉の表現における身体性に注目することにした。連載時から撮影をお願いしていた写真家の大野純一さんは、単行本化のための追加取材にもすべて同行してくださり、インタビュイーの表情や仕草を毎回、実にみごとにとらえていただいた。本書の文責はすべて筆者にあるが、こころよく取材に応じてくださった九人の方々と、大野さん、筆者をあわせた一一人によるコラボレーション作品として読んでいただけると幸いである。 本書に登場してくれた方々には、取材前から筆者と比較的近しかったり、かつての仕事仲間だったり、この数年は定期的に顔を合わせる関係にある方もいるが、他方で、以前からその仕事ぶりに親近感を抱きつつも、本書の取材時がまったくの初対面だった方もいる。けれども、取材を終えたいま、誰もが以前からの親しい友であるかのような気持ちを、私は彼ら/彼女らに対して一方的に感じている。 ※この文章は、『〈ことば〉の仕事』の巻末あとがきのために書いて、実際には使用しなかった別バージョンです。 |
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