ミャンマー2004 60年後のビルマ
付録

冬 眠 について
 マンダレーの収容所時代、勝三郎の捕虜としての作業は、まったく専門に絵を描いたりデザインをすることだけになっていた。初めはGHQ本部の作業場で描いていたが、それだけでは間に合わず、やがて自宅(収容所)で仕事ができるようになった。

 収容所の中では与えられる仕事のほかに、収容所内で盛んだった演劇の仕事(舞台装置)にも携わったし、自分の描きたいものも描くことができた。この絵本はそうして自分のために描いたものである。画材はマーケットで探してきた染料だった。

 マンダレー収容所では日本兵の間でさまざまのものを工夫して作ることが盛んになっていた。収容所内で売買されていたが、そのうち、自分たち以外の兵に向けた店ができるようになった。 店はやがて常設になり、 インド兵がおみやげにとよく買ってくれた。 勝三郎はマンダレーのスケッチ集を売り、注文があれば似顔絵も描いた。 ほかには模型や楽器などが売られていたという。

 この絵本はまったく売る気はなかったが、戦友達にすすめられて「見せるだけ」と店頭においたものだ。
 ひとりの英国将校がぜひ売ってほしいとたのんだが、頑固に手放さず日本に持ち帰った。

 内容は、ディズニー映画の記憶がつよく影響していることがうかがえる一方、戦闘シーンは結構リアルである。

上のカットは裏表紙に描いたもの。マンダレーキャンプのテントを題材にデザインしてある。

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