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↑ ミャンマーに到着した翌日、ヤンゴンを早朝に出発して、終戦後最初に収容されたシュエレーという村をめざす。途中バゴー、パヤジー、チャイトー、ビリンを通る。 写真はパヤジーの交差点。左はバゴー、ヤンゴン方面、右はマンダレー方面。後ろはシッタン河方面。
終戦後、シュエレーから何か所か移動した後に、ここ、パヤジーの収容所に収容された。
交差点付近は賑わっており、路上の食堂で朝食をとる人もいた。 |
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↑ 「パヤジー収容所へ入所すると、まずDDTの洗礼を受けた」 |
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↑ 「ヤシの葉と竹でできた宿舎。支給の食料は非常に少なく、
手のひらにほんの少しの米を何回も水を足して飯ごう一杯の重湯にした。」
これが一日に支給される米の量だ。
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↑ 「戦場の後かたづけ作業。タバコをふかしながら監視するオーストラリア兵」
作業はほかに、暑いさなかの人力での整地作業など、辛いものだった。
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