我が子の治る力を見守れるようになるまで
--赤ちゃんの湿疹にうろたえた日々-- |
|
曽我部ゆかり(フリーライター・『Reborn』編集)
※この体験記は、長男・桃太郎の誕生から一歳の誕生日を迎えるまでの湿疹にうろたえた日々を綴った記録です。あくまで主観に基づくもので、この体験記に登場いただいた臨床家の皆さんの見解について、理解不足から生じる誤解があるかもしれません。その場合には各氏に深くお詫びしたいと思います。また、私の体験がそのまま読者の皆さんにも適するとは思えません。各人のケースによってアドバイスの内容が変わっていくのが自然だからです。しかし、皆さんの治療の一つの目安にしていただければ幸いと思い掲載することにしました。登場いただいた方の敬称については普段通りお呼びしているものを使わせていただきました。
桃太郎(二〇〇一年九月二〇日生まれ・一歳)
初めて桃太郎の顔に湿疹らしきものができたのは、生後一カ月を過ぎた頃のことで、まゆ毛の上のあたりがほんのすこーしカサカサする程度でした。桃太郎を出産した松が丘助産院での健診では院長の宗祥子さんに、「乳児湿疹だから気にしなくても自然に治ります。なにもつけないように」と指導されました。その後、十一月になって、左のほっぺたが少しカサカサし、よーく見ると皮膚表面がまだら模様のようになって来ました。外気の温度が下がって来た頃だったので、「風にあたってかさついたのかな?」と思いました。
十一月の中旬のある日のこと、私の右のおっぱいが少し張って痛くなってしまいました。その日の晩に悪化したことから、翌日急遽、自然育児相談所に電話をし、所長の山西みな子先生に診ていただくことにしました。山西先生は桃太郎を一目見て、「穏やかできれいな子だねー。宗さんのところで生まれた子はみんなきれい。いいお産だったのね」とおっしゃってくださり、とてもうれしく思いました。
できるだけ生まれてくる赤ちゃんに負担のかからないお産がしたい…。そのために、野口整体のお産の方法を部分的に取り入れている松が丘助産院でのお産を希望し、妊婦健診も順調でしたので、それが叶いました。私は、一九九三年から整体協会に入会し、整体コンサルタントの宝田隆吉先生のご指導を受けたり、本部道場に通ったり、自主的な勉強会に参加したりと、整体の勉強を深めてきました。宝田先生には、桃太郎を受胎して二週目から私の体の変化(骨盤の動き)をとらえてくださり、月を追うごとに母子共々の変化とそれに適う過ごしかたをご指導いただいていました。そして、私自身はそれを受けて、整体の考えを徹して実践していました。ですから、整体流の自然なスタイルでのお産しか考えられなかったのです。
話しは戻って、山西先生は自然育児・母乳育児の指導者の第一人者で、私は、先生の著書『もっと自由に母乳育児』(農文教)を何度も読み共感していました。ですので、おっぱいは腫れて気がかりではあったものの、先生にお会いできるのが楽しみでした。
思えばその当時、私はなにもかも初めて体験する育児に不安が一杯で、緊張していたのでしょう。私の心を先生は見事に解きほぐし、子育てのアドバイスをたくさんしてくださいました。そして、手当てをしながら「あなたはそれほど食事の影響を受けないだろうからなにを食べてもいいわよ」とおっしゃいました。私はそれを聞いて「やったーっ!」と小躍りしました。また、リボーン運営委員代表で高雄病院理事長の江部康二さんにも母乳と母体の食生活についてお訊ねしたところ、「食べ物にこだわる必要はないよ」とのことで、「やっぱりそうだったのかあ」と、思ったものでした。さてそれからです。気の緩みに、慣れない育児に対する不安や、生活が激変したことによるストレスが加速度をつけて、私の食生活は乱れていきました。
妊娠後期から生後一カ月は松が丘助産院の食事指導の内容を忠実に守っていました。宗さんが、「よいおっぱい」のためにすすめている食事の一つの目安は、肉類、脂っこい物、果物、甘い物は摂らないというもの。これは母子共々のアレルギー予防にもなるとのことで、ご飯を中心に副菜は野菜と魚に徹していました。この頃は、ひどい乳腺炎になった人の話をたくさん聞いていたので心底恐れていたのです。
産後一カ月を過ぎ、体力が少しずつ回復してきたためか、乳製品が食べたくなりました。私自身、花粉症があるし、子どもにもアレルギーが出るかもしれないと思い、妊娠中から乳製品の摂取を卵とともに控えていました。その代わりに豆乳を飲むことにし、ガバガバとたっぷり飲んでしまいました。後で思うと、その頃、桃太郎の左のほっぺの湿疹は悪化したようです。と同時にコーヒーも飲み始め、少しずつ食べる物を広げていき、肉類や青魚、甘い物も食べ始めていました。なぜか果物だけは食べる気にならなかったのが不思議です。
はじめて山西先生に診てもらってから一週間後、また先生を訪ねました。ちょうど左のほっぺがの湿疹が目立ってきた頃のことです。
「先生、左のほっぺに湿疹ができちゃって…」と言う私に、「なあに人間の証拠よ」と気楽に流してくださいました。先生によれば、ほっぺの湿疹は豆の物の摂り過ぎが原因で、豆乳は強すぎると言うことでした。その時、「おっぱいの質は決して悪くないのよ。もし、乳腺が滞ってもそれほどひどいことにはならないわよ」とおしゃっていただき、ほっとしました。
桃太郎の湿疹は十二月になると、左のほっぺが悪化し、髪の中にも脂漏がぎっしりでき始めました。肩にはトゲトゲした赤い湿疹が目立ち、脇から背中にかけても汗疹のような湿疹ができ始めました。その他の部位は生まれた時のままでした。部分的な湿疹でしたし、それほど深刻にとらえていませんでした。
でも、この頃、寝ながらよく頭を振っていました。活元運動の一種だと思っていました。しかし、十二月の中旬に再び山西先生を受診した折りにそのことを告げると、「頭がかゆいからよ」と言われ、急にかわいそうな気持ちが増しました。その日、先生に頭の脂漏のケアをしていただき、桃太郎が気持ちよさそうに手当てを受けていたことが印象的でした。「変なものをたくさんつけてさぞ気持ち悪かっただろう」と思い、私自身もケアのしかたを習って帰りました。先生は年末の挨拶を告げる私に、「これからご馳走が続く季節だから、赤ちゃんにごめんなさいって言って食べなさい。そして年が明けたら会いましょう」と、ユーモアたっぷりにおっしゃいました。
山西先生とお話するだけで私の心は軽くなりました。意識してか無意識なのか、天性のキャラクターがなせる技なのでしょうか。山西先生のご指導は手技だけにとどまらず、自然と心理指導もなされてしまうのです。育児中の親子に向ける温かい眼差しにどれほど救われたことでしょう。しかも、赤ちゃんがどんなに泣いていても、先生の腕に抱かれると泣きやんでしまうので、私はひたすら感服していました。
年末には桃太郎も生後百日を迎えました。この頃、よく指をなめるようになり、よだれも出始めました。首も安定してきました。そして、私たち両親が食事をしているとじぃっと見つめるようになりました。私は、そろそろ離乳食のあげ時かな、と思い始めました。野口先生の本にも、また山西先生の本にもその時期があげ時とあったので、食べさせてあげたい気持ちになりました。でも、厚生労働省の指導では生後五カ月ぐらいから始めるようですし、江部さんも五カ月からで充分とおしゃっていました。さらに、松が丘助産院では一歳を過ぎても母乳だけで充分なほどで、離乳食を与えるのは遅ければ遅いほどいいと指導されていました。私自身は、桃太郎の湿疹が食物アレルギーによるものだと思っていたので、母乳以外の食べ物・飲み物を与えることに躊躇していました。
年が明けて四カ月健診を松が丘助産院で受けることにしました。宗さんは桃太郎を一目見て、「なにこれっ。お母さんなにやってるの!!」と電光石火の如くでした。桃太郎は、髪の毛はアラーキーのように逆立ち、髪の中には脂漏がぎっしり、ほっぺは火傷のように爛れて真っ赤です。服を脱がせると肩や腕にもトゲトゲした湿疹があります。宗さんとしてみれば、「あんなにきちんと指導したのになんてこと!」という思いだったのでしょう。宗さんは熱血助産婦さん。びしばし妊婦と産婦をしごいてくださいます。私はその情熱に魅かれていました。
「ちょっとちょっと、曽我部さん、夕べと今朝、なに食べたか言ってごらんなさい。自分ではちゃんとやってるつもりでも案外見落としている物もあるのよ」と言いながら、ボールペンとメモを取りだしています。まるで刑事の尋問のようです。
その日の朝、実はさんまの開きを半身と鳥肉を食べていたのです。私は内心びびっていました。宗さんに叱られるに決まっているからです。すると脇からつれあいが、
「えっと今朝はですね、さんまの開きと鳥肉と雑穀米と小松菜のお浸し、油揚の味噌汁です」とあっさり白状してしまいました。
「さんまあ〜?!」と明らかにあきれ返った様子の宗さん。「ちょっとちょっと曽我部さん。随分ご馳走だわね。さんまとか青魚は脂肪が多くてダメだって知ってるでしょ。この位の小さい月齢の子には鳥肉もまだ早いわよ。雑穀米もおいしそうだけど、お豆とかの脂肪が多いわ」。私はしゅんとなっていました。私にとっては妊娠・出産・授乳・育児はまったくはじめての体験で不安だらけです。そんな私を見守り介助し安産に導いてくださった宗さんに全幅の信頼を寄せていました。その宗さんにこっぴどく怒られているのです。
「お母さんがなに食べてもなんでもない子もいるけどね、出ちゃう子は出ちゃうの。でもね、今だけよ。月齢が上がっていけばなんでも食べられるようになるから。ハイハイする頃には湿疹も治まるし、なにを食べても大丈夫になるから。今だけだからがんばんなさい」と、やさしく、そして力強く励ましてくださいました。そしてほっぺの湿疹は、山西先生のアドバイスと同様に、豆の物が原因だということで、納豆、豆腐はもちろん醤油や味噌など豆で作られた食品を一切やめてみるようにアドバイスされました。
「そうか、今だけならがんばれる。桃太郎にこれ以上かゆい思いをさせてはかわいそうだ。お母さんのストレス解消も大事とよくアドバイスされるけど、子どもがかゆくて泣いているのは見ていて忍びない。それならがまんしたほうがましだし、そのくらいがまんの内に入らない」と思いました。
その日の晩から気をつけていた頃の食生活に戻しました。宗さんのアドバイスに従い、納豆と味噌、豆腐、油揚もやめて様子をみることにしました。醤油はやめずに控えめにし、味付けにはナンプラーなどを積極的に使いました。青魚や鳥肉も控えました。そうすることで、てきめんに桃太郎の湿疹は改善したように見え、「この調子でいこう」と決意を新たにしました。
その一方で、これまで『Reborn』で江部さんや幕内秀夫さん(管理栄養士・リボーン運営委員)の「アトピーと食生活」についての主張を原稿にしてきた私は、読者に伝えてきたことと、自分のしていることに矛盾を感じ始めていました。その矛盾があれこれ頭をよぎっていきます。「アトピーは食生活だけでは語れない」「真に食物アレルギーのある赤ちゃんは十人に一人」「真正食物アレルギーは全身にくまなく症状が出る」「ほっぺに湿疹が出たら豆の物などというのはなんの根拠もない」「お母さんの独断でこれ食べたら出ると思い込むのは危険」「一部の小児科医が思い込みの食物アレルギーを産んでいる」などなど。
しかし、桃太郎が湿疹でかゆがって泣いているのを見ているうちに、かわいそうだと思う気持ちが勝っていき、「食べ物で湿疹が出ることだってある。注意深く自分の子を観察している母親にはそれがわかる。母親の観察眼を大切にしよう」と思い始めました。現に食事を正してから、日に日に桃太郎の湿疹が軽くなったのもまた事実でした。しかし、そのことを江部さんにメールで報告すると、
「本格的食物アレルギーはいつも言ってるように、母親が食べたら、赤ちゃんの全身に満遍なく湿疹が出ます。ただ、おもちやチーズや豆乳など勢いのある物を食べると、湿疹もにきびも蕁麻疹も勢いが出るようです。まあ、本来の日本型食生活が無難ではあります」との返事。その当時、私は困惑していたので、江部さんにも「今更なに言ってんねん」と怒られているような気がして、情けなくなりました。二月の初めのことでした。
二月十四日、産後の願いがようやく叶って、初めて桃太郎を整体コンサルタントの宝田先生の指導室へ連れて行くことができました。生後五カ月になろうとしていました。先生には、桃太郎を受胎して二週目、まだ尿検査でも妊娠が判明できない時期から、私の体の変化(骨盤の動き)をとらえ、それに伴うご指導をいただいていました。先生はその時期からすでに、胎児の存在を手で感じ、どんなふうにこの子がお腹の中で育っていくか、そして「予定日より十日はやく平均より大きく生まれる」と、さりげなく指導の中でおっしゃり、その通りでしたので、私はますます先生を信頼するようになり、明るい気持ちと安心感をいただきました。事情があって産後すぐに指導室へ連れて行けなかったことがずっと気がかりでした。
その日は朝から私の心は弾んでいました。宝田先生に、元気な桃太郎とともに「いい出産ができましたね」とほめていただくことを心に描き楽しみにしていたのです。ところが先生は桃太郎を見るなり、
「母乳だけしかあげていないでしょ」とおっしゃいました。そして桃太郎を抱くと、「六キロの後半ぐらいですか。七キロになっていませんね」とすべて言い当ててしまうのです。体重は百グラム単位でおわかりのように感じました。そして、桃太郎に愉気しながら、
「栄養が充実していない。足の太ももの弾力でわかるのです。栄養が充実してこないとここが緩んでくるのです。母乳は産後二、三カ月からもう栄養がなくなるのです。赤ちゃんの首が座ったら補食(※整体独自の表現で母乳以外の食事)を始めなければいけない。もう首は座っていますよ」
と、いつもは穏やかな宝田先生が今日ばかりは厳しい口調…。
「助産院では食物アレルギーの観点から、離乳食は遅ければ遅いほどいいという指導を受けてます。一歳を過ぎても母乳だけでもいいぐらいで、あげるとしたら重湯からということです」と言うと、
「一歳を過ぎても母乳だけでいいなんて考えられない」とのこと。そして、湿疹については、
「あなたは呼吸器系が弱いので(※この表現は整体独自のものです)子どもには湿疹が出ます。お母さんから受け継いだ体質を変えようとして出しているのです。すっかり出し切れば、きれいな肌になります。抑えてはダメです。恐れずに食べさせることです」
ときっぱりおっしゃいます。
「でも、私が豆乳やチーズを食べたらはっきり湿疹が出たので、こわくなって食べさせるのを躊躇していました」
「食べ物が悪いんじゃないんです。出せる子は強い子なのです。出す力があるのです。小さければ小さいほどいいんです。出せない子は喘息など呼吸器のほうに行くので、小さいうちに湿疹を出したほうがいいのです」
体の中にある勢いをとらえているのだと私なりに理解しました。そして、症状を経過させる、という整体独自の考えと、そして野口先生がその生涯を通じ最も大事にしていた潜在意識教育に基づいた宝田先生のご指導なのだと咄嗟にわかりました。
野口先生はよく指導を受けに来た子どもたちに、「丈夫な子ほど高い熱が出るんだよ」「風邪もひかないで大人になったらヘナヘナな大人になるんだよ」「風邪を通った後は前よりもっと丈夫になるんだよ」と、子どもの心の中に自分の生命力に対する信頼感のようなものを育てようとご指導されていたと聞いていました。整体では治療をするという発想がなく、本来誰もが治る力を持っているのだから、その治る力を引き出すための手助けをしているに過ぎないと考え、整体指導を行っているのです。
「二歳までにはすっかり治ります。私がみている二歳のお子さんも、赤ちゃんの時には毎日シーツが真っ赤になってしまうほどかきむしって血だらけだったけど、それでもお母さんががんばって、今ではほんとうにきれいな肌になっています。お母さんが覚悟を決めることです」と先生。
私は大変なショックを受けていました。まず、「親から受け継いだ体質だから出るのは当然」という言葉に悲しくなりました。「こんなに小さいのに、親からそんな体質受け継いで、それを改善しようとしているなんて…」と思いました。母親が食べている物が悪いと言われたほうがずっと気が楽です。なぜなら食べさえしなければいのですから。でも一番ショックだったのは、「血だらけになってもなにもしない」ということでした。
「かゆがってよく泣きます。血だらけになってもそのままにしておいたら心へのダメージは心配ないのですか?」と質問しました。すると
「薬で抑えてしまうと思春期に再発するのです。そうなったら私には治せません。今抑えなければ必ずすっかりきれいな肌になります」
と厳しい答えが返ってきました。私は泣きたい気持ちで一杯でした。かゆがっているのになにもしてあげられないのか、とぐらぐら心が揺れていました。すべてを先生には見透かされているようでした。
そして、補食の予備食として、二カ月遅れですが、純粋はちみつを熱湯で溶いたものとヨーグルトを食べさせるよう指導されました。(一般的には乳児ボツリヌス症の予防のため一歳未満の乳児には与えてはいけないことになっています。私は必ず純粋はちみつを購入し、熱湯で溶いています)。しかも、本部ではもうこの時期にはとっくにウナギの蒲焼きやステーキを食べさせているということでした。赤ちゃんにはまず動物性の食品から与えるというのが整体のやりかたで、それは赤ちゃんは胃の酸が強く、動物性の食品を消化しやすいからなのだそうです。母乳も動物性です。先生のお子さんはもちろん、整体のやりかたで育った子はもう何十万人といるでしょう。私は野口先生の本を読んではいたのですが、食養の考えを持っていたことと、首が座った時期と湿疹が活発になった時期が一致してしまったために、躊躇してしまっていたのです。
最後に先生に、「誰がなにを言ってもあなたの子です。助産院の指導をとるか、整体の指導をとるか、道を決めなさい」とまで言われてしまい、普段はむやみに医学や他の治療法や健康法を批判したりすることのないニュートラルな考えをお持ちの先生なだけに、私はどれほど深刻に指導されているかがよくわかりました。
整体では、女の子は十三カ月、男の子は十五カ月の間の栄養の充実を潜在意識の方向づけとともに最も重要に考えています。その期間は、一人で立つことができるまでの期間、つまり依存期で、その子の人生の土台となる大切な時期。その期間に栄養を充実させておくことの大切さは、将来、体が弱ったり、病気をした時などの回復に大いに影響があるからです。私は覚悟しました。そして家に帰ってすぐに純粋はちみつレモン水とヨーグルトをあげてみました。桃太郎はまさにそれを欲していたかのように、ぱくぱくと実に良くたいらげました。以来、はちみつもヨーグルトも大好物となり、驚くほどたくさん食べますが、それによって湿疹が悪化したことは一度もありません。
それからは毎月ご指導を受け、先生のおっしゃる通りに食べさせる物を増やしていきました。魚や肉類、バターやチーズなどもあげていきました。牛肉は一番好きで手づかみでむしゃむしゃと食べます。たまごボーローや、クッキー、トーストなども好きです。穀類は八カ月ぐらいからで充分なのだそうで、あげる場合には、お米より小麦粉のほうがいいということでした。実際にあげてみるとお粥などのご飯類より、小麦粉の製品のほうをより好んで食べたので、不思議なほどでした。桃太郎の場合には、十カ月を過ぎた頃からおにぎりが好きになり、手づかみで食べるようになりました。また、野菜をあげてもそのままの形で便になって出てきてしまうということでしたが、あげてみるとその通りだったので、栄養にはならないのだろうと思いました。
このように世間の常識からすれば、整体は独自の考えをしているように感じられることでしょう。私も整体の勉強をずっとして来てはいても、初めての子育てにおいては、身近な人たちとの意見の食い違いなどから余計な迷いが生じ、なかなか徹することができずにいました。迷いが生じた時には江部さんにメールで相談しました。その時いただいた返事をご紹介します。
やや迷走中の※子連れあくび猫さんへ(※私のハンドルネーム)
とりあえずリラックス、そして自信を持ってあせらずにゆったりと…ぼちぼちで…。いやはやなかなかいいお勉強になりましたな。はっきり言って助産院さんと整体さんの中間がまあ一番普通です。赤ちゃんは本当に一人ひとり違うので、助産院風がいい時も整体風が適している時も各赤ちゃんによってあるでしょう。
ちなみに二股猫さん的にアバウトな離乳食指導でも(いやいや、アナフィラキシーショックを除いてはかえってアバウトなほうが!!)赤ちゃんは良くなります。赤ちゃんの持つ自己治癒力は、よほどアホなことして足を引っ張らない限り育っていきますから。その意味では、私は整体派かしら? もっとも赤ちゃんによっては除去食が必要なこともありますよね。桶谷式の助産婦さんたちはよく勉強してたくさんの赤ちゃんをみてきた人が多いけど「二歳まで母乳飲ませろ」という立場の人さえありますね。それで赤ちゃんが栄養失調になったと聞いたことはありません。桶谷式で育った赤ちゃんはすでに数十万人以上はいると思います。
ま、結局どっちでも子は育ちます。母親が桃太郎の力を信じてさえいれば大丈夫です。助産院さんも整体さんもいずれも経験を積んだ信頼できる人たちですよね。私は『Reborn』の記事やメールからそう思いました。後は、その都度あくび猫さんが自分で主体的に判断しつつ子育てすればいいです。極端に言えば、育てやすいほう、都合のいいほうのやりかた(いいとこ取り)を選んでもいいぐらいです。メチャクチャ偏ったことをしなければ赤ちゃんは育ちます。神様はそれぐらいのサービスはしてくれてます。それではまた。三月六日
※二股しっぽの猫さんより (※江部さんのハンドルネーム)
いつもながらに江部さんの「ぼちぼち行こう」というノリに、ふっと肩の力が下りていくのを感じました。同時にとても幅広い見解と思いやりを感じました。「神様はそれぐらいのサービスはしてくれてます」にはじ〜んとしました。
話は戻って、整体のやりかたでいこうと覚悟が決まると、なんの矛盾も感じなくなっていきました。そして、自然に則したやりかただと思うようになりました。
桃太郎の湿疹はたしかに勢いがあって、中から中から出ているように見えました。毎日抱っこしながらおっぱいをあげ、そのほっぺを観察していた私には、「この勢いのある湿疹に薬をつけても無駄だろう」と思えてなりませんでした。
江部さんには、「生活の質が冒されるようだったらステロイド外用剤を使うことも考えればいい」とアドバイスされました。しかし、「他に道はないだろうか。生まれたばかりの赤ちゃんの、しかもそれほど重症ではないケースに、本当にステロイド外用剤は必要なのだろうか?」と思いました。そして、「生活の質を守る」ということの意味を、自分の生活に照らして考えてみました。私は夜は充分寝ていました。授乳しながら昼寝もしていました。桃太郎も湿疹はあってかゆくてつらいだろうに普段は朗らかで元気一杯、しかもよく寝ます。幸いに私自身が整体を勉強してきたことが功を奏し、うろたえながらも、気長に看護する心のゆとりはありました。つれあいも整体に取り組んでいるので方針がずれることなく、夫婦二人三脚で、育児と家事、仕事に取り組めたのも幸いでした。
欧米では、ステロイド外用剤はアトピー性皮膚炎においてはファーストチョイスと言うことですが、桃太郎の湿疹においては最後の切り札だと思いました。最後の切り札があることは安心につながります。でも、その時の私たちには必要ありませんでした。もし、この子自身の治る力、症状を経過させる力を信じられなくなったら、ステロイドをはじめ薬を使った治療を選べば良いのだと思いました。
私はずっと江部さんと宝田先生の「一歳半から二歳までにはすっかり治る」という言葉を信じていました。この子には治る力があると思えたのです。宝田先生には、この時期のご指導で「体が柔らかくて跳ねる力が強く、大きな声が出るのは元気な証拠」と言われていたのも安心材料となっていました。また、松が丘助産院で生まれた他の赤ちゃんたちの中で湿疹がある子はみな少しスリムな体形で元気一杯なのも印象にありました。
そして、不思議なことに、補食を始めるとみるみる湿疹が軽くなっていきました。翌月宗さんにお会いした時には「すっかりきれいになったわね」と言っていただきました。しかし、「すっかりきれい」が続くわけではなく一進一退でしたが、全体には改善していくのがわかりました。四月に宝田先生の指導を受けに行った時には、「お母さんの覚悟が決まったら出なくなったのですね」とおっしゃっていただきました。私はまさにその通りだと思いました。
五月下旬から六月にかけて、桃太郎の湿疹はいったん見事にきれいになりました。でもその後、梅雨の時期になると汗疹ができるようになりました。再び、ほっぺにも湿疹が目立つようになりました。でも、その湿疹は前の湿疹と明らかに質が違い、体の中から出ているようには見えませんでした。ほっぺの湿疹は、江部さんのご指摘の通り、よだれや食べこぼしなどにかぶれてそれを擦ってしまうためになかなか治らないようでした。
その後、真夏にはやはり多少汗疹が出ることもありました。そんな時には宝田先生の指導に基づき、湯船の中でガーゼを用いて、肌をやさしくていねいに擦ってあげたり、蒸しタオルを作って小まめに汗疹のあるところに当ててあげていました。軽い汗疹はそれですっかり良くなっていきました。考えてみれば汗腺がつまって汗疹ができるのですから蒸しタオルを当てれば通りが良くなるのです。そんなシンプルな手当て法があるのですから活用しない手はありません。
九月二〇日に、桃太郎は一歳の誕生日を迎えました。その二週間ほど前から下痢症状になり、食欲が落ちていましたが、元気は変わらず一杯でした。誕生日の前の日に、熱を出したのですが、それを境に湿疹がたくさん出てきました。ほっぺはかわいそうなほどでしたが、それよりも、今まで出たことのなかった腕や肘の裏、膝の裏やお腹にも出てきました。熱によるものだろうと思ったところ、やはり熱が下がると同時に湿疹もどんどん軽くなりました。熱が出ればそれで精算です。この時の湿疹に関してはすぐに経過するだろうといくらか安心して見守れました。
二六日に宝田先生にみていただきました。季節の変わり目には出やすいものだし、つかまり立ちをしたり、体の変化がある時期には湿疹も出るということでした。体の変動としてとらえているのだと理解しました。しかも、
「かきやすいところに出ているので、それほど心配ありません。体の内部の勢いが充分にあって元気なので、しばらくは湿疹が出るけれど大丈夫です」とおしゃっていただきました。そして、寝ている間に足の指を一本一本引っ張ってあげると良いとのことでした。先生に「あまり咳はしないですね」と聞かれましたが、その通りでした。元気がなければ咳をしたり、喘息などの形になって出るということです。
夜中にかゆがってわっと泣くことがあったのですが、その対策として、寝ついてから一時間ぐらい経ったら着替えをさせるようとのこと。子どもは寝ついて一時間ぐらいの間に非常に汗をかき一旦引いて、その後皮膚についた汗が冷え、服も湿気を帯びているので、三時間ぐらいでかゆくなるのだそうです。いつもかゆがる時間と一致していたので、すぐに実行に移すことにしました。試してみるとその日から、ぐっすり朝まで寝るようになりました。操法を受けた翌日には、良い便がたっぷりと出て、湿疹もみるみる減っていました。
今現在、湿疹はかなり引いてつるつるな肌になっています。しかし、これから一歳半か二歳ぐらいまで、季節の変わり目などに、一進一退を繰り返すのかもしれません。しかし、湿疹だけに目を奪われることはもうないでしょう。それは宝田先生のご指導が、湿疹だけをみていなかったからで、そのおかげで私自身が、桃太郎の内なる勢い、生命力をみつめることができるようになったからです。症状は決して悪い面ばかりではないということを教わりました。
整理して考えてみると、宗さん、山西先生、宝田先生、江部さん、それぞれの専門家のアレルギーと湿疹に関する見解はみな違っていました。私はこれだけの豪華メンバーに囲まれ、あっちでふうふう、こっちでふうふう、していたのです。振り回されて自分の意見を持てないことをなにより情けなく思っていました。「赤ちゃんの育つ力をおおらかな気持ちで見守っていれば歯が生えそろうまでには必ず治る」という江部さんの言葉を幾度となく原稿にしてきたのに、実はそれが一番むずかしいことであるのだと痛感しました。
また、親しい人に「こんなにひどい赤ちゃん見たことがない」と言われたり、道ですれ違う人に「アトピー? 大変ね」などと言われて様々な治療法を勧められたりもしました。そんな無神経な言葉に、正直とても傷つき、心が乱れました。心静かに子育てしたいとつくづく思ったものです。
念願だった母乳育児が順調で、親子共々、なんとか湿疹を出したりしながらも大らかな気持ちでいられるのは、やはり、妊娠・出産・授乳・育児を通して、未熟な私にアドバイスしてくださった皆さんのおかげです。まだ母親になりたてで、しかも核家族で子育てをしていかなければならない環境の下で、赤ちゃんが湿疹を患うという事態は決して楽なことではなく、そんな時身近でアドバイスをしてくれる専門家の存在は真にありがたいものです。
とどのつまり、最終的にどの考えかたでもいいように思うのです。親の思惑とは別に子は一人立ちし育っていくでしょう。でも、やはり親としての道は決めたい。子育てに理想を持ちたい。私はそう思います。そのためには、自分にとって一番心が軽くなれるやりかたを選べばいい。江部さんのおっしゃる通りなのです。また、そのためにネットワークづくりというものも、なにより大切なことだと思うのです。 自身の体験をリボーンの活動に反映させていくことが、これからの課題となりました。
●体験談に寄せて 江部康二
なかなか臨場感にあふれる体験記で参考になりますね。治療者側にも患者さん側にも両方に参考になります。迷走中のころの記述は読者の皆さんも似たような体験があるはずで、共感してもらえると思います。最後に自分は整体流でいったけどいろんなやりかたがあっていいというニュートラルなコメントをいれたのはとてもいいです。
あくび猫さんが基本的に整体流でいくと決意した時に迷いがなくなり、その安心感・安定感が、桃太郎やひっくり猫(つれあいのこと)にも伝わり曽我部家全体がほっと一息つける場になったんだと思います。それが大きい。宝田先生の説に二股さんも大賛成です。桃太郎には除去食や食養生より、肉を食べる整体流が良かったのかもしれません。あるいは、除去食や食養生流でもそれなりにいけたのかもしれません。ともあれ、迷走しなくなったのが一番です。
私が除去食のマインドコントロールを解除していくときも、「信頼関係が少しできて一歩一歩食べるものを増やし、大丈夫なのを確認しさらに信頼関係ができて」のいいほうへの繰り返しが赤ちゃんの自己治癒力を高める上でとても大きいのです。治療者との信頼関係とお母さんの心理的安定があれば実はどのような治療法でもうまく行くようです。
※整体について興味のある方は、現在二〇万部突破で話題となっている復刻版『整体入門』(筑摩書房)をご覧ください。また、整体流の育児に関しては、野口晴哉著『誕生前後の生活』『育児の書』『叱り方褒め方』、野口昭子著『子育ての記』(共に全生社)を参考にされると良いと思います。
|