俳 句 の 歴 史
10人の俳人とその作品
第4章
正岡子規(1867〜1902)
まさおか しき
正岡子規は芭蕉に対する批判者として俳句界に登場し
た。子規は評論「芭蕉雑談」の中で、芭蕉の高名な俳
句を次次批判した。芭蕉の業績を全面的に否定したわ
けではないが、芭蕉の俳句には説明的かつ散文的な要
素が多く含まれており、詩としての純粋性が欠けてい
ることを難じたのであった。
一方子規は、それまで十分に認められていなかった蕪
村の俳句を賞揚した。蕪村の俳句が技法的に洗練され
ており、鮮明な印象を効率よく読者に伝えている点を
高く評価した。
西洋の哲学に接した子規は、文学や美術において、事物の簡潔な描写が表現と
して大きな効果を上げると確信し、「写生」の手法の重要性を説いた。こうし
た考えから、子規の俳句は視覚的なものとなり、かつ簡潔なスタイルを持つよ
うになった。
子規の俳句革新は日本中に大きな反響を巻き起こし、低迷していた俳句界は活
気を取り戻すことになった。
あたたかな雨が降るなり枯葎
氷解けて古藻に動く小海老かな
大砲のどろどろと鳴る木の芽かな
涼しさや松這ひ上る雨の蟹
蓮池の浮葉水こす五月雨
汽車過ぎて烟うづまく若葉かな
半日の嵐に折るる葵かな
月も見えず大きな波の立つことよ
蔦さがる岩の凹みや堂一つ
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
子規は「連歌形式の俳諧」の文学的価値を否定した。また発句に代わり俳句と
いう呼称を常用した。今日、連歌形式の俳諧は「連句」と呼ばれ、一部の愛好
家のみが制作に携わっている。
執 筆 四 ッ 谷 龍
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