日本の道徳ー偉人達の生き方に学ぶー

日本の歴史上、キラ星の如く輝く偉人達のエピソードを、随時アップしていきたいと思います。



教育勅語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國軆ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ挙挙服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日

御名御璽


中江藤樹と熊沢蕃山

憂きことの なおこの身の上に 積もれかし 限りある身の いのち試さん(熊沢蕃山)

 蕃山は、山の上の一寒村で貧しい暮らしをしていた百姓の家に生まれた人である。もっとも血筋は大変良かったらしい。落ちぶれて、結局は山家住いの身になったが、やっぱり血筋がいいだけに、学問を志して、自分の畠に出来た野菜を担いでは、村々、町々に売って歩く傍ら勉学に勤しんだ。

 山二つ越した所に、中江藤樹が住んでいた。中江藤樹というと、儒者で我が国陽明学派の祖、その当時の優れた学者である。もちろん、身分の卑しい者は武士の講義する席上に入ることは許されないから、蕃山は講義の始まる時間に来て、垣根の外でうずくまりながら、垣根越しに中江藤樹の講義を聞いていた。そうして暫く月日が過ぎたある日、門弟が気づいて藤樹に話すと、
 「そうか、それでは庭に入れてやれ。下郎の身だから座敷に上げることは出来ないけれども、庭ならよいから入れてやりなさい。そして廊下のところで聞かせなさい。」
 と言って、講義を聞かせた。
 そして講義が終わった後で中江藤樹が、
 「そんなに私の講義が聞きたいか」と聞くと、
 「ハイ、雨の日も、風の日も、こうして先生のお話を聞くのが、私の何よりの勤めだと思って参っております。」
 「そうか。お前の所は一体どこかね。」
 「二つ山越した向うでございます。」
 「そうか。そうすると歩いて来ると四時間位はかかるねえ。」
 「ハイ、四時間はかかります。」
 「どうだ、聞くところによると、年をとったおっ母さんとお前だけだということだけれども、うちの馬小屋が空いているので、馬小屋に来て住んではどうか。おふくろさんも、ここで時折話を聞くということになれば、四時間も山を越えて来なくてもいいではないか。」

 この時蕃山は何と答えたか。

 涙を流しながら、
 「ご親切なお気持ちは、よくわかります。けれども、私は、山二つ越えてここへ来るからこそ、辛抱甲斐があると思っております。お宅にご厄介になっては、大して疲れも感じないで、居ながらにして、お話を聞くなんてことは、勿体ないことでございます。やっぱり今まで通り、働いた挙げ句、二つ山を越えてここへ参り、お話を承る。これがもう一番、私の気持ちの中に、励みが出ますので、どうかそうさせて下さい。」
 と言ったという。(中村天風著「運命を拓く」(講談社)より)