千田好夫の書評勝手

障害者は悲惨か?(2)

障害者は悲惨か?(1)より続く

2. ヒトラーはなぜ、安楽死を法制化しなかったのか

T4計画はあくまで国家秘密であった。前線の兵士への影響や障害者の家族と教会関係者の抵抗が予想されたからである。しかし、煙突からあがる煙や、頻繁な患者の輸送によって、付近の住民はそこで何が行われているのか知っていた。不審な死に遺族が抗議の声をあげ始めた。独ソ戦のさなかの独裁政権は、国民の抗議を無視できなかった。そこで法制化が検討されたが、すでに大量虐殺が行われており、ヒトラーは虐殺を法律で正当化できないことをよく理解していた。カトリック教会が反対を鮮明にしたところで、41年8月24日にT4停止命令(※3)を出さざるを得なかった。

以上は本書の要約だが、安楽死を法制化できなかったのを、本書の様にヒトラーの「理解」に求めるのは重大な誤りである。ヒトラーがそうしなかったのは、そもそも国家とか法秩序とかを軽蔑していたことが、まずあげられねばならない。いや少なくとも、障害者の場合は、侍医のブラント等への安楽死委嘱状が渡されていた。つまり、ヒトラーによる文書命令があった。しかるに、そのあとに続くポーランド人、ロシア人、ユダヤ人の大量虐殺には、このようなメモもなく口頭で命令が伝えられただけだったのを忘れてはいけない。しかし、いずれの場合も命令は忠実に実行されたのは周知の事実だ。

ちなみに、94年オランダ、95年アメリカ・オレゴン州で安楽死法が成立した。それらがどのようなものなのか、ナチスのそれとどんな関連があるのかないのか、本書では、まったくふれられていない。せめて、〈あとがき〉にコメントがほしかった。

3. 思想的背景

障害者抹殺の思想的背景になったのは、自然淘汰と適者生存の原則を人間社会にあてはめようとした社会ダーウィニズムであった。やがてそれは、家畜の品種改良(育種)を人間に応用した優生学と合流した。優生学は、社会と障害者自身のためと称し、障害者の断種と施設収容を提唱し、欧米でかなりの程度普及した。さらにドイツでは、第一次大戦後の経済混乱の中で、障害者は健康な人間が消費すべき資源を不当に消耗していると非難されるようになり、障害は恥という認識が急速に広まった。ドイツの優生学は、「治癒不能」ならば抹殺が「慈悲」であると、障害者の抹殺を公然と唱えるようになった。その意味で、ヒトラー、ナチスドイツの動きは何等創造的なものではなかった。

このような思想史的まとめは、目新しいものではないが、気になるのは、ナチス・ドイツの歴史的状況に規定された事態を、「創造的でない」としていることだ。言い換えれば「普遍的傾向」ということになり、全世界をあえて敵にまわしてしまうことになる。優生思想は世界に蔓延しているが、国家的規模で徹底的に遂行したのは、ナチスドイツの後にも先にもないのだから、障害者の隔離・収容・抹殺をめざす動きを、ヒトラー・ナチス的であると批判するのは非常に有効なのだ。

4. まとめ

これらのことを踏まえた上で、筆者が〈序論〉でいう「教訓」を、どのように生かすべきなのかを、幾千万の無惨な犠牲者の死を無駄にしないためにも、きちんと著者が自ら指摘してほしかった。とりわけ、筆者の故国アメリカでは、世界に冠たるADAがあるのだから、国家の制度として障害者の人権を保障することが現実に可能であることを、はっきりと述べることができるはずだ。筆者自身、ポリオの後遺症による車イス使用者なのだから、この欠落(※4)はとても意外で残念だ。いくらかほっとさせられるのは、〈あとがき〉で「あわれみ」を断固拒否する現代ドイツの障害者の姿勢が紹介されていることだ。

※3 この停止命令も公的文書がなく、伝達されただけだった。なお、本書はふれていないが、この時点で精神病院に収容されていたほとんどの患者の処分が終わっていたT4本部は存続した。『ナチス もう一つの大罪 ――「安楽死」とドイツ精神医学』P118(小俣和一郎/人文書院【Amazon】)

※4 本書は、400ページを超す大著であるのに、ADAはわずか数行があてられているにすぎない。本書しか読む機会のない多くの読者を想定してほしい。