千田好夫の書評勝手

きたるべき世界

社会保障のストーリーより続く

なぜ「眉唾」かといえば、将来の世界人口が80億人にとどまるという仮定が、第1の理由。まず、2000年現在で60億人として、わずか20億人増にとどまるという根拠がない。日本の人口は、幕末のおよそ4倍、1920年代からみてもおよそ2倍となっている。俺たちはこれだけ増えたけど、君たちはせいぜい3割増にしておけ、ということになるのか?

第2の理由は、人口問題と同じ構造だが、環境や資源の問題がある。特に、資源の開発余力が現在知られているより2倍はあるという仮定だ。94年9月、アメリカ西海岸を上空から見て驚いたのは、森林を剥がれた茶色の大地が延々と続く異様な光景だ。アメリカの友人に聞くと、畑の作付けの端境期なのではないかということだった。もしそうだとして、あと少なくとも20億人分の食料が必要なのだから、砂漠に田畑を作るわけにはいかず、さらに森林の破壊が必要だ。アマゾンをはじめとする熱帯雨林がその犠牲になるのは目に見えている。鉱山開発もより地中深く、さらに極地方、海面下に及ばざるをえない。それとも発展途上国は、先進国がすでにやってしまった工業の育成や農地開発をしてはいけないのか?

第3には、このようなさらなる開発を行っても、環境に負担を与えない技術が見いだされるはずという前提(空手形?)がある。

つまり、筆者のいう「環境親和的な」「持続可能な均衡ともいうべき」全地球的な高齢化社会とは、どうすればできるものなのか見当がつかない。このままでは筆者自ら認めるように「絵に描いた餅」なのだ。環境にこれ以上の負担をかけずに餅を食べるには、先進国から途上国へ、所得と技術の強制的な再配分が必要だ。先進国住民のライフスタイルの変革にとどまるというのんきなものではない。それには「世界政府」が欠かせない。しかし、筆者はのどから出かかっているのに、慎重に「世界政府」の議論を避けている。一研究者には出過ぎた提言になるからだろうか。あるいは、ECのように、世界政府樹立の前に社会保障を世界標準にしていくことで、外堀を埋めていく構想かもしれない。いずれにしても、このへんをはっきりさせないと、高齢化社会といっても心配いりませんよ、なにしろ持続可能なんですからね、というご託宣だけが残ることになる。

それでは、全地球的な高齢化社会とはいかなるものなのか。ところどころで筆者が示唆していることによると、一人あたりの平均年間工業生産高が350ドル程度、子どもと高齢者を含めた「従属人口割合」は50%、日本でいえば敗戦直後のような状況だ。そういう世界での「社会保障」は、基礎年金、介護、基本的な医療の水準を据え置き、税や社会保険でまかなう。それ以外の二階建ての分を大幅に増やして市場原理に任せる。なにやら肌寒いが、ある程度の人口を維持しながら、「環境親和的」「持続可能な」全地球的高齢化資本主義社会とは、そういうものらしい。

よし、それをはっきり言ってくれ。インクルーシブな生活は、社会の物質的な「豊かさ」や「貧しさ」にかかわらず構築するものだし、そうすべきものだ。ところが、物質的保障がなければ不可能だという思いこみが、「まだまだ豊かな国」日本には根強いのだから。