千田好夫の書評勝手

社会保障のストーリー

介護保険が施行されて一年。さまざまな事態が進行している。目につくのは雨後の筍(そろそろ季節ですね)のようにできた、介護ビジネスやNPOの撤退である。あるいは整理統合の時期なのか。介護される方からすれば先行き不透明感が強まったといえる。そして障害者で他人介護やホームヘルパーを利用している人たちも、ぼつぼつ介護保険に組み込められ始めている。経済情勢の悪化が伝えられるなかで、ヘルパー資格のない友人たちの介助に対する助成がなくなってしまう不安は大きい。

この不安はそれとして今後考えていきたいと思っているが、それでは、社会保障全体はどういう動きなのであろうかと、本書を読んでみた。日本のこれまでの社会保障は、社会福祉と社会保険制度を二つの柱として発達してきた。というと聞こえはいいが、高度経済成長を前提として、場当たり的に、まさに「ばらまき福祉」として進んできたことが本書でよく明らかにされている。

しかし、右肩上がりの経済成長はもはや望むべくもない。それでは今後どのような展望があるのかとなると、著者は次のように述べる。

『産業化社会』とは、一方において、"健康な、壮年男子"を基本モデルないし価値規範として構成された社会であり、同時に他方において、"資源の無限性と環境制約の不在"ということを暗黙の前提として作られている社会であった。社会保障の中心的な課題が「高齢化問題」へと変容し、また環境問題のそれが「地球環境問題」へと変容するということは、まさにこうした産業化社会を支えた基本的な価値規範や前提自体が、同時に問い直されるということになる。...その発展それ自体の帰結として、到達したのが「高齢化社会」というステージであった。しかもそれは、ある意味で逆説的にも、「老いや障害、病いといったものが、"普遍化"する社会」という、産業化社会における価値そのものを根本から「反転」させるような社会である。環境問題についても同様のことが言える。このようなレベルにおいても、社会保障ないし福祉国家をめぐる問題と、環境問題とは、相互に深く浸透し合っているのである

高齢化と環境問題を結びつけて論じているのは、卓見であろう。この二つの関係は何かといえば、それは「人口問題」である。

…高齢化社会というのは自ずと「総人口」においても定常ないし均衡に向かった社会、ということになる。...一方、人口問題と地球環境問題との相互関係については指摘するまでもないであろう。人口の増加それ自体が、資源の消費量や環境への負荷を高め、様々な環境問題と結びつくことになる。...例えば地球温暖化について見ると、CO2排出量増加に対する人口増加の寄与率は、1985−2025年で全体の50%となっており、相当大きな比重を占めていることがわかる。

はてな? と次を見ると

結論からまず記すと、それは次の二点に要約される。

  1. 「高齢化社会」とは本来「環境親和的な社会」のはずであり、またそうあるべきである。
  2. 私たちがゴールとして考えるべきなのは、先進国・途上国を含めた「持続可能な均衡」ともいうべき世界の姿である。

んーっと、これは眉に唾をつけねばなるまい。(「来たるべき世界」へ続く)