2003年 無着邦彦介助者会議報告

2003.12 こだわり? いろんなけーすがあります

邦彦さんとつきあっているとほんとうにいろんなこだわりに遭遇します。私(たち)にとってもなんとなく理解できるものから、よくわからないもの、気持ちはわかるけれどそんなにこだわらなくてもいいじゃんと思ってしまうものなどさまざまです。今回はそんな邦彦さんのこだわりの一端を紹介してみようと思います。

例えば食事の際の飲酒について。金曜倶楽部や夕食の時はビールを飲みますが、とにかく注ぎたがります。端で見ているといわゆる「酒好き」に見えてしまうけれど、どうもこれが違うみたい。ようは瓶や缶を早く空にしたいというのがあるようです。それを終わらせることで次の行動(早く食事を終えて介助者といっしょに寝たいなど)に直結していることもあるけれど、いつもそうとは限らない。問題はアルコールが入ることでそれがこだわりなのか単に酔っ払っているのかわからなくなってしまうのです。邦彦さんのペースに合わせて飲んでいたら本人も介助者もあっという間にできあがってしまう。それはまずいので「じゃあ私の分がなくなったら注いでいいよ」などと介助者がブレーキをかけるのですが、今度は介助者がご飯のお代わりを邦彦さんにお願いすると「あとでよそる!」じゃあ私が自分でやるからというと「(自分の分を)食べ終わったらよそる!」お返しとばかりにお預けを食わされることもしばしば。

柿のたねから柿の木ハウスへの帰り道。道路を歩く場所と歩道を歩くところがしっかり決まっていて、そこにこだわる。途中お米屋さんの前を通過すると「お米屋さんの道路もたない!(そこを通るぞという意志表示?)」などと叫んだりするのですが、歩道を通ると決めているところにたまたま車が乗り上げて駐車していると、その場で固まってしまいます。脇を充分すり抜けるスペースがあっても、いつも踏んでいる場所がふさがっていると納得いかないようで、周囲をきょろきょろ見まわし、車の持ち主がいようものなら発進するまでテコでも動かないこともあります。寒空の下早く帰らないと風邪ひくよとうながしても、帰っておいしいご飯作ろうよと懇願してもこだわりが強い時はなかなか聞き入れてもらえません。その時介助者はその結果起こることを邦彦さんに伝えて、持ち主がいないときや差し迫った事情がある場合を除いてつきあうことになります。

他人には理解できないことでもそれが本人にとって健康面や社会性において著しい不利益にならないことなら仕方がありません。誰にだって多かれ少なかれこだわり(ジンクス)はあるものだし、それを介助者(第三者)がとやかく言うのも違う気がします。もちろんケースバイケースなのですが、そういったこだわりにきちんと目を向けていくことが本人への理解につながっていくのではないかと思うのです。最近は落ち着いてきて、あまりこだわりが強くない邦彦さんですが、ひょんなことから発見する新たなこだわりに出会うたび、なんだかとっても楽しくなってくるのです。

(チェリー)

2003.11 最近ちょっとうれしかったおはなし

前回書いた、邦彦さんのダイエットのお話。けっこう反響がありました。

確かに最近やせてきたよね?とか、食欲がないのは病気とかじゃないよね?はたまた邦彦さんを見習って週一回の断食ダイエットを始める介助者もいて(それってリバウンドが怖くない?)、みなさん関心をもって読んでくださっているのが伝わってきて、なんだか身の引き締まる思いでした。

一方で、執筆中にどこまで書いていいものやらと感じてもいました。やはり本人にとってかなりプライベートな内容でもあるし、健康に関する情報をどこまで公開していいのかなと考えると難しい気もします。本人には一応確認を取り、「書いていい〜!」とお墨付きは頂いたのですが、はたして本音のところではどうなのだろう?いろいろと考え出すと何も書けなくなってしまうし…。

でも、邦彦さんの人柄が伝わり介助者の体験談を綴ることで、読んでくださった方が彼に興味を持ったり当事者の生活に対して考えていただく一助になればいいなと割り切って考えることにしています。それはお前が決めることではなく本人が決めることだと言われればその通りですが、邦彦さんの社会性を傷つけるような中身にだけはならぬよう常に心掛けているつもりです。

そんな訳で、本人了承済み?のエピソード、今回は買い物編。福祉工房から退所後柿のたねに来ると、近所のコンビニへお弁当を買いに出掛ける邦彦さん。お財布を持ってお弁当売場を眺めながら、「これなーに?」『焼肉弁当だね』「こっちの方なーに?」『う〜ん、豚カツ弁当。でもカロリー高そうだし、晩御飯食べられなくなるかもよ』。邦彦さんはニコニコしながらいつもこうした会話を楽しんでいます。そしていざ、レジへ。以前はお金を払う時まず千円札を出し、足りなければさらにもう一枚。すると小銭が溜まる一方で、私がせっせと両替していたのですが、最近お札で払うことにあまりこだわらないので、千円を超える時は私が「あと百円玉2枚ね」などと声を掛けると、財布の中を探して払っています。なかなか見つからなくても私が手を出すと怒るので気長に待つのですが、払い終え、レシートを受け取った時の満足げな笑顔がなんとも言えません。

ある時やはり支払いの場面で、私が少し離れているとアルバイトの男性が、「あと230円下さい。そう百円もう1枚、十円3枚、茶色いやつ。」するとレジから十円玉を取りだし、「これ3つね」。なんとか払い終えると彼は私に声を掛け「今日はおつりなしでしたよ!」。邦彦さんはいつも通りの笑顔、私はそのやり取りを見ていて、「あぁ、ガイドヘルパーってこれだよ!」などと一人心地ていたのですが、店を出た後邦彦さんにすごいじゃんと声を掛けると、ちょっと照れながらも別にどうって事ないよという態度でした。

でも、普段の私と邦彦さんのやり取りを見ていて、どうアプローチすればいいか自分なりに考え、その結果関係が成立する。

邦彦さんもアルバイトの男性も、まるで何事もなかったような態度でしたが(実際ごく普通の買い物の風景なのですが)、その当たり前さがなんだかとってもうれしくって、その時私はちょっと感動してしまいました。

(櫻原)

2003.10 邦彦さんダイエットに挑戦!

邦彦さんが通う東が丘福祉工房から毎年健康診断結果が届きます。その年毎の数値が数年分いっしょになっている表なので、去年、一昨年との比較ができる。血糖値や尿酸値、中性脂肪などについて、数値によっては「ちょっと気をつけましょう」などとコメントが添えられているのだけれど、今年の結果をながめていたら、どれもほとんど正常値で健康そのものじゃん。

さて今回のコメントは「肥満に注意」。えっ、っと思って体重の欄を見ると、なんと前年より7kgほど増加!ありゃりゃ、「最近確かに貫禄がついてきたよな、そのお腹」とは思っていたけれど、そうですか。そんなに増えているとは思いませんでした。これは介助者としても責任の一端はあるよなと思いつつ、「邦ちゃん、数字はしっかり語ってるよ、やっぱりちょっと食べすぎなんとちゃう!」なんて話をしていました。

そして次の日。邦彦さんはいつも工房から柿のたねに帰ってくると、お弁当を買いに行きます。朝食を食べずに出掛けるのでこれが遅めの昼食代わりなのですが、いつものことなので、さあ行こうかと誘うと「お弁当買いに行かない」。ふ〜ん、まあいいや。そして次の日再び「お弁当買わない!」。どうしたの、調子悪いのと聞いても答えてくれません。見た感じお腹を壊している風でもなかったのですが、その日の夜もあまり食が進みませんでした。

そして翌日。工房から帰ってきた邦彦さん、「お弁当買いに行く!」おぉ、やっと調子が戻ってきたかと思いながらいっしょに行くと、いつもはしっかりとお弁当を買うのにこの日は小さめのお惣菜をひとつだけ買って戻ってきました。ここに至って鈍感な介助者の私ははたと気が付きました。「邦、ひょっとしてこの前の話、気にしてる?」すると邦彦さん、「さくばらくん、泣かな〜い!」私は慌てて弁解しきり。「ちょっとくらい太ってたっていいじゃん。食べたいものを食べていいんだよ」「その分運動しようよ」「中年になってきたんだからしょうがないよ」。いくら言っても言葉は空しく響くばかり。

それからというもの、邦彦さんの食べる量は確実に少なくなりました。お弁当も買ったり買わなかったり。買う時でも量は少なめ。時々ちゃんとお弁当を買うこともあるけどそんな日は夕食があまり進まない。ちなみにそれでも暁子さんいわく、「人並みには食べているわよ」。確かにそうは思うのですが、ちょっと罪悪感を感じてしまいした。

そして、いまの邦彦さんはあいかわらずミニ弁当と惣菜、たまには何も買わないという生活を続け、その甲斐あってか体重はすっかり元通り。むしろ前より減っていて、丸かったお腹もずいぶんとへこんできました。う〜ん、やっぱりこれはこれでよかったのかな。自分でもやめられない止まらない、でも何かがきっかけになってこれまでも変わってきたことはいろいろあったし。

後日談ですが、実は工房で体重を計ったのは5月頃の話で、診断結果を知らされた頃には去年とそう変わらない状態だったようです。でも今回の件であらためて周りを意識し、自分なりに健康を気遣っている邦彦さんをとても頼もしく、尊敬してしまいました。やる時はやるじゃん!

「なんのじかく〜、おとなの自覚ぅ!」

その通り!

(チェリー)

2003.9 懲りずに挑戦!でもやっぱり雨…なんで?

9月13日、今日は邦彦さんと登山するぞと意気込んで、朝家を出ると今にも雨が降りそうな怪しい雲行き。邦彦さんを迎えに行って都立大学駅に向かう途中ポツリポツリと雨が。傘は持っていて、自分はテンションが下がりましたが、邦彦さんは笑顔。

「早く行こうよと」言わんばかりに早歩きに。駅に着いて邦彦さんに切符を買ってもらい(小銭は邦彦さんが入れてくれたのですが、お札はミッチー入れてと言われたので自分が入れたのですが、他はすべて邦彦さんがやってくれました)、電車を待つことに。邦彦さんとホームで待っていたのですが、邦彦さんは電車が到着したとき、目の前にあるドアから電車に乗らず、必ず一つ左隣のドアから電車に乗っていました。邦彦さんこだわりをまた一つ発見して一路、高尾山と双璧をなす都内では有名な陣場山を目指すことに。

電車に揺られること約2時間やっと陣場山から一番近い藤野駅に到着。駅から陣場山までは近いという情報を得ていたのですが、それはガセネタで、駅からバスで40分徒歩だと2時間かかるということで自分は固まりました。しかも、追い討ちをかけるように、雨は土砂降りに。自分の下調べが不十分だったことであり、邦彦さんに申し訳ないと思いました。しかも雨とは泣きっ面に蜂です。ん、んんん? このシチュエーションどこかであったような。そういえば、7月に邦彦さんと高尾山に行ったときも雨が降った記憶が。邦彦さんは雨男? いやいや自分かな? なぜか邦彦さんと一緒に出かけると雨に。二人がそろうと必ず雨が降ります。まあ、山は天気が変わりやすいというのは百も承知なのですが、必ず週間予報を見てのその日は晴れだし、前日でも雨の予報は一度もなかったのに。

結局、陣場山には行くはずもなく藤野の駅周辺を歩いて帰る事に。邦彦さんはがっかりした様子でした。家に戻ってきてから、「また今度山登ると」邦彦さんに聞くと「山に登る」と返事をしてくれました。その一言に救われました。邦彦さんありがとー。雨は降ったけど思い出になった一日になりました。今度感想を書くときは晴れるといいです。いや、晴れてくれー。同時に晴れ男と晴れ女を募集中です。

(三谷知裕)

2003.7 高尾山、雨に降られて健康ランド!?

久しぶりに邦彦さんと外出ということで、7月21日に高尾山に行きました。メンバーは邦彦さん、亀田君、福永君、和田君、自分の5人。朝、家を出ると急に雨が降ってきました。何か前途多難な外出になりそうだなとおもいつつも出発。電車の中ではすごく静かな邦彦さんでした。電車に揺られること約1時間20分、やっと高尾山のふもとの「高尾山口」に到着。雨はやんでいて霧がかかっていました。みんなで、お弁当を買いに行くことにしました。邦彦さんは特製の海苔弁当と普通の海苔弁当で迷っていましたが、結局、普通の海苔弁当にしました。飲み物は、今回この登山が邦彦さんのダイエットも兼ねているということで、もちろんキリンレモンを買うはずもなく、邦彦さんはポカリスウェットをかいました。

登る気満々で登山口に歩いていくとお土産が売っていて、邦彦さんが「お土産かって行くー」とのこと。荷物重たくなるから、帰りに買いましょうと邦彦さんに話すと納得した様子。ロープウェイの横にある6号というコースから頂上を目指しました。最初邦彦さんは「もたないー」を何回も言っていて元気な様子。みんなでマイナスイオン(発生していたかはわかりませんが)を浴び、久しぶりに都会の喧騒から離れて静かでおいしい空気を満喫するぞー。と思っていたのですが、それは余り長くは続かず、急なでこぼこの坂道にさしかかるとみんな汗だくになりました。さらにきつい道になると、邦彦さんは、リュックが重かったのか「リュック持ってー」といったのでみんなで換わりに持つことに。だんだん邦彦さんも無口になり、「はあはあ、もた、はあはあ、ないー」と疲れた様子。「そうだよなー、邦彦さんはもう40歳だからなー」と思いました。

何とか半分まで登ると、広場になっているスペースがあったので、そこでお昼にすることに。邦彦さんと一緒にトイレに行ってご飯を食べようとしたのですが、邦彦さんは結局、お弁当を食べずにポカリスウェットだけ飲んで、疲れた顔を見せました。頂上まではまだかなりあるので、時間と邦彦さんの体調が心配だったので、頂上をあきらめ、近くにあるサル園に行くことに。しかし、「休園」という貼り紙があり、邦彦さんはがっかりしていました。すると追い討ちをかけるように、急に雨が降ってきました。こんなタイミングで雨が降らなくてもいいのに。

帰りは親子連れが通るような1号というコースを通り、傘をさして下りてきました。みんな靴やジーパンがずぶぬれになりながらも、何とか下山。とりあえず、邦彦さんはお土産を買うと、「温泉いくー」と急に元気になりました。一路温泉(健康ランド)を目指し、八王子に到着。

健康ランドに到着するやいなや、「入場料2,300円?」学生には高いなーと思いつつも、回数券(5枚つづり)を買うと9,000円だったので計算すると一人頭1,800円なので、早速入ることに。邦彦さんは待ってましたとばかりに、急いで服を脱ぐと、にへらにへらしながら浴場へ。シャワーを浴びてから一緒に青りんご風呂、ヒノキ風呂、露天風呂などをぐるぐる回ってあがりました。さすがの邦彦さんもジーパンの換えはもっていなかったので、ぬれているジーパンはきました。着替えが終わると、もう4時半。邦彦さんと一緒に椅子でくつろいでから、ハウスに戻ることに。なんとか無事にハウスに到着。とにもかくにも悪天候の中、何も事故などがおきず、ほっとしました。それと同時に、充実した一日を送ることができました。

(みっちー)

2003.6 スキーでおなじみ野沢温泉でたけのこ狩り

今年のスキーの時のこと、暁子さんの知合いで常連のお客さんたちが毎年6月にはたけのこ狩りに来るという話題になりました。私と邦彦さんは数年前の夏、二人で野沢温泉に遊びに行ったことがあるのですが他のみんなはいつもスキーシーズンしか訪れていないので、今回たけのこ狩りにぜひ参加しようということになり6月28日・29日の1泊で晩春の野沢温泉に出掛けてきました。はじめはひろしくんも参加する予定でしたが、直前になって仕事の都合で行けなくなり、今回参加したのは私と邦彦さん、孝広くん、暁子さんの4人だけというとてもこじんまりとした旅行になりました。

邦彦さんは出かける前からとても楽しみにしていて「温泉はいる〜、たけのこ食べる〜」と期待に旨を膨らませていました。いつもなら朝早く出掛けるのですが、今回たけのこ狩りは日曜にやるということで土曜日は少しのんびり出発、いつもは長野から直通バスで行くのですが飯山線で戸狩野沢温泉駅まで行き、初物づくしで到着しました(本当は長野からはバスで行く予定だったのですが、私が調べたバスは期間限定でついてみたら走ってなかったのですよ、あっはっはっは―ごめんなさい)。

まずはみんなで温泉に入り、その日の夕食は「ゆら」特製のたけのこづくしに舌鼓を打って(なにがうれしいって、本当に食事がおいしいんですよ)いざ、翌日のたけのこ狩りへ出陣。

ここで、ちょっと注釈を入れると、野沢のあたりで取れるのは根曲がり竹といって孟宗竹のように大きくはなく、指の太さくらいの物です。山菜そばなんかにいっしょに入っているあれです。

天候はあいにくの小雨で、みんなカッパを着込んで藪をかけ分けたけのこ探索、雨後の筍の言葉通り結構な収穫でした。孝広くんは最初私といっしょに進んでいたのですが、かなり大変な作業に途中で「撤退!」といい残し私を置いて山を降り始めてしまいました。

暁子さんとペアを組んでいた邦彦さんは、さすがおぼっちゃまの本領発揮でほんのちょっと登っただけですぐにあきらめ、みんなの帰りを待っていました。でも上の方まで登らなくても収穫はそれなりにあったようです。

そしていよいよ待ちに待ったたけのこ汁。さば缶といっしょに味噌仕立てでいただくのですが、その前にまずは皮むき作業。ここでも邦彦さん、応援の声掛けはするものの作業は断固拒否の構え。でも楽しそうに見守っていました。できあがったたけのこ汁は本当においしくて、事前に作っていただいたおにぎりやおでんをほおばりながらみんなでお代わりして平らげてしまいました。これで天気がよかったら景色もいいだろうになあと思いながら、でもみんな大満足の一日でした。

食後は宿に戻ってから、再び温泉巡り、そして恒例の野沢菜をお土産に帰りの新幹線へ。夕食はこれまた旅行のお楽しみ「駅弁」を買ってそれを食べながら帰京。すっかり遅くなってしまったけどいい休日でした。

それにしても、最近の邦彦さんは本当にイベントづいていて、先月も同じく長野に旅行に出掛けたし,その前は秩父にSLを見に行ったり普段も毎月数回、土日にガイドヘルパーを利用して浅草や横浜に出掛けたりと充実したライフスタイルを満喫しています。みなさんも今度邦彦さんといっしょに出掛けて見ませんか。

(チェリー)

2003.5 邦彦君と自然の中で

5月25日、柿のたねの「市」が終わってから長野県の朝日村に行ってきました。いつも介助者や、仲間に囲まれていることの多い邦彦君が、自然の中でどのように振舞うのか楽しみです。「邦、こいのぼりだねー」帰宅途中に碑文谷公園の前を歩きながら問いかけると「こいのぼりー」人いちばい気を使う彼は、働きかけに無視をしたりせず答えてくれますが、関心の薄い事柄になればなるほど単調な気がします。「いい風だねー」春風が通り過ぎて行く時、思わず声になったときも「いい風だねー」のおうむ返し。本当はその前に話していた「今日はお米を何杯入れてご飯を炊くのか」についての意見が聞きたかったのかもしれないのです。同じような繰り返しの様だが、彼の問いかけと、僕の答、僕の問いかけと彼の答がうまくかみ合うと、まるでお餅つき状態、彼も僕も声が高くなって興奮してきます。多分このしり取りのようなやり取りの中には、一定のルールがあってそのカテゴリーは許容範囲があり、そこから外れるとゲームオーバーになるのではないかと思います。

時々、彼はたまりかねたようにニコニコしたり、笑うことがあるのですが「なに笑ってるの?」の質問に「笑ってるー」などといわれると「この感動をどうやって言葉なんかで表現しろというのか?」といわれたような気がして気恥ずかしい思いをすることもあります。

途中、諏訪湖のインターチェンジにある温泉に立ち寄って、東京から約4時間半、山の谷間の村に到着したのは午後10時近くでした。邦彦君、はじめは戸惑っていた様子で、焚火を囲んでの「乾杯」にもノリがいまいち。「ここで騒いだり、自由に振舞ったりしたらお(こ)られる」と警戒モードに入っていたのか、あるいはチェリーが言うように「こりゃ一杯食わされた、温泉旅館じゃないじゃないか!」といったところかもしれない。なかなか興が乗らないようだ。そのうちに「くるみ荘」の住(人)の黒猫のクロや、チビがお出迎えに出てきて、ビールの缶が4、5本横たわった頃になると、ようやく調子が出てきて腰が引けた格好でエサをあげたりしていましたが、初日は早めに就寝。

二日目は「崖の湯」という高原の中腹にある温泉に案内してもらいました。美ヶ原高原まで足を伸ばし、大きくカーブする坂道をドライブ。山のほうには残雪が残る高原から、白樺、カラマツと、徐々に緑が濃くなって行きます。名物のおそばを食べて朝日村に帰ってきました。

休む間もなく裏山に山菜取りに出かけます。「俺は別に行きたいわけではないよ」という態度の邦彦君を促し、杉浦さんと三人でトレッキング。里の見えるうちは何度も振り返っていたのですが、里が見えなくなると観念したようにスピードを上げて追いつこうとします。ようやく「うど」のとれる谷間までたどり着いたはずが、そこには小川に丸太の橋が渡してあり、その長さ約1.5メートル、高さ約1メートル。先に渡ってみて「こりゃだめだ」と思い「邦、ちよっと待って」と言って迂回路を探していると、邦彦君はすでに渡りはじめます。橋の中央まで互いに手を伸ばし、ぼくらの手と手が固く結ばれた瞬間「ミシッ」「中年2人、山菜取りで小川に転落」ニュースのテロップ脳裏に浮かびました。なんとか渡り終えて彼を見上げると平然とした様子。もっと「線」が細いと誤解していました。道に迷ってしまい「もうここからは獣道を歩いて行くしかない」と振り返って見ると、邦彦君いっこうに歩くそぶりを見せません。「どうしたの邦?行きたくない?」僕の言葉に待ってましたとばかり「行かない!」「自閉症の子にとって拒否や拒絶の態度を表明することは非常に難しい、その意味で邦彦君は、最近それができるようになってきた」さえ子さんが言っていた言葉を思い出しました。いわゆる「付き合い」として危険な橋も渡るけれども、方針が見えないのに一緒に進むことはできないということをきっちりと実践した邦彦君を見なおしました。
(深沢)

2003.4 邦彦さん、最近どうよ

邦彦さんの生活スタイルが最近少しづつ変わってきた。

支援費のところでもちょっと書いたけど、現在利用しているホームヘルパー制度の時間数がずいぶん増え(これまでがあまりに少なすぎただけだけど)、その影響で固定介助者も増えた。今までは私と金井くんが泊り介助のほとんどを担ってきたが、今はほぼ4人+?で回っている。

柿のたねでイベントがない土日はガイドヘルパーをつけての外出が増えた。最近はたまに横浜あたりに出掛けたりもするが、ほとんどが浅草界隈、ちょっとした下町フリークと化している。

年齢なりに目立ちはじめた腹まわりは周囲も本人も気になっているところだが、最近邦彦さんの食欲は以前に比べて人並みになり、福祉工房に出掛ける前に、朝の散歩をするようになった。

柿のたねから帰宅する際の夕食の買い物も、以前は介助者が先に済ませたり、とりあえず立て替えたりしていたが、このところ毎日、夕食の食材買出し用財布を用意して、ほとんどの支払いは邦彦さん自らがやっている。

お金を払うにしても、以前は千円札ばかりだったのが、このところ小銭も使ってくれるようになった。晩酌のビールを買って帰る時も、1,200円払うのに2千円出してお釣りをもらうというパターンだったのが、今は「千円札と100円玉2枚ね、サイダー買う時の銀色のやつを二つだよ」との声掛けに、きちんと答えてくれる。前は解かっていても千円札で払う事にこだわっていたけれど。

邦彦さんも自立生活を始めて、今年で丸7年経つ。何度かの引越しを経て、それなりに大変な時期もあったけれど、今は本当に毎日の生活を満喫している。

少なくとも実家でずっと生活していたら、今の邦彦さんはないだろうなぁと思う。たまに里帰りして思う存分羽を伸ばしてもいるようだけど、じゃあそのまま実家での生活に戻るかといえば、邦彦さんにはその気持ちはさらさらないようだ。自分の事として捉え返しても、今更実家で生活するなんて想像つかない。もっとも私は1年に一度帰ればいい方で、両親からすれば気をもんでいるのかもしれないけれど、親なんてそんなもんだし、子だってそんなものだと思う。

親は子を心配しているつもりでも、充実した生活感に裏付けされて実は子がそろそろ親の心配を始めている。そんな逆転現象は邦彦さんにもあるんじゃないかな。「たまには実家に顔を見せないと親も気を病むしな」なんてほんとは思っているのかもしれない。

邦彦さんの生活に介助は必要かもしれないけれど、けして庇護の対象なんかじゃないんだよね。「最近どうよ、邦彦さん!」

(チェリー)

2003.3 野沢温泉編なのだ!

3月の無着邦彦氏の様子を。というわけで、3月初めに柿のたねスキー合宿を「野沢温泉・ゆら」で楽しんで来た際に確かに原稿依頼をされた気がするが…大変申し訳ないです。4/1に書きますこの原稿。

冒頭にもある通り3月1〜3に野沢温泉へ行ってきました。総勢12人というこじんまりとした一行でしたがやはりこれ位だと気も楽よね。

さて初日。前日からかなり盛り上がっている氏は確か満面の笑顔だったような気がします。(大分記憶が曖昧になっているので御勘弁を)移動において言えば今年はものすごく静かな氏である。宿到着後やはり、宿に用意されているお茶をガンガン注ぎ始める。ものすごい濃さである為「宿のお茶こんなに濃かった?」「…」「お茶の缶空けてよ、邦彦さん」「…ウん…」「ほら、お茶っ葉、全部入れたら、ア缶でしょ!」なんてしょーもないギャグをかましたわけではないが最初はそれ位かな印象に残っているのは。え?見ていないだけ?他にもやっているなんて意見も聞こえてきそうですが、最近の氏は至って物静かな人なのでそろりそろりと物静かにイタズラされたらわからないです。合宿の一番の楽しみは何と言っても「ゆら」のご飯でしょう。読者の皆さんもぜひ一度は行かれた方がいいですよ。去年は「野沢菜納豆事件(編注 2002年のスキーの際野沢菜入り納豆を皆で分けず独占しようとするも取り上げられたの(誰かは記憶なし)が気に入らず、お茶碗が割れてしまった。という事件)」があり一応気にしながら見ていたが、今年は大人です。ちゃんと、皆で分ける物は分ける。うーん、原稿書く側としては物足りないがホントにこの間ずーっと大人の対応に終始している。夜は宴会を早々に引き揚げて別室にて御就寝…。しかも、9時前。いつも酒がなくなるまで「乾杯×カンパイ×∞」の人が…である。

翌日は私もゲレンデで一緒に氏とそりなどをやりました。ただ、今回はいつもより本数は大分少ない気がしました。ね。その本数に比例してお腹が立派に見えるわ。自分も人の事は言えないが。ついでに、リフトに乗って「上から滑ろうよ」と呼びかけるも「明日リフト乗る〜。今日乗らない!!」と断固拒否。「明日は邦彦さんゲレンデ来ないじゃん。」すかさず「来年乗る〜」そこまで拒否されれば無理やり乗せようとは思わないが来年が楽しみですわ。オホホホ。来年は初日からガンガン行くわよん。

今年はホントに静かな人で宿の人から「今年は邦彦さんの存在感がないね〜」と言われるくらいに静かな人でした。以上、3月の邦彦さんはこんな感じです。

この間、2月の1日〜ずーっとGパンは定着。チャックも壊れず。声もたまに大きくなるくらいで家の仕事はせっせとやってくれる。家の仕事とは食事の際の食器出しやゴミ出し等です。大分安定感は出てきたように思えます。

(ひろし)

2003.2 最近ジーパンはいてます

あれは餅つきの前の日のことだった。遠出の時はジーパンをはく邦彦さん。この日もジーパンをはいて浅草に出かけた。最近、土曜日に世田谷の自立の家から派遣されたヘルパーの人が入る時は必ずのように、浅草に行ってくる(他の場所も勧めるのだけど、なかなか変更しない。そして必ずきんつばを買ってくる−唯一成功したのは中華街で肉まんを買っておいでよと勧めたときだけ−レパートリーを増やすためにいろいろ試してみる方が良いのだが…)。

さて、当日夜、私は「明日は餅つきで、ガイドヘルパーの講座にきている人たちが初めてくるから、よろしくね」と何を頼んでいるのかわからない頼み方をした(あまり派手なことをやって、初めての人をびっくりさせないようにというような含みもあったが…)。けど、ジーパンに関しては何も言ってはいない。

餅つきの朝、彼は何気なく、ジーパンをはいて自分の部屋を出てきた。

今までは、「今日は出かけるから、カッコ良くして行きなよ」と言われて、しぶしぶはいたりしていたのだ。前の日に確かに「いやー、邦彦足長いし、ジーパン似合うよね」などと皆に褒められてはいたのだけど。

本人が何を考えてジーパンをはいたのかは定かではない。ついでに言えば、餅つき当日、邦彦さんはほんとに、どこにいるのかわからないほど静かだった。いわば「よそいき」だった。

で、その後、突然、毎日、外出時はジーパンをはくようになったのだ。

中学を卒業して以来、ジャージが制服になってしまった邦彦さん。以前にも何度か大人の男性はジャージではでかけないよと、ジーパンをはくように勧めたことがあり、しばらくは続くこともあったけど、いつもジャージにもどっていた。

さて、いつまで続くのだろうか? 何がきっかけで、何をするのか、なかなか周囲には理解できなかったりもするのだが、少なくとも今回は人に勧められてしたわけではないので、ちょっと楽しみだ。

皆さん、無着さんがジーパンをはいていたら、「かっこいいね」と褒めてくださいね。

(さとこ)

2003.1 邦彦さんとの会話を楽しむ方法

このところ、ずっと機嫌がよく落ち着いて生活している邦彦さん。日常的に声は大きいもののいつも笑顔でいる事が多く、特に柿のたねでの仕事が終わって柿の木ハウスへ帰ってからは、特に饒舌でいろんな会話を楽しんでいます。食事を作る間はうれしそうに「〜作って。味噌汁作る〜?」「御飯炊いていい〜!」(御飯だけは自分のお鍋で彼が炊きます)。食事の最中は私が食べる間もなく、「あれ、よそって!」「味噌汁汲んで!」「ごはんよそっていい?」(御飯だけは自分でよそります。なにしろ御飯命ですから)。

それも一通り終わると、今度はいろんな会話が飛び出してきます。「うさぎさん、どこにいる?」(碑文谷公園)「うさぎさん、なに食べる?」(草、人参、ラビットフードなど)「もぐらのポンちゃん、どこ置いてある?」(邦彦の部屋にある)などなど、とてもファンタジックです。

実は邦彦さんは見掛けによらず(失礼?!)、かわいいぬいぐるみが趣味のようで、部屋には30cm以上はあろうかといううさぎや、もぐらのポンちゃん、ちっちゃなトトロちゃんなどのぬいぐるみが置いてあります。それも彼の中では置いておく場所もきちんと決まっているようで、入り口を入ってすぐの壁添いに並んでいます。住人の長沖さんとはそのうちぬいぐるみだらけになったらどうしようねなどと話をしています。(念のためこの話は書いていいと本人の了解を取ってあります)

それとは別に今度はこちらからいろいろと話し掛けることもあります。「今日、(福祉)工房で何してきたの?」「きょうはどこへ遊びに行って来たの」。けれどこの手の質問にはあまり答えたがりません。黙って口をとんがらせたりしています。たまに気持ちが乗ったときは「駒沢公園にお散歩に行く。キリンレモン買う」などと関連したことを話してくれますが、どうも邦彦さんは自分の生活の中で、場面の切り替えをしているようで、同様に実家に帰ったときの話や他の介助者と何をしているかなどもほとんど話してくれません。(あとでいたずらが発覚するなど都合の悪い話もあるようですが)

そして機嫌が悪い時に出てくるセリフで最近の定番は「たいがいにしろ!」「笑っている場合じゃない!」はぁ、すいません。この手のセリフのほとんどは、元を正せば私が彼に向かって言った言葉です。最初は丁寧に答えていたのが、同じことを繰り返し聞かれ、それも大きな声で続ける。柿のたねにお客さんが来ている時や電話で話をしている時にそれが集中する。つい「たいがいにしろよ!」とやってしまいます。「笑っている場合じゃない」というのは彼のいたずら(それにも必ず要因はあるのですが)が発覚した時その事を巡って話をしていると、困った邦彦さんは苦笑いしたりするのですが、こちらが激昂してしまうと言ってしまうことがあります。その時はシュンとしている邦彦さんですが、何かの時にそれがでてくるのです。私からすれば「グサッ!」ときます。思わずため息が…ひたすら反省するのみ。本当に言葉使いには気をつけましょう。

会話の基本は相手とのコミュニケーションです。邦彦さんを例を取れば、こちらがいろんな事を聞き出そうとしても気分が乗らなければ答えてくれないし、本当は関心がないのにご機嫌取りで聞こうとしてもすぐに察知されてしまいます。逆に本人が会話を楽しもうとしている時などは、普段答えてくれないようなことや、いままで聞きなれない新しいフレーズなどがぽんぽんと出てきます。相手の様子を見て考えながら、今はどうかな?話し掛けてもいいかな、なんてやってみるとその相手のいろんな一面が見えてくるのです。

だからね、私もなるべく仕事の手を休めて応えるようにするけど、柿のたねで仕事している時はちょっと気に掛けてくれない?邦彦さん。

(櫻原)
てないとこうなるということが身に染みて判りました。

介助者会議では、今月の目標や普段の付き合い方などが話されているのですが、今月の目標は「常に一緒に行動する」に決まりました。簡単なようでなかなか難しい場面があったりするけど、これをやらんと前に進まんので覚悟を決めてやりましょう今月は。

今回のことで言えば、やはり介助体制に無理があった部分もあり、そのことで邦彦氏を振り回してしまう結果となり、それが調子を下げてしまった原因のひとつであることは確かにあった。だから、予定が立たず無理そうだと判断した時はどうするかをこれからの課題に挙げて取り組んでいきたいと思いました。

やはり、こういった事があるとどうしても邦彦氏自身の意見や意思と言うものが周りの人間達の状況によって消されがちに、また左右されてしまう。かといって介助体制が整っていない現状では仕方がないのか?やれる範囲でやればいいと思う時もあるけど、やはり一度やると決めたからには踏ん張ることも必要だよね。今年一年かけて、介助者をもっと増やす。これが、ここでの最大目標だな。

(ひろし)