2006年7月の柿のたねニュース

ピープルファースト大会 in 沖縄(2)
ちばりよー!(がんばれ!)

ピープルファースト大会 in 沖縄に行ったことPart II

名刺を配って、知らない人に渡す。那覇空港からタクシーでいった。沖縄料理「アグー」で孝広とミッチーの二人でお昼御飯を食べた。タクシーで那覇市民会館に行きます。南部共同無線・明星タクシーのトヨタ・コンフォート。

分科会に来る事。福岡県のカリタスの家で熱湯入りのコーヒーを飲ませた。ボクシンググローブで殴る、など、全体会が終了し場所を移して交流会へ。交流会は立ち食いパーティーのような感じで、福田君は食事を済ませると名刺交換をすぐに始めていてあっという間に百枚ずつ名刺を配っていた。

(※編注:このあたりの文章は前号の三谷君の文章を読みパクッタ様子。前号参照(笑))

交流会の後、かりゆしホテルへ移動。

翌日、朝御飯を食べて、ホテルを出て、看護大学へ行く前にタクシーに乗る。

那覇市民会館へ移動。「自立支援法反対!」「厚生労働省はなんでこんな法律を作ったんだ!」「自己負担がとられて生活が出来ない!」「障害者自立阻害法だ!」と言った当事者の方の怒りを聞いた。

(※編注:ここも、パクリだ〜。那覇市民会館は1日目だろ〜〜。2日目は看護大学だろ?)

来年は広島大会です。二日目終了後、お弁当を食べて、お茶を飲んで、食べた後塵箱へ。タクシーで那覇空港に行きます。

ペンギン無線・津嘉山タクシーの日産・クルー。

羽田行きの飛行機に乗る前にお土産を買い、沖縄そば煎餅、沖縄パックンチョなどを買いました。

全日空ボーイング777型機・羽田行き。

羽田空港に到着後、荷物を忘れずに。

エアポート快速特急・都営5300型車両羽田空港〜成田行きで品川へ。

品川から山手線渋谷・新宿方面で目黒で東急目黒線に乗って、ミッチーさよなら。

カンパありがとう。

(福田 孝広)

始めまして、福田孝広です。何歳?34歳です。

13年前の1993年3月3日(水)に港工業高等学校を卒業。

卒業後、12年前の1993年9月26日に柿のたね就職を決意とした。

大井町でフラフラ歩いたらダメ!

「柿のたね」は1986年8月にできました。きっかけは、学校を卒業してしまうと地域の中に障害者の居場所がなくなってしまうという現実でした。そんな障害者と健常者が出会いともに生きる場として、そしてリサイクルをもう一つの軸として発達した柿のたね。

10年前の1995年7月24日(月)に毎日新聞学芸大学店の新聞配達をやりました。

女の人の顎覗きこんだらダメ!

自転車のタイヤがパンクしたり、雷が鳴った事もありますね。

お客さんの古紙回収や段ボールを縛って裏に入れる。

信号無視、配達中に雨が降る、雨が降ったら合羽を着る。

夏合宿、スキー合宿、たけのこ狩り、ピープルファースト…。

6年前の8月3日(火)にビルの清掃を始めます。レインボージャパンで朝8時から10時まで、

段ボール、新聞、雑誌など、ゴミはギュウギュウ詰め、外・内のガラス拭き、コーヒーセット、テーブル拭き、椅子拭き、中の雑巾掛けなど、汚い雑巾はごみ箱にいれる。ペットボトル・空き缶はゴミ置き場に入れる。

2Fの拭き掃除、事務所の拭き掃除、丸いテーブルの拭き掃除、椅子のコロコロ…。

レインボージャパンが終わったら柿のたねに行きます。アルミ缶潰しや床のお掃除、トイレの掃除をします。

お昼御飯は12時に食べます。御飯の後3時から毎日新聞学芸大学店に行きます。

何軒?100軒新聞配達をします。

3年前柿の木ハウス1週間自立練習をしました。邦ちゃんは32歳の時自立生活になりました。

35歳になったら孝広は自立生活をします。

(福田 孝広)

2日目。二日酔いになることなく朝を迎えました(笑)。F君と朝食をとり、ピープルファースト in 沖縄に参加した、大きな目的である分科会「地域生活支援」に出席しました。沖縄県立看護大学に9:30に到着して分科会が始りました。まず初めに、ピープルファースト北海道の藤田さんから、ホームヘルパー・ガイドヘルパーを使い、一人暮らしをしているという話を聞き、藤田さんからは、障害者自立支援法に移行してからは、自己負担が発生して生活が苦しくなった、また、今後も当事者自身も障害者自立支援法について勉強をしなければいけない、という話しをききました。また、印象深かったのはその話のあと、自由時間になり、「どなたか発言をしたい方は?」と司会の方からあったので、F君が挙手をして、みんなの前で発言をしました。F君が「35歳になったら自立します」と話すと、会場からは拍手が起こり、「一人暮らしがんばれ!」と声があがりF君も自立生活をするという感じで意気込んでおられました。分科会終了後僕がF君に自立生活しますかと聞くと「自立生活35歳でする」と答えられました。

分科会が終わり、閉会式に。会場に集まった人がピープルファースト宣言「人間らしく生きる権利があります」「許すな虐待、見逃すな人権侵害」「私たちに関することは、私たちに関することは、私たちを交えて決めろ」「新しい未来に向かって立ち上がろう。わたしたちはしょうがいしゃであるまえに人間なんだ」を会場が一体となって読み上げ、あちらこちらから拍手が起こり、「虐待許すな」「わたしたちは人間なんだ」という声があがり、それを聞いたF君も握りこぶしを突き上げて「許すなー」と真剣なまなざしで話されていました。閉会式は無事に終了しました。

今回ピープルファーストに参加して感じたのは、「地域生活で自立生活をする」ということでした。当事者のかたで、入所施設に入り虐待を受けた方がたくさんいて、なお虐待が続いている、本人の意思ではないのに地方の施設に入る、地域で必要なサービスが受けられない。F君の話しを聞き、当事者の方が自立生活をすること、例えば自分が食べたいものをたべる、当たり前のことといえば当たり前ですが、そのような選択ができない現実がある。また、「障害者自立支援法」と聞こえはいいですが、「障害者自立阻害法」といわれるように、1割の自己負担・いまだ地方に住んでいる方はサービスを受けられない(都市部と地方でサービス格差をなくすはずでは?)、そのことを受けじゃあ自立とは?といいたくなります。ここ3年間で22万人の高齢者が入所施設(昨今高齢者の施設でも色々な問題がありますが…)に入り、また、障害者自立支援法は今後介護保険法に統合されるかもしれないといわれていますが、地域で生きることの選択をすることとはなんだろう?と思いました。だからこそ、自分が働いているはちくりうすで何ができるのかな?とあらためて考えさせられました。

あっという間に過ぎた1泊2日のピープルファースト全国大会 in 沖縄でした。観光をする暇なかったのは残念(><)ですが、新しい出会い、またいろいろ勉強になりました。先月・今月号の通信を読んでいただきありがとうございました。ピープルファーストまた、自立生活とはなんだろう?と考えてくださった方がいたらとても嬉しいです。ではでは来年のピープルファースト in 広島でお会いいたしましょう。

(三谷)

「虹の会」紹介

「虹の会」を紹介しろとこのページをいただいたのですが、なにしろ紹介したい機関紙のページ数が46ページもあるもので、部分抜粋するのは、つまんないし、いっそマスプリして、当日全文で渡そうかと思っています。乞うご期待! 元気が出ること請け合いです!と思うのはわたしだけ?(^^)

「虹の会」との遭遇は、(名前だけは知ってたけど)4月に行ったイベントの時にグリーンカフェでライブをお願いした糸井バンドのメンバーでアコーディオンを弾いていた新田さんと知り合ったこと。

「アコーディオン…いいなぁ…」と、単純に声をかけて、「虹の会でチンドンバンドをやってるんですよ〜〜」という返事に「是非録音があったら聞きたいです!」というと、届きましたよ。19枚の虹の会のDVDと46ページの機関誌が!

その総会に向けての機関紙が過激で元気があって、面白かったこと! 早速柿のたねのメンバーや私の知り合いにコピーして配りましたね。なにしろタイトルが「〜資格反対プロジェクト〜 穀潰し 役立たずと罵られ、嫌だから表に出て来たんじゃないのか」

機関紙によると、1982に初代会長のあき江さんの地域生活を実現するために学生ボランティアの会として発足して、以来「虹の会」としていろいろな戦術を駆使しながら、浦和で独自の活動を続けてきた団体です。

障害者の介助がいわゆる自薦式と呼ばれた原点を守り、「障害者の介助をするのに、なんで『資格』が必要なんだ?」と、支援費制度、いまや自立支援法という制度に変わった現在でも、さいたま市と交渉を続け無資格での派遣を貫いています。

当事者からの言葉だけでなく、一緒に戦ってきた介助の現場からの言葉にも、思わずうるっとしてしまう本音が溢れています。介助の原点に戻って、是非、隅から隅まで読んでみてくださいね。


一方で「柿のたね」と同じようにリサイクル事業で市民との交流と働くことを追求して「にじ屋」というリサイクルショップを運営しています。体育館くらいはあるんじゃないか? というくらいの倉庫を家賃60万円で借りて、毎週金・土・日を開いているそうです。これは、一度は行かなくちゃ、と、6月10日に行ってきました。

大道芸の「アコるデノンノン」を招いてのライブもあり、リサイクル会場の実況中継あり、1杯100円のカクテルありの楽しいにじ屋でした。そこで働くメンバーは売り上げに応じた給料だそうで、多いときは月額8万円いきますよ。とおっしゃっていました。

そこいら辺の地域との交流のあり方や、資格なしで頑張っている話を聞きたいと思ったのですが、「虹の会」の方は、「是非、表現活動で参加したい!」と、スーパーちんどんバンド虹」で参加したい!と返事が来ました。まあ、夏の終わりの宵を、「スーパーちんどんバンド虹」の音楽に身も心も委ねてみるのもいいんじゃないかい? と、お願いしました。早速、打ち合わせに入ると、「あの〜〜、屋外ライブも出来るくらいの機材で、大音量なんですけど…大丈夫ですか〜?」

う〜〜む。「一応、防音って書いてあるし、ドラムの貸し出しとも書いてあるから…。会場に聞いてみます」と問い合わせると。すげなくも「アンプで増幅した音量は駄目です」そうだよねぇ。外から聞いても音が漏れ聞こえるもんねぇ。無理かなぁ…。と虹の会の担当窓口の加納さんに連絡すると、「とりあえず下見に行きます」とフットワークも軽く、さいたま市から、事務局長の藤井さんともども、下見に来てくださいり、「モニターアンプくらいなら大丈夫かな?」と、出演決定になりました。いや〜〜。ドキドキでしたよ(^^)。

下見にいらしていただいた時に、自身ボーダーだと自覚している私は「健常者」という言葉に何か居心地悪さを感じているので、「健常者」という言い方以外に何か無いのかしらねぇと聞くと、「健常者の反意語はやっぱり異常者だから、僕たちはちょっとはましかなという感じで健体者と言っています」とおっしゃっていました。

「資格撤廃プロジェクト」の事も少し伺いました。にこにこと「柿のたね」の歴史を聞いていた藤井さんが資格を取らなければ派遣が出来ないとなったら「事業所が無くなったっていいんだよな?」と加納さんに同意を求めていて、加納さんも、たおやかな笑みを浮かべて頷いていました。

どんな状況になろうと、生き抜いていくんだという、スタジオ・ジブリよりも明確なメッセージをお二人及び介助の方から受け取ったように思います。もっと、もっとお話を伺いたいと思っています。

「スーパーちんどんバンド」の方たちは、ドーランで白塗りの化粧をするために、パーティの前から控室で準備をする予定です。今回、交流にさける時間も短くなってしまいますので、少しお早めに来て、彼らと交流を深めるものいいかもしれません。

以下は、「スーパーちんどんバンド」を見た方のブログから転載しました。イメージが伝わるでしょうか?

全員白塗りを基調に思い思いのペイント系メイク,ヅラ。ハイテク・チンドン太鼓にがっちりウッドベース,ドラムス,アコーディオン,クラリネット,そして強力なバックに支えられて二十人前後のメンバーほとんどは各種パーカッションとブチキレテンションの歌…つーか「叫び」。

音的コンセプトとしては渋さとか道東管隊とかに案外近しいと思ったけど,重要なのは「障害者」自らが自らの表現としてこの楽団を十二分に遊べているというところ。

どれもチンドン太鼓にのせて明るくアップテンポだけど自ずから明るいのではなく,意志され課された「明るさ」がすごみをもってる。

ある意味プロです。自分たちの見せ方を知ってる。

さてさて、納涼になるか、はたまた、より暑い夜になるか? さあ、一緒に弾けきれるか?

(しまむら)