2005年11月の柿のたねニュース

柿のたねでお茶をどうぞ…

毎週火曜日と木曜日の午後においしいーケーキと紅茶、コーヒーを出してますのでもしよかったら来て下さい。お待ちしています。

インターネットも出来ますので自由にご利用ください。

☆スタッフからの挨拶です。読んでくださいね。

昨年12月で仕事をやめたこともあり、何か地域で出来ることはないかなと考えていました。いつも送っていただいている「柿の種News」に新しく喫茶コーナーをつくり、ボランティアを募集していると載っていました。以前、喫茶店でアルバイトをしていたこともあり、私にも出来るのではと思い準備段階から参加させてもらいました。週2回の担当を決め、木曜日を受け持つことになりました。帰り道に必ず寄ってくれるS君や「柿の種」の運営に関わっているSさんたち、リサイクル品等を買いにきた方々がお客様です。私自身も喫茶「たね」にいくことで沢山の皆様と知り合いになり、わずか1日数時間ですがとても有意義な時を過ごしています。手仕事が好きなのでこのスペースを利用して何かワークショップが出来たらいいなと考えています。富士山の湧き水でいれたオーガニックコーヒーと手作りのケーキ(とってもおいしい!)でお待ちしていますので是非お立ち寄りください。

(ともこ)

初めまして 中森と申します。柿の種の喫茶のお手伝いをするつもりで顔を出しはじめましたのに,他の場所の介助のお手伝いが決まり,お菓子作りくらいしか出来なくなってしまいました。大変申し訳なく思っています。喫茶は数回,伺いましたが,お客さんの入りがこれからの課題かなと感じました。我が家には息子が二人居りますが長男は生後まもなく先天性心疾患で手術をし,その後も痙攣や肝炎など身体的なものと供に知的な発達の遅れもあります。ただ普通に地域の中で皆と一緒に学んだり生活していきたいと思ってやってきましたが,それは息子にとっても親にとっても結構厳しいものでした。でも,息子がいたから出会えた世界や人々が今の私の宝物です。今度 介助することになったお子さんも障害を持ちながら,地域の中で頑張っていこうとしている方です。皆で出来ることを少しずつでも助け合って生きていけたらと願っています。

(中森 悦子)

曇りのち曇り、曇り……
〜秋の大バザー ご協力ありがとうございました〜

天気の週間予報では、土曜は雨(これは仕方ない)、だが、日曜(10月30日)は晴れのはずだったが、朝から雲が重い曇り空、時折チラっと水滴がというような天気の中で、バザーの日を迎えた。

今回のバザーの体制は十分とは言えず、担当3人の体調は絶不調。当日の体制を前日ばたばたと作り上げるという始末だった。

バザーの日はいいモノが揃ってない時でもなのかしら華やいだ空気がある。沢山の物、多くのお手伝いの人の話し声、掛け声、お客さんの熱気、人の気がみちている。しかし、今回、なぜか勢いがない。

10月末。既に多くのグループのバザーは終え、最終時期だからなのかとも思ったが、どうもそれだけとはいえないようだ。主宰者側の心意気、そうしたものが反映するものなんだということをあらためてしらしめられた。

忙しい日程の中お手伝いに毎回来て下さる方々に対しても申し訳のないことで大いに反省することになった。

そうした中で43万円の売上を得ることが出来、柿のたねの赤字補填に当てることが出来る。

あらためて、ご協力に感謝いたします。

(バザー担当)

ピープルファースト in 新潟 に参加して

孝広君とピープルファースト in 新潟に参加してきました。自分は新潟に13年住んでいたこともあり、新潟はどのように変わったのかな? とわくわくしながら、出発をしました。上越新幹線に乗り約2時間で東京→新潟に到着。気温はさほど東京と変わらずといった感じで、日本海の潮風を受けながら、新潟市の中心街を散歩しました。以前住んでいた時よりも、駅前は少しだけ様変わり。が、万代橋を渡った古町周辺はあまり活気がない様子。新潟市は合併を繰り返していて、これから政令指定都市を目指しているけど、うーん、かなり無理があるなーと感じました。空き店舗が多く、土曜日というのに人もまばら。万代橋周辺の再開発も進んでおらず(朱鷺メッセは豪華な施設でしたが)、バブルの時の計画が頓挫しているのをかんじました。話しが少し脱線してしましましたが、ついてすぐにお昼ということもあり、お店を探すことに。うーん、なかなか孝広君と意見があわず、二人の共通の食べたいものを探すもなかなか見つからず、お互い譲らず、結局、孝広君が行きたいと言っていたパスタ屋さんに行き、味はまずまずのお店でした(孝広君、お昼ごちそうさまでした)。昼食後、一路、ピープルファーストが開催される朱鷺メッセへ。

朱鷺メッセに行くと、ちらほら見かけたことのある人と話をしました。なかでも、僕はその方を覚えていなかったのですが(ごめんなさい忘れていて)、一昨年のピープルファースト in 滋賀でお会いした方が話しかけてくださり、「おひさしぶりです」と話しかけてくださり、2年間のつもり積もった話をしばらく話していました。その頃、孝広君は積極的に名刺交換をしていて、いろんな方と交流をしていました。

ピープルファースト in 新潟が開催され、全体会がスタート。今年の参加者は約670人で、北は北海道・南は沖縄からの参加者がいました。まずは相変わらずの県知事やら市長の挨拶。孝広君は集めた名刺を整理しながら、なにやらノートに住所やら名前を書き込んでいて、あまり積極的に話を聞いていない様子。自分も聞いていませんでしたが。その後、厚生労働省の担当者が障害者自立支援法の内容などを説明。同法は身体、知的、精神の各障害者施策を一元化し、利用したサービス料の原則1割を障害者に課すというもの。収入に応じて負担する現行制度で無料だった多くの人が負担増となることから、会場からは「どうやって生活するんだ?」「自立支援法は悪い法律だ!」「障害者自立支援法は自立を妨げるものだ!」との声が上がっていました。なにかというと、厚生労働省の担当者は「国民が選挙を通して決めたことです」の一点張り。当事者の方の質問も、結局はその答え繰り返しで、結局時間切れ。会場には消化不良といった感じが流れ、不満を持つ当事者が最後まで訴えていました。孝広君は真剣に話を聞いていて、「悪い法だー」「そうだ、そうだ」と会場の人と一体になって抗議をしていました。

(ミッチー)

『障害者自立支援法案』可決!どうなるこれからの福祉政策!

これまで再三にわたりご報告して来た『障害者自立支援法案』を巡る騒動についに最悪の形で決着がつけられました。

9月の衆議院解散→総選挙での自民党大勝をうけて始まった特別国会では『郵政民営化』という大きな話題に隠れて、解散前に一度は廃案になった『障害者自立支援法案』が、たいした変更もないまま上程されました。

福祉・医療の応益負担の導入、重度障害者に対する長時間介護サービスの保障、審査会による支給決定、移動介護の個別給付化、障害程度別のグループホーム再編とミニ施設化など、障害者の地域生活の根幹に関わる問題がそのままとなったまま、10月14日に参議院で採決が行なわれ、衆議院に送付されました。総選挙後の自民党の数の理論の前では、たいした審議もされないまま28日には衆議院でも可決されてしまいました。

肝心な審議もないまま通過してしまった本法案は、今後は厚生労働省における政省令の検討と、各自治体における取り組みへと委ねられていくことになるわけです。

これまでの『障害者自立支援法案』を巡る議論の中で、あまり触れられることのなかった問題があります。その一つは財源問題です。社会保険庁の無駄遣いが審議の中で触れられることはあっても、根本的に本法案で行なわれるサービスの財源がどうなるかという議論については不十分と言わざるをえません。厚生労働省はとにかく当事者に1割負担を強いることで財源問題の解決が図れるが如く議論を展開してきました。しかし、今後サービスを受ける当事者の需要が拡大していけば、それだけの策だけでどうにかなるとはとても思えません。将来的に介護保健との統合を行なうにしても、現在のままの介護保険制度では早々に破綻してしまうでしょう。大幅な財政削減を行なうか、増税でもしない限り、将来にわたり長く存続するような福祉制度はありえないと考えます。 もう一つは障害者介助という分野で働く労働者の存在についてです。自分自身介助者としてこの仕事に就いていますが、当事者団体ですら、この問題についてはまったくと言っていいほどアピールはしていませんでした。

現状の制度においても、これまでのその場限りの対応によって、介助者の資格等がかなり複雑になっており、どのような資格があればどういう介助ができるのかを正確に把握している事業所はそれほど多くはないのではないでしょうか。

また、就労保障もままならない現状では、結局介助者はフリーター同様の不安定な状態で働いているのです。長時間介護の少ない高齢者介護の分野では、主婦層を中心としたパート職員を使うことでヘルパーの確保はある程度できているのでしょうが、長時間介護が必要な重度障害者の場合、介助者は専従労働者が必要になってきます。予算が確保され、制度で十分なサービスが提供されることになっても肝心な介助者がいなくては成り立たないということが、ほとんど議論されていないのです。

日本の障害者福祉の問題はまだまだ多くの問題を抱えています。『特別支援教育制度』にしても、『障害者自立支援法』の政省令の検討にしても、我々国民がもっと関心をもって一緒に考えていかなければならないのではないでしょうか。

(さかな)