2003年4月の柿のたねニュース

初めての鷹番小バザー報告

心配していた空模様でしたが、やはり降ってきました。一週間前の天気予報では何とか晴れる筈だったのに、春の天気は変わりやすいです。

10時開場とお知らせしたため、当日の搬入、整頓と忙しい準備でした。ワンフロアーで階段もなく、物を持っての登り下りがないので、その分身体は楽です。

当初、体育館は仕切りがなく、広〜く感じましたが、いざ、物を搬入するとさほど広く感じなくなりました。

今回のバザー準備を振返ると、公会堂が使用できなくなり、さて、どこでバザーができるのかが、心配でした。柿のたねにも、「いつ、バザーをやるの」と問い合わせが数多くありました。そんな時、SUN作業所がバザーを鷹番小学校でおこなっていました。公共性のあるところでできるなどと思いませんでした。確かに、SUN作業所も収益が個人に還元されるところでないからでしょう。

下見をしました。机はどのくらいあるのか、衣類はどうゆうふうに広げているのか等。これだったら、なんとか柿のたねもおこなえそうだと思いました。

さて、当日。物を拡げてみると広さはあまり感じませんでした。やはり、品物が多い。

提供していただいた品を全て拡げると丁度よい広さでした。難を言えば、机が少なかった。食器、靴売り場は体育館の備品をうまく利用していました。また、洋服のつるし物については縄を廻らして掛けるなどの工夫をしました。つるし衣類以外の洋服についてはシートのところなので選びづらかったかな?

小雨がぱらついて来たので、お客様の入りが心配でしたが、たくさん来てもらい感謝の一言。売り上げも40万ちよっと。まずまずです。そして、なによりも会場費がこれまで売上の一割近く掛かっていましたが、今回は20分の1以下、格段に安くなりました。

これからは公会堂に替わって鷹番小学校を柿のたねのバザー会場に、大イベントとしていきたいと思っています。

これまで同様、今後ともよろしくお願いします。

(琴絵)

柿のたね周辺にとって支援費制度とは?

4月よりスタートした支援費制度。障害者自身がサービスを選択できることをうたい文句にしていますが、現状は多くの課題を抱えたままの見切り発車と言わざるをえません。入所施設にも問題はありますが、ここでは邦彦さんのケースを例に挙げながら、地域で自立生活をしていく当事者にとっての問題点を挙げていきたいと思います。

地域で暮らす多くの知的障害者は家族と一緒に生活し、家族がその介助を担っています。当事者の側から言えば、家族と離れて生活したくても現状の制度の中ではなかなかそれを選択することはできません。邦彦さんの生活は1日24時間の介助が必要で、現状では主に平日の福祉工房(通所施設)と登録指定介護人のホームヘルパーで支えられています。

今回、支援費の支給量について福祉工房に通所している時間以外は全て申請をしました。結果としてホームヘルパーはこれまで週24時間が上限でしたが、月240時間に変わりました(週48時間×5週)。時間数のアップは、大きな点ですが、裏を返せば本来これまででも出せたはずのもので、それについて私たちの交渉不足を反省しています。

実際に申請した支給量からいえば、まだ1日あたり11時間の格差があり福祉工房が休みの土日はさらにそれ以上です。従来の時間数では、支給外の時間を均すと時給は350円で、これでは介助者を増やしていこうにもままなりません。目黒区では登録指定介護人ヘルパーの場合1時間あたり一律1,420円(夜間は+355円)ですが、現実にはそれに遠く及びません。

そしてもう1つの大きな問題点は、この4月以降新たにヘルパーを始めるためには資格が義務付けられるようになったことです。すでにこれまで指定介護人として活動してきた者にはその実績に対し東京都がみなし証明(ヘルパー資格と同等の技量があるとみなす)を出すことで継続して活動することができるようにはなりましたが、学生や主婦の方が介助者として当事者の生活を支えようと思っても、身体介護に必要な2級ヘルパー資格を取得するためには3ヶ月程度の講習を受けなければなりません。これは従来当事者がこの人に介助をしてほしいという指定介護人制度を否定し、支援費制度が当事者自身サービスを選ぶことができるという根幹の部分さえも覆すものです。

例えば、これまで学生のサークル活動などで介助者を後輩に引き継ぎながら生活を補っていた当事者にとっては、その連鎖を断ち切られてしまうことになります。邦彦さんでいえば今まで地域で生きてきた中で培ってきた仲間たちに介助を頼もうとしてもできなくなってしまうということです。とりあえず今まで関わってくれた人たちにはみなし証明を取るように呼びかけてきましたが、柿のたねを通して新たに作っていく関係については否定されている(ヘルパーとして介助するためには3ヶ月の講習を受けなければできない)のです。ともに育った仲間と互いに支え合いながら地域で暮らしていくことを否定している制度が本当に当事者自身のための物になるのでしょうか?

一方で、ガイドヘルパー制度は支援費に変わったため、これまでの年齢や障害の等級などの条件が外され、より多くの当事者が利用できるようになりました。様々な制度は利用してこそいきるもの、使い勝手のよしあしも見えてきます。行政は受身なのでそういった情報を積極的に教えてくれません。アンテナを張り巡らしてわからない事、疑問に感じたことなどは窓口を通して聞いていく、要望していく事が必要です。

支援費に限らずみんなでどんどん声を上げて、安心して地域で生活できる制度に変えていきましょう。

(櫻原)

埼玉県土屋知事の「障害児全員に普通級学級籍を」発言その後

今年新春早々、読売新聞によって埼玉県土屋知事の「障害児全員に普通学級籍を」の報道は、統合教育を進めようとする全国の親、教師、関係者に衝撃を与えた。「本当に?」という思いを持ちながら、埼玉の統合教育を進めようとしているグループのメンバーから、県議会での土屋知事の答弁のメールが入った。日付は2月25日と少し古いけれども、紹介したい。

「私の政治信条として何とか実現したいと」

深井議員(自民)の代表質問に対する答弁

(土屋知事)

「私は知事就任以来、常に『障害者の幸せなくして県民の真の幸せはありえない』との強い信念のもとに、障害のある人もない人も共に安心して暮らせるよう、『彩の国障害者プラン』に基づき、障害者に対する様々な施策を積極的に進めてまいりました。(略)

そうしたところから、新たな障害者プランにおきましては、ホームヘルパーやグループホ一ムなどの整備はもとより、障害者の自立と社会参加を一層支援するため、働く場の確保や、道路・交通機関・建物のバリアフリー化など、障害者に配慮した環境づくりを進めてまいります。

また、障害のある子どもとない子どもが一緒に学ぶことを実現することについてでございますが、私は、平成7年にインドの首都ニューデリー郊外にあるアマルジョティという障害者の施設を訪問した際、障害のある子どもとない子どもとが、共に学び共に遊ぶ姿を目の当たりにいたしまして、本当に感動いたしました。これこそまさしく、バリアフリーであり、こうした教育を、全国に先駆けて実現したいと考え、帰ってきて早速、当時の厚生省に話しをいたしました。厚生省は賛成してくれましたが、文部省の理解か得られなかったようなわけでございまず。

私は、インドにおける感動を、県内の関係者にも理解をしで欲しいと考え、平成8年10月に、アマルジョティの施設長であるウマ・トウーリ博士御夫妻を埼玉県にお招きいたしました。(略)

21世紀を担う子どもたちが、障害のあるなしに関わらず、共に学ぶことによりましてお互いの存在を認め合うことは、障害のない子どもたちに心豊かで思いやりのある心を育てるとともに、障害のある人たちを地域全体で支えあう福祉社会づくり、ひいては世界の平和の実現にもつながるものと確信をいたしております。(略)

なんといっても、重要なことは、教育現場のみならず、社会全体の意識改革であります。障害があろうとなかろうと相互に人格を尊重しあうことが、今ほど重要な時はありません。障害のある子どもを『よその子』と思わず、『うちの子』、『自分の友だち』と意識するような、子どもの頃から心のバリアを持たない教育、社会づくりが大切でございます。そして、多くの方々に、『自分の子どもに障害があったとしたら』という視点に立って考えていただきたいのであります。もちろん、この実現には大きな困難が伴います。しかしながら、私の政治信条として、何とかして実現したいとの思いはさらに強まっております」

中身の検討は別の機会として、やはり画期的なことといえる。養護学校と通常学校に籍を置いた場合、教員の定数問題、介助員や施設設備、費用の負担、教員の意識をどう高めるかなど、様々な課題が想定される。そうした課題の検討のために「県特別支援教育振興協議会」を立ち上げ中間まとめを8月、10月下旬にも最終答申の予定となっている。

現在、中間報告が出された「教育基本法のあり方について」では「障害の種類や、程度に応じた教育が当然」となっていることは非常に危機的な状況でありながら、全体的な議論は進んでいない。

教育をめぐる動きが激しくなっている。敏感な対応が必要である。

(伊東)