2003年3月の柿のたねニュース

知的障害者のためのガイドヘルパー連続講座報告

昨年の9月から始まった、知的障害者のためのガイドヘルパー養成連続講座(全6回)。準備から考えると1年以上費やしてきましたが、とうとう終了いたしました。とはいっても現在まとめの作業の真っ直中、ブックレットの制作作業や日本財団に出す報告書作成に忙殺される毎日です。

この2月22日(土)に鷹番住区センターでおこなった最終回では、前半を実践研修の報告、後半を岩橋さんから「なぜ地域で生きるなのか」、滝田さんからは「ガイドヘルパーの果すべき役割」というテーマでそれぞれお話をして頂きました。

岩橋さんのお話を要約すると、地域で生きるというテーマは逆に地域で生きられないという現実があり、その中で当事者たちは経験を奪われ、限られた選択肢の中から選ばされてきた。当事者は社会から障害を負わされ、親は子育ての延長線上に介助を負わされている。それは本来社会が担うべき責任で、誰もが地域で当たり前に生きていくには社会の枠組みを変えていく必要があり、ガイドヘルパーはそういった意識を持ってほしい。いっしょに新しい世界を作っていきたいといった内容でした。

滝田さんからは自身の経験に基づいたお話を中心に、ボランティアとヘルパーの大きな違いは仕事としての責任感の持ち方ではないか。ヘルパーは当事者の側に立って社会との橋渡しをする存在で、親ではない第3者だからこそできる黒子としての役割がある。当事者との関係を自分なりに整理すると、それは異文化コミュニケーションなのではないかと思う、といったことが語られました。

後半の質疑の中心はガイドヘルパーをするにあたって、当事者に関する情報がどれだけ必要かという部分に集中しました。受講者の方々の意見の大半は、当事者にとってよりよい介助をするためにはある程度の情報が必要で、自分も不安にならなくて済むといったものでした。それに対し私たちが今回実践研修をおこなう中で提供したのは最低限伝えておかなければならない内容に限っていました。この部分の認識の違いは、多分経験や立場の差から産まれてきているのではないかと思います。初めてガイドヘルパーをするには少しでも多くの拠りどころが必要だというのはその通りだと思います。ある意味では自分たちもそこを潜ってきたからこそ、当事者と向き合うためには過度の情報が反って妨げになるのではないかというところに辿りついてきました。そして今回講師として参加して頂いたステップの滝田さん、まくら木の岩橋さんのところでも同じだと思いますが、そのことで起こりうるトラブルに対する責任は事業所が負うというスタンスがあるという点をご理解頂きたいと思います。渋谷での買い物の際は、舞台裏でスタッフがまめに携帯電話で連絡を取り合いながら走りまわっていましたし、実際の場面ではコーディネーターの滝田さん、岩橋さんは携帯電話が離せません。

もう1つは、最後に岩橋さんが言っていた、情報は流動的なもので当事者も変化するという点です。当事者の反応は、周辺の状況や付き合う相手によって変わってくることがとても多く、ヘルパーに求められているのは、その変化に対する柔軟な対応です。そこは常に行きつ戻りつしながらお互いの関係の中で積み重ねていくしかない。当事者も失敗するし、ヘルパーだって失敗する。だからこそうまくいった時の喜びにもつながる。個々の関係は千差万別で、実は一番マニュアル化のできない部分なのです。

最後に今回みなさんから提出して頂いたアンケートの多くは、これから何らかの形で当事者の人たちと関わっていきたいということが書かれていました。私たちもこの講座をやる中で自問自答し、改めていろいろ再認識する機会になりました。今は本当にやってよかったというのが正直な感想です。今回ご協力頂いた関係諸団体や個人の方、受講してくださったみなさまには心よりお礼申し上げます。この講座をまとめたガイドブックを5月中には完成させる予定です。その際にはぜひご一読頂けたら幸いです。当事者が自立して地域で生きていくのが当たり前の社会、そんな枠組みをこれからみんなでいっしょに創っていきましょう。

(櫻原)

野沢温泉、湯煙と春スキーのほのぼの旅情記

柿のたね恒例の野沢温泉旅行。今回は久しぶりに恭子ちゃんも参加しました。彼女はもう集合場所の目黒駅から目を輝かせノリノリ全面開放状態で、かなり気合いが入っていました。

野沢についてからも、ソリ遊びこそ昔のようにしなくなりましたが、食欲はあいかわらず旺盛で、ちょっと目を離すと野沢菜をリスみたいにほおばっていました。そのあたりはみんな慣れたもので、なんだかほのぼのとしていました。恭子ちゃんの手が自分のおかずに伸びるとさっとガードして、そうそう私たちの常宿「ゆら」さんの食事は本当においしくて、たとえ恭子ちゃんが笑顔で迫ってきてもとりあえず確保したくなるのです。

食事が済むと、宿でバイトをしているかっこいい男性のところへすっと近づいてニコニコと満面の笑み。うーん、さすがだ!(何が?)

今回孝広さんはこの旅行に出掛ける前、自立生活体験ということで、彼の31歳の誕生日の翌日から柿の木ハウスにずっと泊っていました。この旅行を合わせると一週間以上家に帰らない状態で、スタートしてから2日目くらいで「孝広は一生家に帰れない」などと音を上げていましたが、ゲレンデに出るとそんなことも忘れるくらいスキーを満喫していました。

昨年暴走スキーヤーと言われ相当へこんでいたので、(私の不用意な発言でした。ごめんなさい)今年はどうかなと思っていたのですが、子どもと一緒のグループの時は途中でちゃんと後ろを振り返りながら気遣ってくれていました。

その昔、中学入学前の春休みにスキーに出掛けて骨折して以来しばらくスキーはやりたがらなかったのですが、今では参加メンバー中一番楽しんでいます。

邦彦さんについては別頁で報告されているのでここでは詳しくふれませんが、大人の落ち着きと言うか風格がついて穏やかに過していました。

今回は割と少人数のグループだったのと、宿やスキー場のレンタル店(いつも待機所にしています)の方たちが年に一度訪れる私たちをとても楽しみにしてあたたかく迎えてくれくれる。とってもアットホームな心地よさがこの旅行の最大の魅力です。だから私たちもまたここに戻ってきたくなる。やっぱり人間関係ってお互いに育んでいくものだなと思います。

来年はぜひあなたもいっしょに出掛けませんか。

(チェリー)

普通学級に通う障害児の親の会と碑文谷公園さくらフェスティバルの御報告

2年前の就健を考える集いをきっかけに年間5〜6回、不定期に続けてきた親の会。

今回は3月8日(土)鷹番住区センターの第1会議室で、10時からおこないました。

内容は各自の現状報告と新年度を迎えるにあたって、特に新一年生となる方の話が中心になりました。

参加者はこれまでのメンバーの他に、2月に終了した知的障害者のためのガイドヘルパー連続講座を受講されていた方が2名参加してくださいました。

テーマの中心はやはり学校の中での介助の問題で、身体介助を伴なうケースでは子どもの成長とともに介助する側の体力面でのきつさ、また勉強の進行とのギャップなどがあがっていました。

新入学のケースでは、入学前に校長と顔合わせをした際には受け入れについて好意的な反応だったのに、年が明けると一転、付き添いが前提といった話が持ち上がり、例によって本来届くはずの時期になっても就学通知が届かないといった、嫌がらせとしか思えない対応を受けている現状が話されました。

とりあえず4月からは一週間ほど様子を見ながら今後について検討していくことになりました。

また、親の会終了後に学校との話合いがあったケースでは、昨年度から段階的に親の介助を減らしていくステップを積み重ね、3学期からは原則付き添わないという方針で話を進めてきましたが、この4月から学校側も毎日の親の付き添いをはずす事について了承がありました。障害児の場合、普通学級入学に際し親の付き添いが条件になり、多くの親はその事の負担を強いられています。このケースをきっかけに大きな転換へとつなげていければと思います。

3月29日(土)の碑文谷公園さくらフェスティバルでは柿のたねもミニバザーに出店し、親の会の花見を兼ねて参加者に売り子として御協力していただきました。

幸いな事に朝のうちぱらついた雨もすぐに上がり、暖かなお祭日和りになりました。売上の方も予想外に売れ行きがよく、車1台分の品物が次から次へとさばけていきました。午前中は少ない人数の中大忙しでしたが、午後からはお手伝いの人数も増え、子どもたちもがんばってくれたおかげで売上は経費を差し引いて3万2千円を超えることができました。御協力いただいたみなさん、そしてさくらフェスティバルのスタッフの皆さんには本当に感謝しきりです。ありがとうございました。

忙しさとほんの少し時期が早かったためのんびり花見としゃれ込むには至りませんでしたが、交流も図ることができ、いい1日になりました。

(櫻原)