2002年12月の柿のたねニュース

知的障害者のためのガイドヘルパー養成講座−第3・4回

ガイドヘルパー養成講座は半分を超え、佳境に入っています。最初の2回は話を聞く形態だったのですが、第3・4回は参加者に考え、話していただくことに主眼をおきました。

第3回は11月30日、八王子の自立生活体験ステップのコーディネーター滝田朋美さんを講師に「ガイドヘルパーの実際とコーディネーターの仕事」でした。当日は、11月3日、こどもの国の遠足に八王子から参加した佐藤さんとガイドヘルパーの高橋さんのようすを、ビデオで撮影したものを見ながら、当事者のペースを尊重し、主体性を生かすガイドとはどのようなものかを具体的に、わかりやすく話していただきました。

後半はビデオの内容に関連してテーマを3つ設定し、

  1. ビデオでは昼食のメニューを決めるのに20分くらいかかりましたが、あなたならどうしますか
  2. アイスクリームをいくつも食べたいといった場合
  3. ヘルパー終了の時間が迫っているのに、当事者がまだやりたいことがあるといった場合

それぞれの場合に自分ならどのようにガイドするかを、3人のグループで話し合ってもらいました。指導的な意見も多かったのですが、列にずる入りをすれば早く帰れるなどユニークな意見も出て、おもしろかったです。

第4回は12月21日、「プレイシアター方式でガイドヘルパーのあり方を考える」でした。これはまず、芝居を行い、2回目は参加者からその場面の対応はこのように変えたほうが良いという提案を受けて、芝居を変えていくものです。

私の台本の作成が遅れ(井上ひさしのまね?)、当日午前の練習だけだったにもかかわらず、当事者役の岩橋さん、ガイドヘルパー役のひろし君、母親役の琴絵さんが、それぞれなかなかの熱演でけっこう見ものでした(ビデオを撮っておくべきでした!)。内容は家まで当事者を迎えにいき、電車に乗って渋谷まで行き、食事をして、文房具屋をのぞいて、帰ってくるというごくごく日常的な設定です。でも1回目の芝居のガイドヘルパーは当事者と向き合っていないため、当事者はだんだん不機嫌になります。

一つ一つの場面を止めて、意見を聞き、やり直して、最後には当事者が明るく家に帰れるようにしなければなりません。議論の中では、親の立場からの意見とガイドヘルパーとしての意見、そして当事者の気持ち(役者さんに語ってもらいました)がそれぞれ対立する可能性も浮き彫りになり、また保険や運賃の割引など制度に関しても出てきました。

2回を通して、いろいろなケースを聞いたり、考えたりしながら、当事者の自立にとって何が必要かということに関して、少しは理解してもらえたかなと思います。やっと参加者それぞれの方の顔も見えてきて、お互いに少しほぐれてきたかなという感じです。あとは実地研修と最後の話し合いを残すだけになりました。

講座を行う中で、コーディネーターの重要性が私たちにとっても認識でき、目黒区にコーディネーターをおく必要性に迫られてもいます。

(さとこ)

就学時健康診断を考える集い「カタギリセンセイ サイシュウカイ」

今年の就学時健康診断を考える集いは15名の参加者でもたれ、12月1日(日)、障害児を普通学校へ全国連絡会の事務局長であり、大田区西六郷小学校の障害児学級の教師をされている片桐健司さんをお呼びした。

分刻みの活動スケジュールをこなしいる片桐さんに講師をお願いするのは心苦しく思いながらもその後はなんでも言うこと聞くと覚悟しながらお願いした。それは、目黒で普通学級に通っている障害を持った子の親達が通級を希望することが多いことの理由に「教育効果」を求めているのではないかという思いを持ってきたことにある。一緒にいることの意味を一度考えたい、そのために現場からみた一緒にいることの実態を話してもらおうと思ったからだ。

話は、1973年都南小での交流学習の実践の話が中心に進められた。「特殊学級」の子の普通学級への交流を提案された時、当初、片桐さんは本音として「困ったな」と思ったと言う。

職員会議での長い議論の中で、まづ部分交流からということで芸能教科からの交流が始まった。ところが、N君は「もう特殊学級にはもどらない」宣言して普通学級にいすわった。

「体育や給食の時ばかりきておまえらずるい」という子ども達からの声が出てくる。それやこれで5年後には全面交流へと発展していった。

入学式の時に泣き喚いてたM君に周りは何をどうしていいかわからないままいたが、子ども達はどんどん付き合いを始める。その中である日突然字を書き始めた彼に、算数の授業の補助に片桐センセイはついた。そしたらM君は「カタギリセンセイ サイシュウカイ」と言って泣き出したそうだ。「もう来るな」と言う訳である。皆と一緒だぞと。その彼が分数の足し算・引き算をするようになる。そして、駅の名前を使った彼独自の分数を皆に披露するのだ。誰にもその法則性は解らない。しかし、なんて楽しい授業だろう。「同一空間」「同一教材」と言う片桐さんの確信はこうした経験からなのだろうか。

皆と一緒だから、一緒である為の課題が具体的に出てくる。そのことを子ども達は感覚的に掴んでいて、必要以上の世話はしない。皆が一緒である学級運営のあり方が生み出す力は付き添いはいらないと言う片桐さんの確信でもある。

その後の話し合いでは、親の付き添いをめぐって話が進んだ。付き添いの約束を楯に執拗に付き添いを求める学校に皆が一緒であることへの努力の片鱗もない。年々教師の力が低下していることを実感している。そうした現実の中でどの子も受け入れる学校に変えていく闘いは一緒にあることへの確信を深めていくことであると思う。

(伊東)

ピープルファーストin熊本〜孝広と洋志の旅日記〜

今年のピープルファーストのお話

先月23日(土)に熊本の旅行に行きました。都立大学で東急東横線に乗り、渋谷に乗り換えて山手線に乗り、品川で京浜急行に乗り換えて羽田空港行きの電車に乗り、羽田空港から日本エアシステム353便に乗り、熊本空港に到着。熊本空港からバスに乗って味噌天神に到着。

ここから歩いて、お昼御飯を食べてから、熊本学園大学に行きました。参加費7,500円払って、開会式を行います。終わったらパーティー会場をやります。パーティーが終わったらタクシーで三井グランドホテルに行きます。お風呂に入って、歯を磨いて、寝る。

次の日、AM7時半から忍風戦隊ハリケンジャーを見て、朝御飯を食べて、ホテルを出て、路面電車で味噌天神に行きます。ここから歩いて熊本学園大学に行きます。そして、深川第八中学校3年生のとき、お父さんが死んでしまいました。江東区の南砂団地で生活しました。5年間、多摩の竜が峰で暮しました。ラーメン屋、お寿司やさん、カレー屋さん、クリーニング屋さん、団地のお掃除会など、いろんなお仕事をしてくれました。(編注 この一文はどこで、誰の話を聞いたのかは不明ですが、昨年もあったように、さも自分の体験談として語り始めるところはびっくりです)

ピープルファースト大会終了後、おいしいラーメン屋に行って、つけ麺と餃子を食べました。(編注 当日の会場である熊本学園大学の学生さんに聞いた評判のお店「北熊(ほくゆう)」でたべました。ホントに美味しかったね。また行きたいね。)食べた後、バスで水前寺公園に行きます。ここから歩いて、熊本バスセンターに行き、お土産を買って、熊本空港から670円区間の切符を買って、熊本空港行きのバスに乗って、熊本空港に到着。熊本発羽田行きの日本エアシステム358便に乗って、長時間、エコノミークラス症候群になるかもしれない。機内でジャワティーを飲んで、着陸後、羽田空港に到着。来年のピープルファースト大会in滋賀大会です。去年10月6日・7日にピープルファースト大会in北海道の時、ジャンボ機に乗りました。羽田空港から京急バスで蒲田駅に到着。蒲田から東急多摩川線に乗り、多摩川から東急東横線に乗り、学芸大学で解散します。来年3月8日(土)〜10日(月)は長野県信州野沢温泉スキー&民宿「ゆら」です。来年5月25日(日)バーベキューをやります。

(福田孝広)

ピープルファースト熊本大会を終えて

今回は私も福田氏も2回目の参加ということで大分場慣れしたかな?てなもんで、まずはスタートから。

福田氏は前日の夜から柿の木ハウスへ泊まり相当やる気満々。行く気満々。かと思いきや、どうも私の寝坊を心配してのことらしい…うーん、当事者の方がしっかりしてるなぁ。なんて思いながらも帰宅したら福田氏は熟睡中。それから熊本行きへの準備を始めました。

翌朝は案の定福田氏に起こされハウスを出発。羽田空港では、この間柿のたね主催のガイドヘルパー連続講座でスタッフでもある瀧田氏に声を掛けられ初めて参加することに気付く有様。同じ飛行機だったみたいで現地で再開。というわけで会場へは瀧田氏・高橋氏(たこの木倶楽部のコーディネーター)と私たち4人で会場へ向かいました。

まずは、腹ごしらえでしょう!という声があがり一同賛成。熊本での初ご飯。まぁ、のんびりとした空間でハッと気付けばもう開会式の時間は過ぎていました…。どうなる一行。

まぁ、なんとか無事受付終了し、「10分間スピーチ」を聞く、3人の話を聞いたのですが、1人目の「差別をなくそう!たたかおう!」で芝田鈴さんの話がとても響きました。彼女の話のなかで「知的障害者だから」という事で、やれることを制限され選択肢を狭められ非常に悔しい思いを幾度となくしてきた事。そういう思いはもうしたくない!と声を大にして言っている姿が純粋に心に残りました。

自分自身も当事者と付き合っていくとき、また向き合う時に、彼女の話の中に出てきた、やれること・本人がやりたいことの制限をもしかしたら自分が勝手に設けていたかもしれない。と思いながらふと、隣にいるはずの福田氏の姿が…。

いない…。どうしよう…。

まぁ、いいか…。いやだめです!

探す介助者。でも、去年の感じからすると、ナンパでもしているんだろうな、と思っていたらホントにそのまんましていました。あ、ここでいうナンパとは福田氏は初めて会った人に「名前は?住所は?」と聞きまくるのでその姿を指しています。

福田氏は柿のたねでの仕事で皆さんのお手元に届く、通信名簿の管理も行っているし、ニュー読者を見つける。この開拓には意外と信念持ってやっているみたいで去年も相当読者を増やし、今年に至っては50人超えを果たしました。聞かれた人の中には「いい事よ!もっともっと増やしなさい!」と激を頂いたりして本人も色んな地域の人と知り合えるまたとないチャンスだったりしているので、毎年の恒例行事になりつつあるのかな。と思いながらフォローしていました。先に挙げた話を突然、住所・名前聞かれてびっくりしている人に説明して回る。これが私のメインの仕事。来年はテープに吹き込んで持っていこうかな?

交流会もホントに楽しいさ、こちらも気が楽になるし、やはり色んな人の話を聞くのも楽しいし去年知り合った人と再会する楽しみもあるし。生田さん(ガイド・ヘルパーの1回目の講演に来て頂いた)には「おう、あのあんちゃん(むちゃくさん)はげんきかぁ?」と、なんか、嬉しかったね。

ここで、私は福田氏に提案をしてみたのが柿のたねに関わっている人達にももっと声を掛けて一緒に行こうよ。と。本人はいまいちピンと来てないみたいですが来年は二人だけの楽しみではなく柿のたねからもっと沢山の人が参加できるように来年春頃からでもゆっくり進めていけたらなあ、と思わずにはいられない、ピープルファースト第2回目の参加でした。

(金井洋志)