2002年11月の柿のたねニュース

秋の気配とヒーローショー −こどもの国ハイキング報告−

今年11月3日(日)にこどもの国ハイキングに行きました。学芸大学から東急東横線で自由が丘乗り換え東急大井町線で二子玉川で東急田園都市線に乗り換えて長津田で横浜高速鉄道に乗ってこどもの国に行きます。駅から徒歩2分歩道橋渡って「こどもの国」があります。

1時15分からヒーローショーをやりました。ガオレッド、ガオホワイト、タイムレッドの3人とオルグ怪人の対決を見ました。ヒーローショーが終わったらガオレッド、ガオホワイト、タイムレッドと握手しました。

孝広、邦彦、暁子、寺山くん、チェリー、高瀬他8人いました。お昼はオムライス弁当を食べました。帰りは長津田行きの電車に乗って長津田に乗り換えて東急田園都市線で二子玉川で東急大井町線に乗り、自由が丘で東急東横線で学芸大で解散します。

今月23日(勤労感謝の日)「ピープルファースト大会in熊本」です。

(福田孝広)

そう、孝広君が書いているように、今回のこどもの国は少人数だったよね(でも孝広君、私の記憶では11人いたけど…)。これはひとえに担当の孝広君と私がサボって、皆に声をかけなかったせいなのだけど、私としては秋の気配をゆったり楽しめた人数でした。

メインイベントはオリエンテーリングのはず、でも、八王子からの参加者がヒーローショーの情報を手に、それを楽しみにやってきていたのです。当然、孝広君もそれにのります。1時15分からヒーローショー、オリエンテーリングはそれまで!ということで、コースの順まわりと、逆まわり二つに分かれて歩き出しました。

私の班はとっとと歩く無着くん、一方のんびり組もいて距離はどんどん離れていきます。分かれ道のたびにちょっと待ってよ、全員そろうのを待って、ちょっとした山道を歩きます(結構ハイキング気分を味わえますよ)。

もうすでにポイント二つは過ぎたはず。どこだったんだろう。ま、いいよね。ハイキングだから…。たしか、15年以上前(ひょっとしてもう20年?)ここでオリエンテーリングをやった記憶があるけど、風景はまったく記憶にない、が、前に来たときはもう少しポイントが探しやすかった気がする、草の背丈が高いせいかな〜と思って歩いていたら、その先では係の人が草刈りをしていて、すっきりポストが見えました。で、後半はご存知ヒーローショーです(全員が見ていたわけではなく、骨密度測定などをやっていた人たちもいます)。いやー、握手の列にまで並んでたのはびっくりしました。

結局、オリエンテーリングは半分しかまわれなかったけど、天気も良くて、早秋のハイキングに、お楽しみもついて、それぞれにとって楽しい一日だったと思います。

(さとこ)

柿のたねも続けている古紙回収・リサイクルについて
古紙輸出量増大で古紙循環の行方は?

2000年4月からの週1回の資源ゴミ・古紙回収実施から1年半あまりがたった。この直営回収に並行し、目黒区では従来の集団回収を広げる努力をすると言っていたが、柿のたねの激減した回収量を見ても、集団回収が増えただろうとはとても思えない。

しかし、このところ変化があったのは、新聞古紙でキロ当たり2〜3円まで低落の一途をたどってきた国内古紙価格がこの10月半ばから上がってきたことである。業界日刊紙「資源新報」によれば、回収業者から問屋が購入する古紙価格は、新聞キロ当たり4〜7円、段ボール同3〜5円、雑誌同1〜4円とある。これは中国を中心にしたアジアへの古紙輸出が増えており、国内製紙メーカーがこれまでのような安値で買おうとしても、古紙を入荷できなくなったからだ。輸出古紙価格の方が高ければ、古紙は当然そちらに流れるのだから。

こうした状況を「古紙が足りない」と書いた新聞もあるが、古紙は本当に足りないのだろうか?

大量リサイクルの成り行きを古紙問題に見る

古紙利用率表

図「古紙回収率と古紙利用率の推移」を見れば、1989年の48.2%から、昨2001年の62%まで、古紙回収率は上昇を続けている。従来の民間業者による回収に加え、全国の市町村でも直営(東京23区のような)や委託による古紙リサイクルが増えたからだ。

対して、国の関連省庁に対する「グリーン購入法」などが実施されつつあるとはいえ、古紙利用率の伸びは昨年で58%である。国内だけで見れば、完全に古紙は余剰である。余剰量の約150万トンを昨年は輸出したのである。

今年も、1月から7月までに約140万トンが輸出されている。そのうちの半分以上が経済発展著しい中国へ、残りが台湾、タイ、韓国、フィリピンに輸出された。こうした状況を背景に古紙価格が上昇しつつあるわけだが、古紙輸出により余剰問題が解決したわけではない。「古紙も国際商品になった」と書いた新聞もあったが、専門家でも、現状のような膨大な中国の古紙輸入がいつまで続くかは不明という。

古紙輸出は、問屋在庫が山となった5年前の97年から、当時は問屋が赤字輸出覚悟で始めたものだ。それまでは、古紙の需要先はもっぱら国内製紙メーカーだったのである。だからこそ、古紙余剰を背景に製紙メーカーは古紙を買い叩き、価格を下げ続けることができたのだ。回収コストが最低でもキロ8円にもかかわらず、キロ2円などという値段で。

柿のたねをはじめ集団回収団体も、この古紙価格低落の影響を受けた。回収しても古紙に値段がつかず、雑誌古紙に至っては、お金を払わねばならないという逆有償になり、柿のたねでは雑誌回収を断念したのである。回収の報酬は自治体からのキロ当たり6円の報奨金だけになったが、その額も目黒では5円に下がった。

一方で、集団回収を受ける側の回収業者の商売が続けられなくなり、やむなく、業者にもなんらかの助成金を出す市町村が増えたのである。結果的に、製紙メーカーの買い叩いた分を税金で補填したことになる。

まず大量消費をやめ、再使用、その後はリサイクルを

私も参加している古紙問題市民行動ネットワーク(古紙ネット)がビデオ「まわれ!古紙リサイクル」を制作したのは、今年4月のことである。前述したような古紙価格低落のなかで、資源小国だからこそ長期間存続してきた回収業界−問屋業界という民間の仕組みを壊れるままにするのは、社会全体にとり得策ではないと考えたからだ。古紙循環の仕組みを壊せば、紙ゴミが増大する。回収コストが数倍かかる自治体が、民間の代わりに循環させることは不可能である。ビデオで現場を見て現状と問題点を広く知ってもらうことで、持続可能な古紙循環システムづくりだけでなく、持続可能な循環社会を共に考えたかったからである(柿のたねも出演しているこのビデオ、貸しますのでお声を)。

古紙価格の上昇は、問題点を解決したわけではない。紙だけではないが、大量生産・大量消費という川上を変えることなく「大量リサイクルの法律」ばかりをつくっても、回収量が増えるほど余剰になる。古紙のように輸出ができるものはなんとかなっても、古着・古繊維のように需要先が減る一方のものは、回収量増大は即、業者の死活問題である。

戦後1950年の日本の紙の生産量は87万トンで、一人当たり消費量は10キロだった。70年の生産量が1297万トン、85年に2047万トン、96年に3001万トン、2000年には史上最大の3183万トンだ。一人当たり消費量は2000年で約250キロ、アジア平均の10倍と聞いた。

ゴミ減量で一番大事なのは、ゴミになるものをできるだけ生産・消費しない発生抑制、次が同じものを繰り返し使う再使用、リサイクルは三番目の方法なのだと肝に銘じ、持続可能な社会への仕組みづくりを探りたい。

(中村正子)