2001年9月の柿のたねニュース

柿のたね15周年記念講演

8月26日(日)柿のたね15周年を行いました(当然ですが毎年夏休み最後に押し迫って…)。当日は、柿のたねの活動報告の後、「たこの木クラブ」の岩橋誠治さんにたこの木クラブの経過と問題点・今後の活動に関してお話していただきました。そして、息子さんがたこの木クラブ4人目の自立生活を始めた小林さんも来てくださって、お話しくださいました。お二人のお話を簡単に紹介します。

たこの木クラブは、多摩市で87年出会いの場としての「こども会」活動を始め、94年たまり場として「たこの木ひろば」を開設、自立獲得プログラム(3ヶ月の体験生活、何ができて何ができないかを知る)の場としての「かぼちゃ畑」、たこの木クラブから独立しお店を2軒持つ「たこの木協働企画」とさまざまな展開を見せています(現在日常的に10名くらいの当事者が関わり、40名くらいは何らかの関わりがあるとのことでした)。

こども会活動の中で目指していたのは子ども同士の関係の中で子どもたち自身が解決していくことです。でも子どもたちが青年へと成長したとき、「たち」という枠組ではなく、1人1人の課題を問題として考えざるを得なくなり、個人の保障をと考えてきました。その結果、2000年6月に「子どもたちの関係作り」から「知的障害当時者の自立支援へ」と活動方針を転換しました。障害は関係性の壁と考えてきましたが、現在は、障害とは支援不足であり、その社会の壁を取り除かなければならないと考えています。

たこの木の活動の中から、現在4人目が自立していますが、施設から出て自立生活という初期の自立生活運動と、ずっと地域の中でという活動の中で育ってきた障害者の自立は意味が違ってきます。親と一緒に生活している健常者もいるのになぜ自立なのか、そもそも本人の意思は?など、自立の意味を問う議論がありますが、親元にいる限り、親の空間の中でしか生きられないし、親の意思によって自立できたりできなかったりする、本人が自分で選択できるようにやっていかなければならず、親には子育ての期限を決めようと言ってきました。

当事者にとっては「選択肢がある」ことが必要であり、そのうえで、選択するための「情報」があれば、「周囲の都合でなく自ら決める」ことができ、その結果、「選んだことが実現する実感が持てる」こと、それがまた最初の「選択肢がある」ことにつながっていきます。自立生活という選択肢がない中では親と一緒に暮らすという「自己決定」もないことになるわけです。自己選択・自己決定とは「ベスト」を選ぶということではなく、「ベター」=どっちをとるかというということです。

さて、1人目の自立は皆で支えることが可能でも、人数が増えてくると関係性だけでは支えられなくなります。また、当事者の権利と支援者の生活保障が時には対立することもあるわけです。このような問題を解消したいとNPOまくら木設立準備中で(2001年9月設立したはずです)、行政の委託を受けたホームヘルパー派遣事業を行うということでした。

小林さんからは、最初将来が見えなく、保障が欲しかった時期もあったが、学校生活・地域でともに生きるということでやってきたことは結局自立に向けてだった、それぞれの年齢で自立を保証していかないと自立生活は無理だったと今、思います。これを他の親にも伝えたいが、それが結構難しいこと、また息子が自立後「機嫌が良い」と周りに言われ、複雑だとのお話もありました。

同じような経過の中でやってきた、たこの木クラブの展開には質問が相次ぎましたが、自立支援へと方針を転換したことは柿のたねも直面している問題であり、納得できるお話でしたが、自己選択とはベターなのだという指摘にはそういえばそうだった、ついベストは何という議論に乗せられてしまうと、目からうろこでした。

最後になりますが、こちらの準備不足で、出席者はが少なく、遠くからせっかく来ていただいたお二人には申し訳なかったです。ごめんなさい。

(さとこ)

9.22学校教育法施行令改定緊急学習会報告

9月22日(土)、この間ニュースでお知らせしている学校教育法施行令改定について12名の参加者で学習会を行った。一番問題になっている特例措置(例外的に普通学級に措置されることが認められる)、特例措置を設置したがために普通学級への措置を厳しくした内容を、条文を追いながらみていった。

いままで障害をもった子全て普通学級への措置を認めなかった現行の法律から一部であれ法律的に認められるようになったことを前進とみるかどうかということが話しになった。「このことを第一歩とし、目黒でのこれまでの蓄積をもってすすめばそれは前進となるのではないか」という意見があった。こうした意見は多い。文部科学省の答弁の基調でもある。

発言者は、目黒での進め方の可能性を考えてのことだと思うが、やはりこのことはしっかり論議しておかねばならない。

その場では十分な論議にならなかったのだが、私はこれは新たなる選別、分離教育の深化だと考える。学校の運営の邪魔にならなければ認めると言う範囲なら今まででもそこそこ入ってこれたのだ。それを法律で認めるから、手のかかる子は排除することを法律で決めると言うことを前進だとはとても言えない。統合教育の意味は、単に障害をもっている子が普通学級に入れればいいと言うことではない。もちろんそのことが大前提だが。障害をもっている子も持っていない子もともに生きていける力を育てることだ。

入ってもお客さん。この現実が普通学級に障害を持った子が入ることを無意味という人たちの現状実感になっている。確かに私たちはこのことを解決してこれなかった。このことは真剣に捉え直さねばならない。今盛んに言われだしているインクルージョンの考え方もこのことの解決に向けた一つの示唆であろうと思う。しかし、私たちはこの20年の闘いの中で、どんなに重度といわれている子でも皆と一緒にいきたいと言う思いを持ち、社会的な力を育ててきたと確信を持っていえる。

最初にビデオ「呼吸器をつけて町に出よう」を見た。改めて大阪の取組みの進み具合を感じた。

養護学校でも受け入れられるかどうかという程の医療的ケアが必要だと思われる子たちが、介助をつけ定期的に看護婦の派遣をを受けることで普通学級に通えるのである。今回の改定が、介助が必要な子は普通学級に措置しないとうたっていることに改めて強い憤りを感じる。

参加者から、障害児ばかりの就学前の通園施設で普通学級に行きたいとは口にだして言えない状況が話された。幼稚園、保育園からの障害をもった子の受け入れ体制の充実も問われている。

区の教育委員会との話し合いの準備に入ることを確認し、意見を記入した文部科学省への抗議FAXを25日まとめて送ることとした。

というわけで、この学校教育法施行令に反対する声はしだいに形になり始めている。出遅れたこの闘いを取り戻すことも含めて以下の集会が予定されている。

是非多くの人たちに参加してほしい。

(伊東さえ子)