2001年3月の柿のたねニュース

「障害者の権利法制定にむけて」 学習会報告パート2 教育

主催 障害児・者人権ネットワーク

前回報告した障害児・者人権ネットワークの定例学習会「障害者の権利法制定にむけて」が3月24日(土)、事務局のある銀座通り法律事務所で今回は教育をテーマにおこなわれた。

条文案の作成にあたって

障害をもっていても差別されることのない教育の場を創っていくことは、とりもなおさず現行教育の根本的理念を見直し、転換を図るということになる。

問われているのは、「私たちの社会は、教育に何を求めるのか?教育によって何を目指すのか?」という根本的な問題であり、そこがスタート地点になる。

上記の巻頭文で始まる資料に添って条文案を順次検討していく。短い時間の中で文言や考え方などをすり合わせていくのだから仕方がないのかもしれないが、私はそこになにか異質なものを感じてしまった。読み進めて行きながらそれが何だろうと考えていたのだが、参加者の1人がどうせ理想なんだからもっといいたいことを盛りこんでいった方がいいというような主旨の発言をした時に気が付いた。あまりに現実と乖離しすぎているのだ。そして、どうせ〜といういい方の中に簡単には実現しないというニュアンスが含まれている。確かに既成の学校や教育理念に囚われすぎると見えなくなるものも多い。その意味では「サラマンカ宣言」は私にとってとても新鮮なものだったが、けして夢想的なものではなくいかにその理念を浸透し実現させていくかという迫力が伝わってきた。現実化しない理想とは何だろう。

もちろん学習会に集まったメンバーが条文案を作る中で今の社会の教育システムのありようを変えていこうとする主旨は理解できるし、法律的観点から形作っていこうという作業には共感を覚える。就学時健康診断の全廃や第三者的援助機関の設立、就学措置に伴なう国・地方公共団体の政策に対する提言や異議申立て手続き等の条文化は有効な手段であり早急課題でもあると思う。しかし一般的な権利規程のなかでうたわれている「統合されかつ必要な支援を保障された環境の中で」といった時のその中身について、それが具体的なものとしてどれだけ整理されているのだろうか。

条項として上げられていた(個別教育計画に基づく教育)や(自主的な教育活動を行う権利)【参考としてアメリカのチャータースクール(特許学校)…教師と親たちで運営していく学校スタイルが紹介されていた】、フリースクールなどの問題はそもそも学校教育とは何かという大きな問題を含んでいる。

障害児が地域の普通学級へ進学するという問題をめぐった時、もちろん大前提として教育の権利保障と障害者差別があってはならないということが基本にあるが、多くの場合社会の縮図である学校に対し単に学力向上だけではない社会性を求めているのではないだろうか。それは義務教育終了後の高校進学が一般的になっている現在においてより顕著にあらわれている(高校進学を希望する障害児は多数存在するがさらなる高等教育を求める数はそれと比較して少ないように思う)。その事の整理抜きに表面的な議論をしても本質は見えてこないような気がする。

障害者の権利法を考える時、障害を理由に差別される状況をいかになくしていくかということが重要なテーマだと思うが、その意味においても教育の果たす役割は大きい。前回の学習会で感じた権利法の必要性を考えるほどに、その中身についての議論が大切だと思う。冒頭に書いたように限られた時間の中で条文案を推敲していかなければならない状況ではなかなか中身についての論議は尽くせないだろうが、一つずつ確実に課題をクリアしながら今の社会状況を変えていけるようなものにしていければいいと思う。それが完成した時私たちはとても大きな力を得る事になるだろう。日々忙殺される中で自分として何ができるか、あまり偉そうな事は言えそうにないが、できるだけ関心を持って関わっていきたいと思う。

(櫻原雅人)

かわいいッッ!榎本佑紀ちゃん

ゆきちゃんは四月になると四年生になる。介助することの、何もわからないまま1週間に一度ほど学校に行き始めて以来、彼女から私がもらっているもの…それは本当に大きい。

ゆきちゃんは、あたたかでやわらかな春のように私の心を占領している。あの、8〜9歳の可愛らしさは何とも言えない。最近、体もしっかりとしてきて、はちきれんばかりになってきた。

教室で私は、ゆきちゃんと少し距離をおいて座り、横顔を見ていることが多い。ゆきちゃんのつぶらな瞳と、かわいい鼻と、ポーと開いた口、それにキュッと結われて上向きにはねている髪―それだけで充分に魅力的なのだが、ゆきちゃんって、時々ほんとに魅惑的な流し目をする。きっとそれをパパもママも知らないと思う。

二年生の時のゆきちゃんの意中の人はT君で、“公然の仲”だったけど、今は変ったらしい。階段の踊り場でMちゃんが、ゆきちゃんの心がわりを囃してたっけ。でもほんとのことは誰もわからない。

ゆきちゃんはつよい。グイと前へ出ていく。

特別扱いされるかと思うと、あからさまに引いてなさい―と言われてみたり、全体のためにと我慢させられたり、の障害児の立場を覆す強さを持っている。私がうっかりしてる間に、先生に直に聞きにいったり、訴えにいったりするようになってきた。

異様にテンポが速く、公立学校でありながら独特の価値観がまかり通る日常。その日常の繰り返しの中で、おとなの私の方が見ているだけでめげてしまいそうなのに、彼女は素朴な感覚で、納得いかないことを流してしまわずに自分の方へ引き寄せる作業をする。すごい。それこそ一番大切なことなのだ。そのくり返しの中で培われていくものこそ、変っていく源動力になるのだから。

ゆきちゃんは、人に甘えることももちろん知っている。私だと靴をはかせてもらえることも(彼女は時間をかければはける)、トイレに一緒に行くことも、私だと甘くてネジをまけないことを知っている。でも、ママだとそういう点はきびしいということも充分わかっている。(上智大のお姉さんたちだとどうなんだろう?今度きいてみたいですね)

ゆきちゃんがご両親の愛情を一身に受けて成長していること、それを垣間見せてもらえることが本当にうれしいと思う。

ゆきちゃんが障害児として普通学校に通うなかで、ご両親の並々ならぬ負担や強いられる努力、理不尽な扱いに対する怒りや思うにまかせないことが多々ありながらも、ゆきちゃんが友だちと一緒にいたいという願いが叶っている、その線上に、金井康治君をはじめとする先人の壮絶ともいえる戦いやその生が刻みこまれているのだということを、3年2組の教室の隅でふっと思うことがある。

(日比野恵子)

楽しかったよ!野沢温泉スキー合宿

毎年恒例の野沢温泉・スキー合宿は、ドタキャンあり、謎の「スキーウェアーはどこ?」騒ぎでドタバタと始まった。

ハラハラ…ガックリのドタキャン!

わが比氣家でも、もしかしたら危なかった、2週間前。さなえ→母と風邪でたおれ、最後にうつった佳光が治ったのが出発4日前だった。ハラハラ荷造りをぎりぎりセーフでこぎつけた。でも、久し振りに会えると楽しみにしていた斎藤恭子ちゃんが2日前に風邪で発熱。今回は恭子ちゃんに会えなくて残念だったけれど、少なかった女性陣で渡辺えみちゃんの介助態勢も何とか乗り切れた。スキーを断念させてしまった長沖さん、お疲れ様でした。大変ではなかったけれど、より多くの「手と目」がある方が心細くなくて安心。来年からは、介助者参加も含めたお誘い、子ども達の学校や廃品回収などとの日程調整、キャンセルの切符回収(できないと行った人たちで負担)といろいろあった課題をクリアーして、より楽しい旅行にしましょうね。孝広君は、ウェアーを探しておこうね。急きょヒキチャンの持って行ったけれど…やっぱり…「おやじ」になってしまったね。

アラアラ…やっぱり子どもは遊びの天才?!

私はといえば、佳光の初スキー特訓やら「佳光&みのり雪遊びチーム」で楽しませていただきました。トーチャンと初参加のみのりちゃんは、レンタルした超かわいい「ミッキー」のスキー板そっちのけで、何をしていたのか。壊れたソリなんか、なくたってへっちゃらだい、とばかりに「じかすべりソリ」(別名・腹滑り?)のほうがおもしろい!お昼寝も忘れてたっぷり楽しんでました。降りしきる雪にもめげず、二人で転げまわる姿にほのぼのとした気分を味わいました。佳光も、転んでは泣いていた初滑り。2日目には何とか転ばずに止まれるようになってしまいました。お姉ちゃんたちとのゴンドラツアーには、邦彦くんの「あした行く〜」よろしく「来年行く〜」との発言に気をよくした母でありました。

そして…ブーイングを浴びたひろしくん?!

帰りのバスも無事、長野駅に到着。新幹線の切符を買って戻ってきたひろしくん。みんなに切符を配り終えると、「あれっ、1枚足りない」もう1度窓口に戻る彼を尻目に一足先にホームへ。車両番号を確かめようと切符をよく見ると…なんと「喫煙車!」。「禁煙車」が混んでいるとも思えない。子ども達をはじめみんなからブーイングの嵐を浴びたのでした。喉風邪をおして頑張ってくれましたが、最後はやっぱりいつものひろしくんで幕を閉じたスキー合宿でありました。

 みなさんお疲れ様でした!

(みどり)