ドライフラワー雑記

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雑記帳的靖国問題

何故、靖国神社公式参拝は外国から非難されるのか?

 8月13日に小泉総理が参拝した

 異論反論賛成論、色々だ

 象徴的だったのが、石原都知事で、

 <足して2で割ったようなこそくなやり方>

 と批判している

 彼は都知事として公式参拝をした

 テレビで見る限り、靖国では大きな拍手で迎えられ、

 イメージが上がったと思ってるのかな

 と書けば 悪口に聞こえるよね

 さて

 8月14日のTBSラジオ、アクセスでの都立大の助教授の話し

 公式参拝は50年前にした約束の違反であるということです

 車の中で聞いた話なので、記憶違いもあるかもしれませんが

 必死で覚えて思い出し書きしてみました

 (現在、首都大学教授 宮台真司氏)

 まず第1

 靖国神社にA級戦犯が合祀されている

 これは靖国神社が国家が管理してるものではなく

 一般の宗教施設なので、靖国の自由であるということ

 だから、一般人としての参拝に問題はない

 第2に、公式に参拝するということについて

 欧米では

 戦没者墓地を公式に訪れるというのは大切な儀式になっている

 しかし、そこに戦犯が葬られている場合は、これは大問題になる

 例えば、ドイツ

 首脳が公式に訪れた戦没者墓地に

 ナチスのメンバーが埋葬されていたことが後に分り

 大きな国内問題になった

 そして議会で、新しい国営墓地を作ることが議決された

 第3

 50年前のサンフランシスコ講和条約において

 日本は東京裁判の判決を受け入れた

 この裁判は不平等であるといわれてる

 しかし

 講和条約を受け入れるということで

 日本は戦後の国家賠償を免れるという大きな利点を得た

 その基本になってる考え方は

 <戦争はA級戦犯の責任である>

 つまり

 <一般の人は戦争の被害者である>

 という図式だった

 中国、韓国、その他の国に対して国家賠償するということになると

 戦後、ゼロからの出発どころの話しではなくなる

 復興するのにどのくらいの時間がかかったか想像すら出来ない

 つまり、講和条約を受け入れるということで、今の繁栄がある

 という大きな側面があるということ

 諸外国から見ると

 講和条約を受け入れ、賠償を免除されたのに

 戦争責任のあるA級戦犯が合祀されてる靖国神社に

 公的参拝をするというのはおかしい

 ということになる

 だから、A級戦犯の名誉を回復をしたいなら

 最初に戻って、マイナスからスタートするか

 賠償を払うべき、という話しなのだ

 今のままでは、いいとこ取り、と言われても仕方がない

 なんだか、恥ずかしくなってきた

 最後に、もう一つ

 <狭量な国粋主義は本当に愛国主義か?>

 難しい表現ですが

 つ まり

 いかにも愛国的なベールをまといながら

 実は国益をそこなっている

 これが、公的な人にとって本当に国を愛することと言えるか?

 ということ

 両方とも国益を損なったには違いないとしても

 小泉総理大臣の煮え切らない決断がよかったのか

 石原東京都知事のきっぱりした態度がよかったのか

 きっぱりした態度と言いながら、戦犯合祀に至るコソコソは何だ!

 と思った。


今日の日本の繁栄は、尊い戦死者のおかげである、と言われている

講和条約を受け入れて、国家賠償を免れたことが繁栄の基盤である

とはあまり言われない

この二つは矛盾してるような響きがあるが、両方とも事実

顔の右と左のようなもの

左に自信がないからといって、右ばかり見せたがるのに似ている

条約というのは、取り引きであるが契約でもある

受け入れた以上は守る

というのが正しい態度ではないのかな?

本文と写真は関係ありません

  

 

    

 

 

2001年8月17日

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