ドライフラワー雑記

73

八月のセレナーデ

    もしも君と友だちになっていたら

    知ったふうな顔をして助言ししてくれたら

    ボクは涼しい顔で、

    利用するだけして ゴミ箱へ捨ててしまおう

    だから今日は 散歩にいこう

    誰もいない夜の街

    月の光り でたいていのことは

    美しく見えるから、、

こんな時に, スガシカオがこんな歌を歌うのは偶然だけど

ボクが身につまされてるのには理由がある

さて

友だちに困った出来事があった時

それに対して何が出来るか、と思う気持ちまでは

多分、純粋なんじゃなかろうか

と自分を疑いながら

気持ちを伝えたあとに、すぐ分ることは

痛みを感じないで考えたボクは

浮ついたことしか言えない

と思っても

黙ってしまっては、僕の意味がなくなる

だから ウーーム、話すのだけど

言ったはなから、すでに真実が消えて行く

と感じた時

友だちというのは、一体なんだろう

とあらためて考えさせられる

キミの問題を

自分の問題のように感じられる、と思うのは錯覚で

あふれる気持ちを噴射しても

とるにたらない

恐らく一番いいのは、

どんな時もキミの味方だけど

決めるのはキミしかいない

それが友だちなんじゃなかろうか

だから

ボクは知ったふうな顔をして助言したのであり

いいとこだけ取ったら

残りはゴミ箱へ捨ててしまうのがいい

と知ったふうな顔した

ボクは想う

10年くらい前

35才の友人があと一年しかもたないと言われた

本人だけが知らないことであり

彼はもっと遠い未来の具体的な計画を話し

でもそのころには、もういないかもしれないのだ

ボクはしげくお見舞いに通ったが、何故だったかわからない

行くたんびに時間がなくなっていくのは見るにしのびない

病院を一歩でると

その気持ちもどこかへ消えてしまう

人の痛みは分らないものだ

ボクとしては、そういう納得の仕方をしてしまった

しかし

いつも罪悪感はついてくる

  

 

    

 

 

2001年8月3日

return to index