ダリの心臓
随分前になるが、
ダリの宝石展というのを見にいったことがある。
そこには、溶け曲がった時計とか、足の長い象と一緒に
ルビーで出来た心臓があった。
ハート型の入れ物の中で真っ赤なルビーが詰め込めれ
それが心臓の様に、動いていたのだ。
ルビーとというのが、いかにもと言えなくもないが
すごく生々しい印象だった。
心っていったい何処にあるんだろう。
人は脳で感じ、
幸せだったり落胆したりしてるんだろうけど
僕にはそれが、心臓のあたりにいるような気がしてならない。
心臓はちょっとしたことで自信をなくくし
友だちの何気ない一言で立ち直ったりするものだ。
こういう詩を、メールしてくれた方がいます
歓ばしいとき、心の奥深くを見つめれば、
その歓びをあなたに与えたものが
かつてあなたに悲しみを与えたものと同じであることに気が付くだろう
悲しいとき、心をふたたび見つめれば、まさに、
かつて歓びを与えたもののために嘆いていることを知るであろう
あなたがたの中には、<歓びは、悲しみより大きい>という人もいる
あるいはまた、<いや、悲しみのほうがまさっている>という人もいる
しかし私は言おう。その二つは相離れることのできないものなのだと
この二つはいっしょにやってくる
そして、その一方があなたとともに食卓に座るとき
もう一つはあなたのベッドでまどろんでいることも忘れてはならない
あなたは、まさに、秤のように、
歓びと悲しみのあいだの宙に浮いているのである
そして、あなたが空しいときだけ、釣り合って止まる
意味深い詩で
自分がなにかで挫けそうになってる時に
それは決して悪い状態ではない
ちゃんと生きてる証拠のようなものだから
と、励まされているような気がしてくる
近頃、僕の秤が、釣り合って止まっていることがないのは
幸せなのか、そうでもないのか
取りあえずは、空しいときではない
ということか
心臓は不安な鼓動を刻み
心は何かでいっぱいだ
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2001年4月9日
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