ほーだい日記

12

靖国公式参拝が外国から非難されるのは何故か?

中国と日本の関係がまずくなっています。

日本に対する中国の反発原因は、教科書検定問題、東シナ海石油採掘問

題、それから靖国問題だといわれています。

まず、教科書問題。

フジサンケイグループ扶桑社の教科書はすっかり有名になり、

最初に擁護学校に採用させ、今年、東京都では新設された中高一貫の都

立学校でも採用されることになりました。

声を出しにくいところから始めるというあたりに、採用させたい人の気

持がにじみ出てていやな感じですが、これは国内問題だと思います。

東シナ海問題は境界線の問題であり、双方に言い分がありそうです。

僕としては、この二つと靖国とは一緒に考えてはいけいない事と思って

います。

靖国公式参拝は、日本国内でも色々に意見が割れています。

心配なのは、中国でのナショナリズムの盛り上がりが、日本のナショナ

リズムを盛り上げてしまう、ということです。

今迄、靖国公式参拝にyesでもnoでもなかった人がyesになってしまうか

もしれない。

靖国公式参拝にたいしての支持率が上がってるのは、中国にする反発か

らだ、と思えるのです。

2001年、夏。小泉首相が公式参拝。

その数日後、雑記帳に書いた、何故、靖国神社公式参拝は外国から非難

されるのか?という文章があります。

これをセルフ引用することにしました。

8月13日に小泉総理が参拝した

異論反論賛成論、色々だ

象徴的だったのが、石原都知事で、

<足して2で割ったようなこそくなやり方>

と批判している。

彼は都知事として公式参拝をした

テレビで見る限り、靖国では大きな拍手で迎えられ、

自身のイメージが上がったと思ってるのかな

と書けば 悪口に聞こえるかもしれないけど、その通りです。

さて

8月14日のTBSラジオ、アクセスでの都立大の宮台慎司さんの話し。

公式参拝は50年前にした約束の違反であるということです。

車の中で聞いた話なので、記憶違いもあるかもしれませんが思い出し書

きしてみました。


まず第1
 
靖国神社にA級戦犯が合祀されている

これは靖国神社が国家が管理してるものではなく

一般の宗教施設なので、靖国の自由であるということだから、一般人と

しての参拝に問題はない。

、、、これには
 

靖国は戦後、国家の宗教として法的に認められることを目指した。

それに賛同する政治家が動いたが、この法律は廃案になった、という経

緯がある、、、

 
第2に、公式に参拝するということについて

欧米では、戦没者墓地を公式に訪れるというのは大切な儀式になってい

る。しかし、そこに戦犯が葬られている場合は、これは大問題になる。

、、、例えば、ドイツ

首脳が公式に訪れた戦没者墓地に、ナチスのメンバーが埋葬されていた

ことが後に分り、大きな国内問題になった。

そして、議会で、新しい国営墓地を作ることが議決された

第3
 
50年前のサンフランシスコ講和条約において、日本は東京裁判の判決

を受け入れた。この裁判は不平等であるといわれてる。


、、、当時は軍部が国の中枢を掌握していた

首相は事実上、戦争を止める権限がなかったがA級戦犯とされた、、、

しかし

講和条約を受け入れるということで、日本は戦後の国家賠償を免れると

いう大きな利点を得た。その基本になってる考え方は<戦争はA級戦犯の

責任である>

つまり、<一般の人は戦争の被害者である>という図式だった。

中国、韓国、その他の国に対して国家賠償するということになると、戦

後、ゼロからの出発どころの話しではなくなる。

復興するのにどのくらいの時間がかかったか想像すら出来ない。

つまり、講和条約を受け入れるということで、今の繁栄がある、という

大きな側面があるということ。

諸外国から見ると
 
講和条約を受け入れ、賠償を免除されたのに、戦争責任のあるA級戦犯が

合祀されてる靖国神社に公的参拝をするというのはおかしい、というこ

とになる。

だから、A級戦犯の名誉を回復をしたいなら、最初に戻って、マイナスか

らスタートするか賠償を払うべき、という話しなのだ。

今のままでは、いいとこ取り、と言われても仕方がない。

 最後に、もう一つ
 
<狭量な国粋主義は本当に愛国主義か?>

難しい表現ですが、つまり、いかにも愛国的なベールをまといながら、

実は国益をそこなっている。これが、公的な人にとって本当に国を愛す

ることと言えるか?ということ

小泉総理大臣の煮え切らない決断がよかったのか

石原東京都知事のきっぱりした態度がよかったのか

今日の日本の繁栄は、尊い戦死者のおかげである、と言われている。

講和条約を受け入れて、国家賠償を免れたことが繁栄の基盤である、と

はあまり言われない。

この二つは矛盾してるような響きがあるが、両方とも事実。

顔の右と左のようなもの。

左に自信がないからといって、右ばかり見せたがるのに似ている。

条約というのは、取り引きであるが契約でもある。

受け入れた以上は守る。

というのが正しい態度ではないのかな?

靖国神社の純ちゃん饅頭

なんちゅうか

ぶらっく。



2001年8月17日

 

2005.4.25

return to index