Windows95と下書き野郎

やっぱり、下書き野郎について書かないわけにはいかないのだ。別に差別じゃないのだ。これは厳然たる実話なのだから。

下書き野郎は確かに存在する。
彼らにはパソコンやワープロは清書するための道具であり、文章は手で書くものなのだ。
彼らにとってパソコンやワープロは非常に生産性の低いもので、手で書く方がよっぽど早いのだ。
そして、下書きが終わるとパソコンで清書する。
しかも、それを人に頼むのだ。だって、自分ではできないんから。
下書き野郎は言う。
「ワープロで書いた文章には心がこもってない。やっぱり大事な文章は手書きだ」
まぁ、ラブレターならそうかもね。
しかし、そんな下書き野郎もパソコンを使うのだ。
ただし、パソコン通信といくつかのゲームができるだけだ。そして、応用は一切きかない。 パソコンのスイッチを入れてこれまでにやっとのことで覚えた操作を繰り返すのみである。 見たことない現象が発生したらもうお手上げだ。
それだけではない。
下書き野郎は機械全般が苦手だ。パソコンに限った話ではないのだ。

理由は簡単である。下書き野郎はボタンがいっぱいある機械の操作ができないのである。
だから、下書き野郎はビデオデッキなんか使えないし、パソコンなどもっての他なのである。
パソコンには卒倒しそうなほどたくさんボタンがあるからである。そう、キーボードだ。 30個も40個もボタンがあったら、もうどうにもならないのである。どのボタンを押したら何が起こるか全く予測できないからだ。
自分が正確に動作の結果を知っているボタン以外には決して触れないのである。そして、 「パソコンを使えない人は滅びると思います。」というCMを見て、深く落ち込むのである。
下書き野郎の友達はそろばん野郎だけなのだ。

しかし、そんな下書き野郎にも朗報が訪れた。
Windows95Plug & Playだ。Windows95で操作性が向上し、 Plug & Playはハードウェアのセットアップを自動的にやってくれるからだ。 これで機械が苦手な下書き野郎も大手を振ってパソコンが使える訳だ。
もう、これでパソコンが使えないからと言って引け目を感じることはないのだ。 それまで、下書き野郎はパソコンの前を通過する時は目を伏せて歩いていたのだが、もう違う。 胸を張ってパソコンの前を通り過ぎることができるようになったのだ。こころなしか薄笑いまで浮かべる余裕さえ出てきたのだ。
復権だ。
それはぬか喜びだった。なぜなら、Windows95になってもボタンの数は変わらないからである。 そしてアドオンボードの増設は相変わらず、パソコンの蓋を開けなければ不可能だからである。
これが世に言う「下書き野郎の三日天下」である。
しかし、下書き野郎は挫けない。転んでも只では起きないのである。
「やっぱり、手書きじゃなきゃ心の篭った文章は書けない。」と再認識するのである。

勘違いしてはいけないことが一つある。
下書き野郎は決して中高年だけのことではないのである。程度の差こそあれ、どの世代にも下書き野郎は存在する。
あなたの周りをよく見てみよう。機械の苦手な人がいるはずだ。
これからパソコンはもっともっと便利になって来る。PC97が一般化して、下書き野郎もパソコンをもっともっと使えるようになるだろう。しかし、下書き野郎はいなくならないのである。

下書き野郎は、パソ通野郎、ゲーム野郎、ワープロ野郎、一本指野郎、インターネット野郎そして98野郎に姿を変えてあなたの周りに存在し続けるのである。

 

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