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 「怪しい興行」プロデューサー 
      笹野高史      
    独占インタビュー    

六本木自由劇場のこけらあげ公演の興奮も冷めやらぬ1996年7月 20日(土)。 16:00に、東京は秋葉原の某パソコンショップ内にあるインター ネットカフェにて笹野氏と待ち合わせをしました。多少時間に遅 れて笹野氏が登場。黒いキャップに黒い上着、ズボンと黒づくめ でのご登場! 颯爽と歩く様は、本当にほれぼれとしてしまいま す。インターネットカフェも利用し慣れていらっしゃるのか、こ ちらの要求を店員さんにてきぱきと伝えていきます。 私たちのホームページを始め、1時間ほどインターネットでネッ トサーフィンを楽しんだ後、パソコンショップを見てまわりまし た。笹野さんのお目当てはVRAMだったようなのですが、生憎 と笹野さんのマシンにあった物は品切れでした。そろそろお腹が 空いたねと言う事で回転寿司へ。笹野さんが船乗りをされていた 時のお話などをお聞きしながらお寿司を食べ、お腹が落ち着いた 所で喫茶店へ移動。いよいよインタヴューの開始です。とにかく インタヴューなんて初めての経験である私はまともに笹野さんの お顔を見て話す事が出来ず、拙い進行、余計な合いの手と、笹野 さんには本当に話しづらいインタヴューだったと思います。にも かかわらず、優しくお付き合いくださり、本当に感謝しています。 では、インタヴューの様子の再現です。


[S]笹野氏、[K]聞き手

[K]本日は、お時間を割いていただきましてありがとうございま
  す。
[S]いえ、こちらこそ。
[K]まずは、笹野さんの初プロデュース『怪しい興行』の大成功、
  おめでとうございます。
[S]どうもありがとうございました。
[K]ではまず、千龝楽こけらあげを終えて、自由劇場の最後を見
  送った、今の心境をお聞かせください。
[S]えーっ、ほっとしたというのが実際の所です。あのー、最後、
  (劇場から)荷物が何も無くなりまして、日本酒を、お神酒
  を、こちらの勝手でお化けの出そうな所とか、芝居の神様の
  出そうな所へ、お神酒をぱらぱらとまいて、それで最後、出
  てきました。

[K]では、こけらあげの演目として、なぜ『ダム・ウェイター』
  を選ばれたのかという理由について教えてください。
[S]え、別にさしたる理由はございません。あの、とにかく何か
  やんなきゃ、自分なりに何かやんなきゃ自分の気持ちに整理
  が付かない。何度も申しましたがあの、何か感謝の気持ちを
  表さない事には罰が当たると思いまして。罰が恐かったんで、
  なんかやらなきゃと。丁度3年前にやりました串田氏との
  『ダム・ウェイター』が、串田氏が(劇場の)オーナーなの
  で丁度良いと思いまして。『怪しい興行』も続けないといけ
  ないと、かねがね思っておりましたので。えー、劇場の最終
  と、『怪しい興行』の再出発といった所で丁度良いんじゃな
  いかと。
[K]あぁ、なるほどそうですねぇ。区切りとしてね。

[K]その『ダム・ウェイター』なんですが、なぜ『怪しい興行』
  なのですか?
[S]『怪しい興行』を最初に言いだしたのはねぇ、多分串田氏で
  すね。えぇ。「怪しいよなぁ。」という言葉が稽古中に何回
  か出て、それで『怪しい興行』にしようと言い出したと思い
  ます。
[K]言い出しっぺは串田さんだった訳ですね。
[S]と思いますね。うん。

[K]では次の質問なんですが・・・ ちょっとお答えづらいかも
  しれないのですが。劇場のこけらあげを、なぜ劇団を退団し
  て久しい笹野さんの手で行う事になったのでしょうか?
[S]はい。これは誠にね、諸先輩、劇団員の方々を差し置いて言
  い出しっぺになった事は、非常に僭越だと思っております。
  が、僕が自由劇場にいなかったのは、出なかったのは、5年。
  5年なんですよね。で、劇団員としてではないんですが、自
  由劇場に再び出るようになったのが、5年後なんですよね。
  で、劇団員ではないんですけども、皆、後輩達の気持ちの中
  には、劇団員以上の親しみっていうか、思っててくれたよう
  ですし、僕もほとんど劇団員のような顔をしてましたしね。
  先輩面してましたし。何かって言うと意見してましたしねぇ。
  そんな感じだったので、会議とかに出ないわがままな先輩っ
  ていうような気持ちでいたんだと思うんですよ、多分。僕は
  それを感じましたから。
  それに僕はずっとあそこの劇場で始めてましたし。それで串
  田氏や吉田さんは「笹野、笹野」って言ってくれてましたし
  ね。で、なんか彼らとは違う存在感っていう物を僕は持って
  るなぁと、彼らにとって重要な人物であるって事を認識させ
  られてましたから。僕が言ってもそんなに誰も文句は言わな
  いだろうという自信はありましたから。
  だけど、心の中では、どうして誰もそれを言い出さないんだ。
  なんでこういう事を誰も考え付かないでこのまま劇場を閉め
  るんだっていう事を言いたかったね。だって、杢弥達なんか
  の若い役者さん達が劇場を閉めるっていうのはとっても象徴
  的で良いなって思うけど、世話になった劇場にどうして最後
  にけじめをつけないんだっていうのを、ちょっと感じました。
[K]ま、笹野さんの人徳があってという事ですね。
[S]うまいですねぇ。
[K]あはははは (^^;

[K]それでは、ちょっと話が飛んでしまうのですが、笹野さんの
  自由劇場にまつわる思い出話をいくつか聞かせていただける
  と・・・
[S]えーっと。沢山ありますよ。物凄く沢山ありますけど。
  うーん。そうだなぁ。ずーっとあの劇場でしか僕役者知りま
  せんから、あそこで覚えて。
  僕は唯一自由劇場っ子って言われてねぇ、昔は。「串田の弟
  子っていう感じがするねぇ」って良くいろんな人に言われて
  ね。あの劇場にはね、僕自身いろんな思い出があるんですよ。
  好きですから。で、辞めて外の大きな劇場に出たりもしたん
  だけど、小さい劇場の出身だねぇって陰口も叩かれましたし
  ね。大きい劇場に向かない芝居だとかってねぇ、悪口も言わ
  れましたし。その悪口も良い事も、皆自由劇場にまつわって
  る訳だから、それだけ僕の身に染み付いているって事ですよ
  ね。だからそれは多分、大森とか真名古にも負けないくらい
  あるんだと思う。自由劇場っ子だって。それがいちばん強い
  思い出ですかね。はい。
[K]劇団を出てからの方がかえって自由劇場っていう事で降りか
  かってくる事が多かったんですね。
[S]そうですね。自由劇場、自由劇場。あいつは自由劇場ってず
  っと言われてましたから。その自由劇場っていうのは、コク
  ーンに行ってからの自由劇場ではなくて、六本木の自由劇場
  のことですね。あそこでバンスキングも生まれたしね、寝泊
  まりもしましたし、恋も生まれましたし、涙も流しましたよ。
  はいはいはいはいはい・・・・・ はっはっはっは
[K]レミゼの様な大きな舞台に立たれて、ご自身でもギャップは
  大きかったのではありませんか?
[S]いや。ギャップねぇ、逆にそんなに感じなかったですよ。ま、
  いきなり大劇場に行った訳ではないから。自由劇場の時から、
  大きい劇場、バンスキングの時とかね、大きい劇場でやって
  たりしましたし。その時はさすがに動きとか考えましたけど、
  僕は芝居を変える必要はないって思いますから。あのぉ、外
  国の芝居とか観ても、そんなに違った芝居してないし、もっ
  と、自由劇場よりももっと細かいリアルな芝居してるし、な
  んかやっぱり、芝居ってこんなんで良いんだって。実際に、
  外国に芝居を観に行った事もありますけども、歌舞伎みたい
  な大きな動きの、大劇場向きの芝居っていうのは割に少ない
  ですなぁ。もっと映画と同じくらい細かい芝居をしてました
  から。むしろ僕はそっちの方が正解だって思う。昔からそう
  思ってましたから。違和感はそんなに無かったですよ。日本
  だけじゃないかなぁ、大きい劇場だからってちょっと大きい
  動きをしようっていうか、正面向いたまま芝居しちゃうとか
  さ。なんか、割と形で芝居するっていうのかな。そういう事
  に関しては多分、僕は下手だと思う。
[K]確かに、どのお芝居を観ても、笹野さんのお芝居って細かい
  ですよね。
[S]細かいでしょう。
[K]観てる人間を飽きさせないですよね。
[S]細かいでしょう。細かすぎるんですよ。昔、佐藤B作がねぇ、
  「笹野の芝居はねぇ、ミクロの芝居だ」って言ってねぇ、悪
  口言うんですよ。
[K]でも、ミクロの芝居って言うのは細かい所まで行き届いてい
  るって事ではないですか?
[S]いえ、違うんですよ。ミクロっていうのは目に見えないでし
  ょう?
[K]無駄な努力っていう事ですか? (笑)
[S]そういう事ですね。(笑)目に見えない事までしてってね。
  未だに「ミクロの芝居、ミクロの芝居」ってね・・・
  しょうがないですね。性格ですからね。
[K]ま、信念を持って細かい芝居をされていると。(笑)
[S](笑)信念は持ってないけど、これしかできないんですよ!
  (爆笑)

[K]それではですねぇ、先程も少しありましたが、名コンビぶり
  を発揮されておられました串田さんに、「これから」と言う
  事もありますので、何か一言お願いします。
[S]あのー、最初ねぇ、3年前にやった時はねぇ、もう、ただや
  りにくてねぇ、「もう2度と一緒にやらねぇ」とかねぇ、自
  分の師匠なのにねぇ、いろんな事思いましてね。でも今回や
  ってみると、ねぇ。
  あぁなかなかやっぱりこういう人は得難いなぁと感心しまし
  たね。えぇ、発想も凄いですしね。刺激されますし、逆に僕
  が串田氏を刺激している事もあるみたいですし。まぁ、相手
  役としては得難い人物であるなぁと思いましたね。本人は演
  出家としてしか評価されない事を不満に思っているようです
  が、でもまぁ役者としてこれから頑張ってもらいたいなぁと
  思っております。
[K]串田さんの場合は声がちょっと聞き取り辛いなぁと思うんで
  すが・・・
[S]うん。悪声ですね。
[K]自由劇場くらいの空間が丁度良いですよね。
[S]あのー、声が悪いのはね。僕も元々声が悪いんですけどね。
  声の悪さは師匠譲りですねぇ。あぁいう人達に発声練習とか
  を教わったからかなぁ。昔はただただ科学的な事は何にもな
  くね、科学的な根拠なく、大きな声を出すっていう。だから
  針金のような声になっちゃう。でも、そうだね。サムはそれ
  だけがちょっとね。
[K]そうですね。笹野さんは聞き取りやすい声だと思うんですけ
  ど。
[S]それはあの、Kさんが僕のファンでいらっしゃるから。(^^;
  あの僕ね、かえってね、昔歌舞伎の贔屓さんが作った言葉に
  ね、1.声、2.振り、3.姿っていうのが、ファンの贔屓
  筋の間にあって。歌舞伎観に行くのに、まず声って。声って
  いうのはね、とっても重要なの。子供見ててね、そう思った
  んだけど。子供はねぇ、「何とかちゃん!」って呼ばれる、
  その母親の周波数を覚えてるんだよね、うん。だから、人込
  みの中でも「何とかちゃん」っていう声にさっと反応するの。
[K]自分のお母さんの声に。
[S]うん。お母さんの声。周波数に。それはね、物凄く動物的で
  ね、イルカみたいに。鳥とか。あの、交尾期になるとある周
  波数を出して、普段とは違う声を出してメスに会えたりする
  でしょ。声ってね。
  まず声の響きで、なんか感じるんだなぁ。
[K]つまり、自分を気持ち良くしてくれる声の役者さんが良いと。
[S]そう! そうそうそうそう。だからそれはねぇ、割と人それ
  ぞれなんじゃないかなぁ。この人良い声だって感じるのは、
  千差万別なんじゃないの?
[K]そうですねぇ。
[S]声ってねぇ、物凄く重要なんですよ。
[K]あんまり気持ち良すぎる声でも、眠くなっちゃいますよね。
[S]うんうんうんうんうん。そりゃそうですよね。あの、昔の新
  劇の俳優さん達はね、声の訓練を一所懸命してね。こんな風
  に、あの、喉の奥の方からしゃべったりなんかしてね。「う
  ーん、マクベスがなんとかで・・・」そういうのに反発して
  僕らも、むしろ悪声である事を、昔は、アングラをやってた
  頃はね、悪声である事を誇りにしてやってたんですけどね、
  えぇ。商売にするようになってからは、そういう訳じゃいけ
  ないって思いましたけどねぇ。ま、ミュージカルなんかやる
  ようになったら。ちゃんと訓練するようになって。
  未だに、後悔してますけどねぇ。

[K]では、最後の質問になるのですが、初プロデュースであり、
  懐かしい自由劇場のこけらあげ公演でもあった『怪しい興行』
  ですから、思い入れもかなりのものがあると思うのですけれ
  ども、今後の『怪しい興行』に関する構想などがあれば、是
  非教えていただきたいのですけれども。
[S]はい! えー、夢は、ニューヨーク公演。ニューヨークから
  ロンドンへ行って、ロンドンからヨーロッパ、イタリアとか、
  うーん、スペイン辺りが公演場所としていいなと思って。
[K]凄いですね!
[S]はい。そういうのが実現するといいなって思ってます。そう
  いう時には、『怪しい興行』の出し物としては、3本か4本
  ありまして。えぇ、日替わりでもって、同じ舞台と同じ衣裳
  で違う出し物をやる。これは良いじゃぁないですか!
[K]面白そうですね!!
[S]でしょう! いないでしょう!
[K]えぇ! お金を貯めないと、でも観られませんねぇ(^^;
[S]そうですねぇ。でも、アメリカとかねヨーロッパでの公演が
  出来るといいなぁって思うんですよ。
  面白いと思わない? 客観的に考えてね、50位の人、二人
  の芝居が世界中をまわってるなんてね、面白いよね。なかな
  かないよね。いつも同じ衣裳で違う出し物をやってる。これ、
  客観的な情報を聞くと、俺は観たいなぁと思うなぁ。
[K]これは、結構話題にもなると思いますよ。
[S]うん。なんか、面白そうだよねぇ。それがまぁ、夢ですねぇ。
[K]世界各地で、頭をかち割ったりする訳ですね(^^;
[S]そうですね。うっふっふっふっふ・・・
[K]では、今後のご活躍を陰ながら応援させていただきます。
[S]よろしく一つお願いいたします。
[K]どうもありがとうございましたm(__)m
[S]こちらこそ。


************ インタヴューを終えて ***********

自由劇場の思い出を話す時、芝居について話す時、『怪しい興行』のこれから
の構想を話す時、本当に笹野さんは真面目に熱っぽくお話してくださいました。
時には照れながら、時には楽しそうに・・・ 笹野さんの自由劇場やその仲間
たちへの温かい思いや、いつまでも過去にこだわらず、新しい世界を切り開こ
うとしているそのパワーに圧倒された、あっという間の30分でした。
笹野さん、本当にどうもありがとうございましたm(__)m
もう、ご存知の方も多いとは思いますが、笹野さんの次のステージは、青山劇
場での『エニシング・ゴーズ』です。今回は5年ぶりの再演で、大地真央さん
主演の、歌や踊りが楽しい明るくて元気の出るミュージカルだそうです。公演
は10/4〜31まで。また、みんなで応援しましょうね!         by K

【笹野氏のプロフィール】
 兵庫県出身。1977年まで自由劇場に所属。同劇団の代表作『上海バンスキン
 グ』のバクマツ役で注目される。「釣りばか日誌」シリーズ、「男はつらい
 よ」シリーズ、「学校の怪談」、「美味しんぼ」等、映画にも多数出演。
 主な舞台作品に『もっと泣いてよフラッパー』、『ミス・サイゴン』、『レ・
 ミゼラブル』等がある。

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