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● ● ● 六本木自由劇場「ラストナイト」● ● ●



1996年7月7日夜10時
「ダム・ウェイター」スーパー千龝楽

1996年7月7日夜7時の千龝楽公演の後、夜10時より自由劇場ゆかりの演劇関係者を招いてのスペシャルステージが公演されました。

1966−1996

そぼ降る雨の中、最後に客席に降りると会場はなんだか凄い熱気。今回、私は初めて階段席からこの舞台を観たのですが、普段のステージも奥の方や階段の上の方の席はいつもあんな熱気なんでしょうか。それともやはりこの日は特別の熱気だったのかな。客席の雰囲気はこの前の回、一般向け千秋楽とはなんだか違う気がします。

この日のための飾りつけは、初演以来の古い公演写真とポスター。
旗揚げ公演「イスメネ地下鉄」その横に「ダム・ウェイター」が並べられ、それぞれに「1966」と「1996」の文字。この劇団の30年の歴史の象徴でしょうか。
青地に大きく掲げられた「コカコーラ」のビンはさながらウォーホールを思わせます。
そして客席の中にはティンゲルタンゲルの衣装をつけた自由劇場の役者達がちらほら。
客席にはなんだか有名人が一杯。といっても有名人の中で私が普段着のスッピンを知ってるのはごく僅かだったりして(^^;)。
後述する方々以外で私が確認できたのは、松本幸四郎氏、朝比奈尚行氏、生田萬氏、小田島雄志氏、小川真由美氏等。

お芝居の方は特に変わること無く上演されました。
と言っても客席の熱気は普段の客席の熱気とは別種の熱気。私が観ることの出来なかった六本木時代の自由劇場の熱気とでもいいましょうか。
そして終幕。

「乾杯」
−−−段取りが悪くてつまみは配られるがグラスが足りなかったりしましたがそれはご愛敬。−−−


六本木自由劇場版ティンゲルタンゲル

先ずは串田和美さんからの挨拶。
そしてその後はスペシャル「六本木自由劇場版ティンゲルタンゲル」が始まり六本木の長くせつない夜は始まったのでした。。

一番手は武石一恵・稲葉良子・阿部祥子による「湖の三姉妹」
いつもは湖の向こうの怪物に脅える姉妹、今日はなんだか空腹のご様子。「唐揚げ食べたい」とか「串揚げ食べたい」とか言ってるのち「こけらあげ」という落ちでした。

続いて大森博・富田綾子「バスストップ」
この「バスストップ」ラジカセが上手く作動しなくて音が出なかったり、時間の関係で大幅カットがあったりで大変でした。

構成は富田さんが縄跳びを終わった後、飛行機かトラックかが爆音と共に通り過ぎて富田さんが「乗りたい・乗りたい」と言った後、やにわに大森さんが富田さんを射殺するはずが、今回のヴァージョンでは縄跳びの後でいきなり大森さんが富田さんをピストルで撃ってしまうという段取り・・・・唐突すぎて・・・串田さんが客席から「訳解らねえじゃないか〜」突っ込む突っ込む

唐突に終わったバスストップの後は片岡正二郎・冨岡弘・長谷川恵子の「新作(!?)」
足に大きな下駄上の板切れを履いてお尻にはクッキーの缶かなにかがセットされています。
タップ(の様な)ステップを踏みながらこの缶を後ろ足で蹴りあげての(タップ)ショー。
各氏「在籍○年。退団○年」と宣言。長谷川さんは「退団してな〜い」
串田さんはまた客席からがんがん突っ込みます。
「つまんねぇゾッ。冨岡。」
「相変わらず変わんねぇな!。今何に出てるんだ?」
富岡さんはすかさず
「DORAでございますm(__)m沢田研二さん、お世話になってますぅ」
という訳で私の目の前に座っていたのは沢田研二さん。
ちなみにこの「DORA」の中の富岡さん。オープニングにいきなり登場する姿はなんだか「もっと泣いてよフラッパー」の”アラバマのバウバウ小僧”を髣髴とさせるものがありました。

続いてはティンゲルの人気演目。小日向文世さんの「ボレレ」あの濃密な空間でのボレレは最高でした。

ここでティンゲル演目はひとまず終わりゲストの登場です。
東京乾電池の綾田俊樹さんとベンガルさんの登場。東京乾電池は柄本明さんも含めて創立メンバーは殆どが自由劇場出身。
ベンガルさんが賞状を持ってそれを綾田さんが読むという趣向で・・・
・東京乾電池創立20周年とか・・
・綾田さんに46歳にして子供が出来たとか・・
なかなか本編が登場しない。(なんでも先程の「ダム・ウェイター」スペシャル千秋楽の上演中にこそこそ打ち合わせたネタらしい)
思い出話では、「マクベス12」の上演の時に「鎧を作るから近所の金属のゴミ箱かっぱらって来い」とか言われてそうしたとかしないとか・・

続いては六本木自由劇場の「大家」さん。三保谷硝子のご主人と奥様のご紹介。
吉田日出子さんが旗揚げの為の本拠地として劇場を探している時に「歌舞伎の様なものですか?」と聞かれて「はいそうなんです!」と答えてしまったとか(^^;)因みに奥様は自由劇場の公演でご覧になったのは“こけら落とし”の「イスメネ地下鉄」と“こけらあげ”の「ダム・ウェイター」の二本だけだとかヽ(^。^;;)丿

舞台上の吉田日出子さんと串田さんに呼ばれて旗揚げメンバーが舞台に。
清水紘治さん、斉藤憐さん、樋浦勉さん、溝口舜亮さん。
吉田さんと串田さんを含めると創立メンバー13名のうち6名が揃ったことになります。和気あいあいと創立時の苦労話が語られます。清水さんがデコ(吉田)さんに初めて貰ったダメ出しが「なんであんたそこに居るの?」だったとかで、「演技がどうのなら、まだしもなんでそこに居るか聞かれても・・・」って(^^;)
このネタはそうとう有名らしくてデコさんは「まだそのこと言うかなぁ・・・」って。

斉藤憐さんは「30年守って来たのはこの二人です」と挨拶。

笹野さんが横から「私達が居るのも諸先輩のお陰です!」と突っ込みます。

柄本明さんが舞台に呼ばれて運転手から抜擢で劇団員になったとか。ひとしきり笑いを取ったあと、

六本木自由劇場の設計を手掛けて以後劇場設計を専門にしてしまった斉藤義さん。
「自由劇場ものがたり」にも話が載っていますが六本木自由劇場開場時、狭い中になんとか緞帳幕や袖幕、楽屋まで作ったものが公演を重ねる内に段々と引き剥がされ、気がつくと裸の空間が残っていたとか。

解散時のメンバー以外で仮装して劇場入りしたのは初代「リリー」田辺さつきさん。
沢田研二さんが紹介された後、舞台上に自由劇場オリジナルバンドの面々が上がって稲葉良子さんの歌。


「ダイナ」「リンゴの樹の下で」

なんという事でしょう。六本木自由劇場でデコさんのボーカル・自由劇場バンドの演奏で「上海バンスキング」のナンバーを聞くことが出来るなんて。曲は「ダイナ」「リンゴの樹の下で」
六本木自由劇場での「上海バンスキング」を知らない私にとっては至福の2曲でした。
その後自由劇場オリジナルバンドによる「'95−'96版ティンゲルタンゲルのテーマ」

ショータイムは此処で一端終了。大まかなお客さんはここで帰られてその後は終わらない「大宴会」のスタート。私は翌日仕事が有ったので途中で引き上げる事になったのですが、結局朝5時半まで飲み明かしたそうです。

ショータイムの後、一端外へ出ると「演劇センター」時代の盟友、スーパーカムパニイの中山マリさんが串田さんに挨拶してました。
「ありがとう。楽しかった」って。つきなみな挨拶の中に万感の思いが込められていてじーんとしてしまったのは私の思い込みでしょうか?。
公演日には毎日開場時間を告げた六本木自由劇場の入口の上のフレームに吊られた鐘は人知れず下ろされました。この鐘、一つは吉田日出子さんの家に引き取られたとか。



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