明神岳/東稜

<報告者> 甲府/望月


<遭難事故日>    2000年11月24日(金)

望月@甲府です。

明神岳東稜で、遭難死去された広沢さんとは
面識等は有りませんでしたが、
同じ山好きとして、心から御冥福を
お祈り申し上げます。
G山想MLに、ML管理人補佐山本さんの事故経過報告が
載せられましたので全文紹介させて頂きます。

> 
>  山本@管理人補佐です。
> 
> 先にご連絡した広沢睿氏遭難の経過が
> 判明しましたのでお知らせいたします。
> 
> パーテイ L 薄田俊治、野村吉伸、広沢睿
>        (いずれもどんぐり山の会会員
>         ただし広沢氏は入会後1ヶ月)
> 「行動経過」
>  11月23日(木)入山
>     タクシーにて釜トンネルまで  6.00
>     明神着            9.30
>     ひょうたん池         12.30 ここで幕営
>  11月24日(金)
>     出発             6.40
>     バットレス基部        8.50
>     行動開始 オーダー 広沢、野村、薄田 ノーザイルにて行動
> 
>     基部の左手を捲いて通過できるところに古びたフィックスザイルあり
>     トップの広沢氏がこのフィックスに登高器あるいはカラビナを通して
>     バンドを5メートルトラバース後、4メートル直上。
>     広沢氏はややフィックスに頼りすぎているような感じがしたとの
>     薄田リーダーの感想。
>     後ろで見ていた薄田リーダーはフィックスが古いようなので
>     不安を感じていたが、突然、懸念していた通り、フィックスが
>     切れたらしく広沢氏が4メートル下のバンドまで墜落、バウンドして
>     その横にあるルンゼに転落していった。
>     9.00 行動開始して僅か10分後のことであった。
>     転落した距離は約100メートル。
>     薄田リーダーと野村氏はルンゼを下降し、広沢氏が
>     倒れているところまでたどり着いた。
>     頭を下にして逆さまの状態であった。
>     声をかけると返事があり、その時点での生存は確認できた。
>     「苦しいですか?」との問いかけに
>     「体勢が苦しい。」との返事あり。
>     野村氏と協力し、体の向きを直して座らせた。
>     呼吸が止まったように思われたので心臓マッサージ開始。
>     再び呼吸快復。
>     45度くらいの急斜面なので4〜5メートル下部の
> テラスまで体を移動し空にしたザックを敷いてマットとし
>     体を横たえさせる。
>     再三呼吸が停まるので心臓マッサージを繰り返す。
>     9.30 ルンゼの中のためかトランシーバーが通じないので
>     野村氏が連絡に赴くこととなり、負傷者には薄田リーダー
>     が付き添いマッサージを続けた。
>     再三瞳孔が開いたり閉じたりを繰り返す。
>     心臓の鼓動が確認できなくなってきた
>     pm.1.30 下山した野村氏の連絡が県警に通じ
>     比較的近くにいた東邦航空のヘリが飛来。
>     広沢氏と薄田氏をピックアップ。
>     pm.2.30ヘリポート着陸
> pm.2.40救急車にて豊科病院へ広沢氏を搬入
>     pm.2.55病院の担当医師が死亡を確認
>     pm.8.00東京より広沢夫人到着。県警事情聴取。
> pm.12.00世田谷区北澤の自宅に遺体搬送。
>  11月25日(土)どんぐり山の会永井代表、薄田リーダー、野村の
>     3氏で現地の関係先挨拶回り。
>     夕刻帰京。
>                   以 上

★ 遭難事故報告へ戻る ★  INDEXへ戻る