槍ヶ岳/東鎌尾根

日本登高研究会/伊藤・新保・鈴木・惠川


< 記 録 > 惠 川 佐 和 子


(山行日)1996年12月28日(土)〜1997年1月1日(水)

<記録>
ルート:  宮城ー中房温泉ー燕ー大天井ー西岳ー東鎌ー槍ー新穂高温泉
デポ:    11月上旬{ デポ1(大天荘付近)、デポ2(水俣乗越)}
装備:     9mmザイル50M、6mmロープ40M、スノーバー2本
           ハーケン2枚、カラビナ各自3〜4枚、シャベル各自、テント(エスパース)
12月28日(土)

あずさ3号にて新宿を出発。穂高駅で下車。タクシーにて宮城まで行き、ゲートの前で降りる。 ゲート付近には雪は見当たらず、空を見上げると薄曇りで小雪がちらつく。 荷物を整えて林道を歩き始める。第一発電所あたりから雪が付きはじめるがたいした量ではない。 荷物の重さに少々うんざりしながら淡々と歩いていくと、サルが数匹出没した。

 サルは我々には感心がないようだ。カーブを何回かくり返し、ゆるい登りをあがってゆくと、建 てたばかりの立派なトイレが目に入った。11月の偵察時には建築中だったのが完成したようだ。 長年利用していた古いトイレは跡形もなかった。 トイレの前に一張、売店のそばに二張のテントがあった。一日目になるべく距離を伸ばす方針で、 そのまま第一ベンチへと進。合戦尾根にはいったとたん雪の量が多くなるが それでも大した量ではなくトレールもばっちりついていた。おなじみの急登で荷物の重みが更に 加わったが、思ったより早く第一ベンチに到着。既に一張のテントがあり、我々は登山道をはさ んで左側に整地してテントを張る。樹林帯で風もなく予想通りベンチ下からの湧き水は流れ、 快適な第一夜を迎えた。

食事が終わり空を見上げるとあふれんばかりの星が瞬いていた。明日からの好天に期待する。

コースタイム:宮城/11:37 中房/15:00 第一ベンチ/15:47

12月29日(日)

風もなく静かな朝を迎える。食事を済ませテント撤収。始めからアイゼンをつけ第二ベンチへ と向かう。しばらく歩くと東の空がオレンジ色に染まり夜が明ける。思った通り良い天気で嬉し い。途中から荷物の重さに腰と背中が痛みだし、合戦小屋に着くころには段々痛みが強くなり、 燕山荘までも着かないのではないかと思うようになった。積雪もさほど多くはないが徐々に増え ている。空には雲一つなく青いカーテンを張ったようだ。あえぎながらやっと燕山荘に到着。

 不調を仲間に訴え、自分だけ敗退の旨を申しでるが、とりあえず大天井まで行くようにと言われ 荷物を分散して持ってもらい、意を決して大天井へと向かう。

冬はもちろん5月の連休も岩の間を潜りぬけるゲエロ岩も雪庇がなく夏道ルートで通過した。 何回かのゆるいアップダウンをくり返し、クサリ場を通過。喜作レリーフに到着。 ああ、目の前の大天井はなんて大きいのだろう・・・・。

喜作新道分岐まで夏道を行き、そこから冬ルートに入り祠へと向かう。天気は相変わらず良い のだが、ここの登りは丁度日陰になって風がとても強い。時折強く吹く風に体が飛ばされるが、 ピッケルで支えながら頂上へたどり着く。途中カメラ装備をそれぞれ背負った3人パーティーを 追い越す。積雪は5月の時よりずっと少ない。11月にデポした燃料、食料を無事回収し、 大天荘冬期小屋になだれ込む。

小屋の回りに数張りのテントがあったのでもう小屋はいっぱいかと思いきや一人しかいなく2 階を使わせてもらった。11月に来たときは入り口の戸がついていたのに今回は誰かが勢いよく 開閉したためか外れて下に放置され、中に雪が吹き込んでいた。幸い内戸があり助かった。しば らく休息していると先程追い越した3人パーティーが中に入ってきて今日の宿は8人になった。 夜は風がかなり強かったが、夜空には星が瞬いていた。

コースタイム:第一ベンチ/6:10 燕山荘/10:45 大天荘/15:30

12月30日(月)

今日は少し寝坊した。完全に明るくなってからの出発となる。今日も雲一つ無い青い空が広が っている。大天井の下り冬ルートは西側のトラバースは不可であるが、雪面が完全にクラストし てアイゼンがよくきくのでトラバースルートをとることにした。急下降して大天井ヒュッテのコ ルへたどり着く。ここからもトレールが着いていてほっとする。牛首の頭迄階段状の足跡をたど りどんどん高度をかせぐ。稜線ぞいに歩いて下を見ると夏道の跡形もなく急な斜面が足元から広 がっている。何回もピークを越え、右手に北鎌、左に横尾尾根、いよいよ槍が近ずいてきた頃 “赤岩岳”に取り付く。過去のデータを読むと、ここがこのルートの核心部であり皆苦心して 通過した旨が書かれていたのでいよいよだと思い、気持ちが引きしまる。

*(赤岩岳冬ルートは尾根伝いにルートをとり、岩と雪のミックス。しかもホールドは みな浮いていて両側はスパッと切れ落ち高度感も最高。積雪と天候によりかなり変 わる。/岳人:過去のデータより抜粋)

 稜線を登っていくと尾根より50センチ位のところにトラバースしたトレールがついていた。 我々もその後をたどるとアイゼンがきき尾根ルートを取らずに通過することができた。稜線に再 び戻り一ヶ所ナイフリッジの岩を乗り越える所があったがやはり浮きホールド。慎重にホールド を選び通過した。その後はクライムダウンをして赤岩岳を終了。雪の状態も天候もよかったせい で難を要せずに通過することができたが、これがもっと悪い条件であったら苦難の道をたどった だろう。

 二つ程ピークを越え西岳の頂上にたった。左下にはヒュッテ西岳が見える。今日の宿はこのヒュ ッテ西岳の冬期小屋だったがまだ時間が早いのと日本海側から寒波が近ずいているのでこのまま 先へ進む。 西岳からの下降はブッシュの中の急下降となり新雪でずるずるなのでザイルを出し 懸垂下降をする。3ピッチの下降となった。下り立ったところから沢筋のトラバースとなるがや はり新雪が積もったままの状態だったので、遥か彼方へ沢を滑っていかないようにフィックスを 張り、プルージックorビナ通しで下降した。そろそろ夕刻が近ずいてきたので、水俣乗越手前 で幕営とする。

交信の約束をしたパーティーと定時交信を試みるが、どこからも電波は入らなかった。 風が強い夜であった。

コースタイム:大天井/7:45 大天井ヒュッテ/8:30 牛首の頭/9:00赤岩岳取り付き/11:23
       西岳/12:30 水俣乗越手前/15:15

12月31日(火)

空が明るくなってからの出発。今日もやや雲があるものの良い天気。 しばらくアップダウンを繰り返すと水俣乗越への下降地点に到着。はい松の根元に残置シュリン ゲが何本かあり下降ポイントはすぐわかる。

 ザイルを出し、1ピッチのアプザイレンをし、下方で右の尾根に登るようにトラバースする。こ こからは東鎌のナイフリッジをたどるルートとなる。景観は贅沢過ぎる程素晴らしい!しかも我 々4人しか堪能している者はいない。しかし、堪能している場合ではない。途中アイゼンの出っ 歯とピッケルのピックのみで急雪壁をはいあがる所が数箇所あり、ふくらはぎが疲れ、エネルギ ーが消耗した。尾根歩きが長く続く頃になると風が出はじめ、わずか20センチばかりの幅に片 足ずつ置き、アイゼンを引っ掛け滑落しないよう緊張しながら歩行を進める。なるべく見ないよ うにするのだがいやでも両側の切れ落ちた先が目に入る。 ただ心を和ませてくれるものは人間 のつけたトレールの横を同じ様にたどる“オコジョ”の小さなかわいい足跡。ずっと途切れるこ となくヒュッテ大槍の岩稜帯まで続いていた。

ヒュッテ大槍が見えるころ大喰岳、槍ヶ岳山荘付近に何人も人がいるのが見えた。後続の単独 が2パーティーと我々の4人の東鎌だったがそれもまもなく終わりになる。

槍の岩稜帯に出、所々露出している岩につかまりトラバースしていくと夏道で出会うはしごに ぶつかりよじ登る。もう一度はしごをよじ登るとアイスバーンのトラバースとなった。永遠に続 くように長い。ふくらはぎがはちきれそうになる頃にやっと槍ヶ岳山荘に到着。大槍は割愛。

明日より寒波がおしよせるというので槍岳山荘冬期小屋泊の予定であったが、今日のうち槍平 へ下る事にした。と、そうこうしているうちにガスが発生してみるみるうちに大喰岳を覆ってい った。下降路を大喰岳西尾根にとろうとしていたが、雪の状態も安定しているので、飛騨乗越か ら飛騨沢側をトラバースするルートをとる。

雪崩の危険はまったくないとはいえないので、足がからまりそうになるのを必死でこらえ、恐る べきスピードで一気にタカラの木まで飛ばした。

途中でアイゼンをはずし、槍平小屋で幕営。今までのテント場とはうって変わって色とりどり のテントが点在していた。ここではトイレを使え、沢の水はとれ、何とありがたい。合宿最後の 夜なので紅白歌合戦をラジオで聞き、残った食料のうちおいしそうな物を選り好み、食べあさり、 満足して就寝した。他のテントでも遅くまで紅白が聞こえていた。

コースタイム:水乗手前/7:08 水俣乗越/8:30 ヒュッテ大槍/11:30
槍/12:45 タカラの木/13:50 槍平/14:55

※ 水俣乗越のデポ2は残念ながら回収できず、指導票も雪に埋もれ見当たらなかった。

1月1日(水)

槍平からは安定したトレールを行く。途中滝谷の出会いに来て、ドームを真上に見ると、夏に 登攀した、ルート、B沢、C沢等に雪がしっかりついていて何ともいえない懐かしい気持ちが込 み上げた。

新穂高温泉に到着後、バスの発車時間までに温泉に入りさっぱりとして東京迄7時間も乗り物に 身をゆだね帰宅した。

<まとめ>

積雪の状態は12月に寒暖が何回もくり返しあったがわりと安定し、量としては少ないと思う。 ルート上東側につくという雪庇もほとんど発達していなかった。

水俣乗越付近では雪面下40センチの所で雪は氷状(30センチ幅)と化していた。 夏道を2回通った後の冬ルートだったが大天井ヒュッテからは、無積雪期のルートとは全く違う。 ここからは夏道の偵察もあまり役立たないと思う。

無線の交信を毎日定時に行うが、場所が悪かったせいか失敗。中山さんの雪崩情報も一回も受 信できなかった。

デポは大天井付近ではほぼ確実に回収できると思うが、大天井から先の回収は無理だと思う。 冬期小屋の利用は、燕山荘、大天荘:2段フロア、大天井ヒュッテ:多分2段フロア 西岳ヒュッテ:1フロアのみ(狭い)、槍肩の小屋:2段フロア大きい・トイレ付き。

1996年5月の連休にも東鎌に挑んだが、雪の状態が悪く敗退した。このコースでクサリき った雪だったら、かなり難しくなるだろう。特に赤岩岳から先が問題だ。

今回の合宿は積雪量が少なく安定していて、しかも全日程天気に恵まれ非常によい状態のなか を完走した。これが一日でも降雪があり停滞などしていたら状況は一変しただろう。 パーティーとしては予定ルートをクリヤしたが、自分自身のことでいえば、合戦尾根での敗退だ と思う。敗因はやはりトレーニング不足。

11月の偵察以来縦走には入っておらず、いきなり本番突入という形となってしまった。そのた めメンバーに負担をかけてしまって大変申し訳なく思っている。 やはり冬山は体力と精神力がとても多くをしめるということを改めて痛感した。


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