奥鐘山/西壁/京都ルート・中央ルンゼ

ACC−J茨城/本図一統、その他


<山行日> 1999年10月9日(土)〜11日(日)<記録> 本図一統



 本図 一統(ACC-J茨城)です。

この歳(53歳)になって奥鐘西壁なんて登る気力、体力、技術なんて持ちあ わせていないけど、目は老眼、頭はアルツ、膝は前十字靭帯断裂。この症状が進 まないうちに一度は奥鐘を登りたくて、茨城の田舎からノコノコと出かけていき ました。

9日。宇奈月で10何年ぶりかで廣川さんに会う。廣川さんは以前とくらべて も、ちっとも年がとったようには見えなかった。でもちょっと白髪がふえたかな? 欅平ではYCCの後に出発。発電所でもう難所に遭遇、ザイルで懸垂しようとした ら(すこし大げさか?)道家さんが助けてくれた。

目標は大きく全装備を持って1ビバーク京都ルートを登るべく徒渉開始するも、 足腰ヨボヨボの私はスリップしてザンブリコ、朝一で泳ぐはめに、あ〜あ情けな い。

京都ルートは2番目に取付く。先行は2ピッチをザイルフイックスして下降し ていった。さて第一ハングの乗り越しだが、相方は登れないといって降りてきた。 私がトップにたつ。こんなでかいハングを越すのは10何年ぶりだ。登りだすと 少しずつ要領がよみがえってきた。ハング上のビレー点で相方を待つがやはり登 れず下降する事にした。ハング中間部のヌンチャクとアブミは回収できず、後続 の男一人女二人パーテイに回収をお願いする。クラブ名は分かりませんでしたが、 このメールを読んでいましたらお礼をいいます。ありがとうございました。

 10日。相方Fのショックは大きく落ち込んでいたが、励ましてリハビリも兼ね てハングのない中央ルンゼに行く。取付きに行くとだれもいない。今日はトップ だ、と喜ぶ。すぐ後に、お調子くらぶと静岡山岳会パーテイが到着。

下部ブッシュ帯を抜けるとクサビの切れ目に3〜4人見え、先行がいることに 気が付く。V角左壁の人工ピッチ下までは順調に進む。お調子くらぶの日塔さん 達と今日は楽勝だなどと話しもはずむ。だがこれがあまかった。トップパーテイ のラストが一本のハーケンにぶらさがったまま時間が過ぎていく。30分、1時 間、この日取付いた全パーテイが集まってしまった。

 我々の前の秀峰登高会のパ ーテイは辛抱強く黙って待っている。トップパーテイはガイドパーテイらしいの で、玄人に素人が口出しするのも悪いので私も黙っていた。前日我々も京都ルー トでは後続に多少なりとも迷惑をかけた負い目もあったから。だがついに限界が きた。あーした方がいいんじゃないか、こうした方がいいんじゃないかとフオロ ーするがラチがあかない。お客は疲れきって声も出ないので、登攀技術じゃ皆さ んに負けるけど声の大きさでは誰にも負けない私がガイドとの中継をする。

ここをなんとか抜けてヤレヤレと思ったら、ラス前ピッチで又同じ状態になる。 タイムリミットの3時は刻々と近づいてくるが動かない。ここで下降することに 決定。他パーテイも下降し始める。秀峰登高会パーテイはギリギリで終了点に辿 り着く。下降はガイドパーテイを除く全パーテイが協力して懸垂をスピードアッ プ。全員暗くなる前に下降終了した。

11日。早朝下山、欅平8時55分発で帰る。自宅着22時。

完登は逃したが、なぜか充実感のある登攀だった。それは他パーテイとの連係 プレーがうまくいった下降により、全員が明るいうちに降りられたことからきて いるに違いない。実に楽しい皆さんであった。

また機会があったら、秀峰登峰会、お調子くらぶ、静岡山岳会の皆様と列を成 して登攀してみたいと思うのは私だけだろうか。

東京YCC、秀峰登高会、お調子くらぶ、静岡山岳会、JECC、その他会名 はわかりませんが、皆様お世話になりました。ありがとうございました。

京都ルートは相方を鍛えなおしてリベンジです。でも早くしないと俺オイボレ ちゃうよ。


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