一ノ倉沢/衝立岩/ミヤマルート

無所属/中村洋根、中村尚司


< 記 録 > 中 村 洋 根


<山行日> 1998年7月19日(日)
 今年初めて衝立を登攀しました。ミヤマル−トの三日月ハングが崩壊しているとの情報は、このML で一昨年より知っていましたが、昨年は雨ばかりで登攀するチャンスが無く、今年になってやっと行っ て来ました。結果的に三日月ハングを乗り越えることができませんでしたが、久しぶりの衝立を楽しん で来ました。 山行日 7月19日 曇り 夕方 6,7時頃より小雨 メンバ− 中村洋根、 中村尚司 ル−ト アンザイレンテラス----雲稜第二ル−ト----三日月ハング横のビレ−点----       雲稜第一にトラバ−ス----衝立の頭----北稜下降  4:45に出合いを出発。ひょんぐりは、右手のまき道(左岸、北稜からの下山道)を利用してパス した。三日月ハングが崩壊していることが判っていたので、三日月ハング到達までの時間短縮のため大 ハングまで雲稜第二を利用したが、先行パ−ティ−がやけに遅く、アンザイレンテラスで40から50 分、アンザイレンテラスから1ピッチ登ったビレ−点で、先行パ−ティ−のハング越えのため2時間の 待ちとなった。  弟は大フレ−クの下で30分の空中待機となってしまった。結局、三日月ハング横のビレ−点に到着 したのは11:30頃となった。 三日月テラスに到着してしばし観察。右斜め上2から3メ−トルの距離にハ−ケン、更にその右1メ −トルにリングが見えるものの、この2から3メ−トルが非常に脆く、積み木状の岩が手で軽く動かし た程度で抜け落ちる。このためビレ−点よりハ−ケンまで直線で行くことは現時点では危険大で無理と 判断。崩壊の大きさは、肉眼で観察したかぎりでは、岩が落ちて壁の色が変わっているところが縦4メ −トル位、横はハ−ケン又はリングあたりまでか。  何とかしようとあれこれ考えた。やや右に下降してから、リングに向けて直上する。ビレイ点から右 上し、三日月ハングの乗り越しを今までより上に取る。右上するためには、ギアの量が不足なので下降 案でやってみましたが、ここもけっこう脆く、ランニングのピトンが打てないので止めた。 そうこうするうちに時間も差し迫ってきたので、やむなく左やや下にトラバ−スし第一ル−トのボサ テラス下のビレイ点に逃げた。このあたりには既に2パ−ティ−(4名)が取り付いていた。また、第 一ル−トを登っていく途中、右手に二重リングボルトが一本ある。三日月ハング横のビレイ点から、第 一ル−トに抜けるための残置、あるいは初登時の残骸かもしれない。 洞穴ハングを登り始めた頃からガスがだんだん出てきて、倒立の頭ではもうまわりの景色は見えなく なってしまったが、久しぶりの衝立の頭なので持ってきた残りのにぎりめしと自分の庭で取れたキュウ リを食べ、一服し下降に移った。このあたりから小雨になる。 下降には、北稜を使った。ほとんど下山し最後の小滝を懸垂で降りると1パ−ティがビバ−クに入ろ うとしていた。聞けば京都からやって来たという。最後のひょんぐりを高巻く道が判らなかったとの事、 時間は既に10時を少し過ぎたあたり。普通なら当然ビバ−クかも知れない。彼ら2人の支度を待ち、 一緒に下山した。登頂後の晩飯は、月夜野エルベのスパゲティのはずだったが、あおやぎのミソラ−メ ンになってしまった。まあ、ここのラ−メンもこってりしていて旨いが。

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