穂高岳/屏風岩/雲綾ルート

ARIアルパインクラブ/雨宮尚之、久本英司


< 記 録 > 久 本 英 司


<山行日> 1998年7月4日(土)〜5日(日)
 結論から申しますと、当初屏風雲稜ルートを登攀した後、北尾根を登って前穂の右岩稜を登る予定でした が雲稜ルートを登ってパノラマ新道を下ると言う計画の1/3の内容となってしまいました。以下に簡単に 行動概略とポイントをまとめてみます。 7月4日 沢渡=上高地−横尾−T4−雲稜ルート扇岩テラスでビバーク  夜半雨が降ったりして天気が不安定だったが、何とか持ちそうなので出発。水量の多い梓川の徒渉に手間 取ったりしたので、雲稜ルートの登攀開始時間は14:00を回っていた。  荷物も重いし、時間も遅いし、雨も降ってるしでフリーで行こうという発想はそうそうに捨て去り、アブミ をがんがん使って登る(それでも1ピッチ目はフリーでがんばったんですよ。セカンドだったけど)。それで も結構シビアで時間がかかり、扇岩テラスについたのは17時を回っていた。  天気がよければそのまま登攀継続も考えたが、時折かなり雨脚も強くって来ていたので、ルートの性格を考 え扇岩テラスでのビバークを決定。  そうと決まれば早いもので、明日の朝迅速に行動できるようにとA1ピッチのフィックスに空身で出る。フィ ックスを終えて降りてくると雨が結構降り出し、さっさとツエルトを張る。  扇岩テラスは広くて快適なので、持ってきたツエルトのフライまで張ってしまう。おかげで夜大雨になった にもかかわらず、朝まですごく快適でした。(東稜パーティは悲惨でした...どのように悲惨だったかは、東 稜パーティの報告を待ってください) 7月5日  扇岩テラス−登攀終了−屏風の頭−パノラマ新道を徳沢へ下山  朝4時に起きて登攀開始する予定だったが、雨が降っていたので寝直す。「今日はだめかな〜」と思って爆 睡してたら、ものすごい日差しで目が覚める。いきなりドピーカン。急いで準備して8:30頃登攀開始。  ユマールを持ってなかったので、トップロープにしてあったフィックスを使って登る。リードするよりは (ちょっとは)早い。その後もトラバース、東壁ルンゼ内に入って3ピッチとザイルを伸ばすが、意外と時間 がかかり13時に登攀終了点。  登攀終了点でしばらくゆっくりしてから屏風の頭を目指して登り始める。尾根に出るつめのところで踏後を 見失い、かなりきわどいやぶこぎが入る。最後はザイル出しちゃいました(ハーネスを付けっぱなしにしてお いてよかった!!)。  そこから猛烈な日差しの中尾根を登って行って、15時に屏風の頭に着。かなりきわどい時間。徳沢に17時着 を目標に、パノラマ新道をすっ飛んで帰る。途中で行く予定だった奥又白を遠くに見ながら急いで降りる。  東稜パーティが絶対に待っていると思ってかなりのハイペースで降りて行ったが、ほうほうの体で到着した 上高地には僕よりも早くすっ飛んで行った雨宮さんがぽつんと一人で待っていました。(東稜パーティは遅れ ること30分ほどで到着。温泉にも入らずさっさと東京に向かいました)  今回は北尾根を使った継続登攀を計画しましたが、屏風だけで終わってしまいました。いくつか原因は考え られると思いますが、ざっと以下の理由が挙げられます。 ・重荷を背負ってのクライミングに慣れていないので登攀スピードが遅い。 ・全体的に行動が遅い(特に体力的な問題で私)。 ・土曜日の天気がいまいち悪かった。  土曜日の天気に関しては、確かに登攀を継続する気にならないほど雨が降りましたが(特にフリーの要素が 多い雲稜では)、そもそも扇岩テラスが17時では遅すぎますね。  最大の原因は登攀スピードの重さです。冬の登攀等を考えればあの程度の重さは普通なので、もっとスピー ドを上げる努力をしないと行けませんね。またすべての基礎はフリークライミングですから、初見でやらしい ところを登れる実力を付けないと行けないですね。何にせよ登れてよかったです。屏風の頭も周れたし。  ただ下山中ミスって右手指に怪我を負ってしまいました。薬指の腹の皮がべろっと剥けてしまいました。 一応皮は再生されてき始めましたが、今週いっぱいはクライミングできそうもないです。2ミリくらいの石つ ぶが肉の中に入ったまま血が固まっちゃったんですよ。さっき自分でほじくってて卒倒しそうでした。

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