黒部/大タテガビン/露草ルート

京都左京労山/伊藤達夫、野村勝美


< 記 録 > 野 村 勝 美


<山行日>     1997年10月18日(土)〜19日(日)

野村@左京労山です。

 去年に引き続き、10/18−19で黒部大タテガビン・露草ルートに行ってきました。日程的に
2日しか取れず、うまくすればワンプッシュで抜けられるかとも思いましたが、1年経ったところで
ルートが易しくなっているわけでもなく、こちらの思惑通りにはいきませんでした。

 それでも、前回は突破できなかった下部破砕帯を何とか抜けることができ、中央バンド上の他のル
ートと交錯する地点までは到達しました。考えていた最低ラインは突破できたわけで、本格的な戦線
復帰の一発めにしては上出来と思っています。

 ワンプッシュが理想的ではありますが、今回はスケジュール的にどうしても無理があり、その点は
妥協して、来年、他のルートからその地点まで登って、残りの上部破砕帯を擁する壁を越えたいと思
います。完全な垂直(むしろ被り気味)の下部岩壁に比べれば、上部は大分傾斜が緩みますが、上部
壁の方が破砕帯通過距離も長く、またこの壁のこと、全く何が待ち受けているか分かりません。

 プレッシャーも相当のものですが、逆にそれだけに来年が楽しみでもあります。昨年の記録を掲載
した際、ケンカ売ってるのかオチョくっているのか、なんだか腹立たしいレスがありました。往来の
盛んな、安全に何の不安のないルートも確かに楽しいですよね。

 まあ、わざわざ所謂その手の本チャンルートで楽しむよりは、小川山とかで大勢でワイワイやる方
が手軽でもっと楽しいですが。AAルートも安全面で言うと、なんだか”常識の範囲内”的なものが
多くなったような気がします(まあ勿論、所謂既成の4級A1ルートとは趣を異にすると思いますが)。

 でもね、開拓以来25年経って尚、ほとんど登られていないばかりか詳細不明のルート、と言うよ
り、バカでかくて、ぶっ絶っていて、かつ誰も訪れないところ!(個人的には、それが交通至便なと
ころにあることが更にうれしい)剥がれた岩は、壁に一度も触れることなく取り付きの遥か向こうに
落下し(誰もいないから何の心配もなく落石が起こせる?!)、岩質も残置も信用するにはあまりに
頼りなく、自分の力で”常識”を覆して行く楽しさは、普通では味わえないことですよ(できればル
ート開拓ならもっとすごいでしょうが)。ちょっと大袈裟な言いかたになったかも知れません。まあ、
個人の嗜好の違いもありますしね。

 せっかく用意されているものに手を付けないのは僕はもったいないと思う。最近飽き足らないと思
っている人は、是非々々お試しあれ!但し半端じゃない(と思う)のでよくよく覚悟のうえで。今回
の到達点まではビレーポイントも整備したし、ルートにある程度ピンも打ち足したので登りやすくな
っていると思います。

 まあ、頻発する落石でそれらが吹っ飛んでいる可能性はありますが。ガビンが人で賑わう日がいつ
か来ると楽しいですね。そうなったら危なっかしくて、とても取り付けないでしょうが。

 春の事故から約7ヶ月経ちました。一応この山行を<復活山行>にしたいと思います。お見舞い・
励ましのメールを送って下さった方々、本当に本当にありがとうございました。以前ほど密ではない
でしょうが、山行後にはまた報告をUPしたいと思います。

 今回の詳細は、以前の通り会報用の原稿が上がり次第メールさせてもらいます。それでは、みなさ
ん!来年ガビンでお会いしましょう!
のむら かつみ

<記録>

 先日の報告できました。迷惑に思ってる人が多いでしょうが、 楽しみにしてくれている方々もいる
ようなのでこれまで通り  送信させてもらいます。

第2次/ガビン・露草ルートの巻       

 週末に家であれこれするのは本当に久しぶりである。モップがけをしていると、例の如くうちのカ
メがそれを追いかけ回している。昨夜からにわかに大陸の高気圧が張り出し、天気図は突如として等
圧線の間隔が密になった。

 今日は冬の風の音がする。一気に葉を落としだした木々を眺めつつ、「もうカメの冬眠用の落ち葉
を集めねばならない時期なんだ」と思う。あぁ、もう一年経っちゃたんだ。この間、いろんなことが
あったよな・・・。

 午後はムカゴを採りにランニングがてら比叡山に向かう。実はこれ、昨年馬場島で食べるまでその
存在すら知らなかった。その味に痛く感動したわけだが、それがうちからホンの裏山(本来的には大
文字山かな?)で手に入るとは!もうかれこれ十余年京都に住んでいるわけだが、これほどの秋の味
覚に無頓着であったとは全く勿体ない話である。

 初めはヤマイモのツルが仲々見つけられずに苦労したが、何とか嫁さんと天ぷらにして楽しむぐら
いは確保できた。それから写真を取りに行く。おぉ!瑞牆山の写真、いいじゃん。晴れわたってて凄
く楽しそうだけど、これ、むちゃんこ寒かったんだよな。

 だって、登ってる最中もパイル着てるもん。お次が、、、かぎ型ハングのアップだ。さて、ガビン
の話だったね。

10月18日(土) 晴

7:55ダム駅−10:00南東壁沢F1-(アンザイレン8P)-11:20正面壁基部岩小舎12:15−14:20
2P目終了、荷揚げ−17:00頃4P目終了、FIX完了−16:30頃BV

10月19日(日) 晴

5:30頃BVサイト−ユマーリング後、ビレー点を整備し7:00頃5P目スタート−9:30頃同終了
(岳人の館)−6P目終了、ビレー点を整備し下降開始11:30  −基部岩小舎12:30−南東壁沢出合
14:20−16:15ダム駅

 昨年の雪辱を晴らすべく、今年もどうしてもガビンに行きたかった。しかし、春の事故は結構メン
タルな部分にも影響を及ぼし、夏を越えるまでは全うに壁に対峙するだけの気持ちの準備ができなか
った。

 その間主に比良の人工壁でフリーをやり、その方面では以前よりマシになったと思う。「さて、そ
ろそろ」という頃になると、なかなか日程が取れない。ここに向かうには当然達夫さん抜きとはいか
ず、そうなるとこれがまたなかなか日程が合わない。

 秋山も押し詰まり、達夫さんは仕事で相当に疲れているところを無理にお願いし、今回なんとかこ
こまでやって来た。上旬に降った雪の量は結構なもので、ダムから見る立山はとても十月の眺めとは
思えなかった。

 本当に今年最後のチャンスに滑り込み間にあった感じだ。ガビンの威圧感を思うとそれだけで苦し
くなってしまうので、京都で落ち合ってからもルートの話は殆どしなかった。車の中では、「何だか
最近のエイドって、必要以上にギア持って金使ってるヤツほど墜ちにくい構造になってない?あんま
りフリーと変わんない感覚になっちゃってつまんないね。」などと時間を潰す。

 スケジュールについてもきちんと立てているわけではなく、できればこの二日で登り切る、その条
件として一日目に下部を突破し中央バンドまで行く。それがダメなら上部壁の偵察も兼ねてできるだ
けルートを伸ばし、場合によっては次回のアタック用にFIX・ギアのデポをする−今回ダメなら翌
週再度やってくることも半分本気で考えていた。壁登りの基本的スタイルはワンプッシュであるべき
と思っているのだが、そこが軟弱だと詰られそうだが、この日程しか取れない現状ではキセルも仕方
ない。

 達夫さんはどう考えていたのか知らないが、最低でも他のルートからの継続が可能な中央バンドま
での到達、即ち下部壁の突破ができればいいぐらいのつもりでいた。

 鳴沢出合を過ぎ、ガビンが見えてきた。昨年のような何も知らないノー天気さはないけど、白く二
本の線が横切っているその壁を見てもそれほど怖じ気づくこともなかった。「よし!」むしろ気合い
が満ちてきた。

 そう、これが事故以来の本格的な復帰戦なのだ。相手にとって不足はない。実質的なアプローチの
開始となる南東壁沢のF1に着いてみると、なんとF1の通過を困難にしていた巨大なチョックスト
ンが落ちている。

 一体こんなものを動かす力というのはどれほどのものなんだろう。かと言って沢伝いの遡行が必ず
しも容易になるわけでもなく、前回同様、右岸を一段上がったところをアプローチに採る。いきなり
出だしの凹角で掴んだフレークが分厚い文芸書よろしく剥がれて来る。「おぉ、やっぱガビンだわ!」
ツルベで8P、正面壁基部の洞穴に到着。傍らを滴る水をペットボトルを使って集める。

 今回は軽量化を図るためEPIは持って来なかった。達夫さんは何とシュラフは当然としても、カ
バーすら削っていた。一人2Lの水が手に入ったところでさあ、出発だ。一旦ガレ場を下り、洞穴右
手のカンテを大きく回り込んで、沢身に立った辺りからそのカンテ沿いに最初の破砕帯を目指して行
く。取り付きにはビレー点はない。達夫さんのリードでスタート。

 この頃すでに12時を回っていた。加えてにわかに上空は黒い雲に覆われだし、ポツポツと細い雨
もあたっている。場合によっては”残業”も考えるが、今日中に<岳人の館>に辿り着くことができ
るんだろうか、ほんま。1P目は大して難しいわけではないのだが、それでも十分にホールドは吟味
して行かねばならず、ガビンの雰囲気に慣れるにはちょうどよい。が、2P目、早くもガビンの真髄
に触れることになる。

 ビレー点から一気に空間に踊り出て積み木を積み上げたような岩を左に5Mトラバースの後、効い
ているのかよく分からない残置ピトンを使って強引に小ハングを越えて破砕帯の下辺に這いあがる。
ちょうど基部洞穴の庇にあたる辺りだ。破砕帯の幅の分だけ壁は剔れていて、それによって形成され
たアンサウンドなバンドをさらに左にトラバースする。昨年達夫さんが大々的な”道路工事”の末、
途中に一本、またバンドの終点にボルトを二本埋めてビレー点を設置したため今回は割りとスムーズ
に通過できた。が、このハング越えはやはり度胸がいる。

 また、このハングを越えてしまうとトップの姿は全く見えなくなり、ロープの流れが悪いこともあ
ってビレーが難しい。今回、ロープの動きが暫く止まった後のコールだったこともあり、「ビレー頼
むよ」が「ビレー解除」に聞こえ、まさにこれから悪いとこという時にビレーをはずすという大失敗
があった。「ビレー解除!」とコールを返したために状況が判明したが、もし「ハイ」と応えていた
だけなら誤りが正されずに大変なことになっていたかも知れない。

 このビレー点はロープの流れがあまりに悪いために一旦ピッチを切るためのもので、そこからカン
テ状を人工で5M登り、行き詰まりを左にワンポイントのトラバースで狭いテラスに出る。2P目は
ここで終了となるのだが、この人工、なんせ破砕帯の最中に打たれたピン頼りだから実に恐ろしい。

 輪をかけてトラバースが悪い。被り気味を半分も入っていない二十数年前のピンを使ったアブミか
らフリーに移るという代物。ヒェー!続く3P目の出だしの前進用のピンをも縦に連結してビレー点
を作り、一旦ロープをFIXし荷揚げにかかる。

 25Mほどで、ちょうど洞穴のほぼ真横に降り立つことができる。ノッケから完全な空中懸垂だ。
野村が下降、ザックが虚空を上がっていくのを見届けてユマールで登り返す。天気はなんとか持ち直
したようだ。

 3P目も出だしは人工。5Mほどで一旦左に出て、そこから凹角のフリーとなる。ここが破砕帯の
上辺にあたる。10Mほど凹角通しに登り、今度は右のフェースに出てフリーからボルト連打の人工。

 そこから再度フリーでバンド状のテラスに出る。フェースに移るあたりから岩は硬くなるのだが、
これまで散々破砕帯に揉まれてきた身は完全なホールド&プロテクション不信症に陥っている。

 トップは心底気の毒だが、ここからはルートも直線的になり、後続はユマールが使えるようになる。
このビレー点は比較的広く、左上は神戸FRCルートのチムニーに続いている。

 中央バンドまではさらに2P、先を急ぐため荷物はここに置いておくことにする。FIXさえ張れ
れば夜間でも荷揚げはできよう。メットにリヒトを装着後、これまでに比べれば少しだけ幅の広いバ
ンドを今度は右に5Mトラバースしてから4P目に突入する。

 ここからは野村がトップに立つ。結局リードの分担は意図せず昨年と同じになった。垂壁のフリー
からボルト連打の人工を行くのだが、このボルトがとんでもない浅打ちばかりで前回はとてつもなく
恐しかった。

 今回、その対策としてタイオフスリングを大量に持参したこともあり、ここも割りにスムーズにビ
レー点に到着した。一連の残置のなかに、本番で初めて打ったボルトや抜けでフリーに移る直前の軟
鉄ピンを見つけ、前年の苦闘が思い出された。二度目ということもあってか多少余裕を持って対処で
きたが、それでもフックから、何故かある引き出しを抜き去った後のような穴にフレンズを咬ませて
ボルトの空白部をこなす箇所は、岩質が岩質なだけにおっかない。

 ビレー点に着くとすでに薄暮が迫っていた。5P目、記憶では幾分傾斜が落ちて一気にフリーで行
けるような気でいたのだが、実際の傾斜はずっときつい。一気にはちょっと無理だな。

 達夫さんに行動打ち切りを伝え下降に移る。この部分、幅は狭いし質もまだマシだがそれでも実は
破砕帯なのである。そこにボルト二本が埋められており、前回もこれで懸垂したのだから大丈夫とは
思うが一抹の不安が残る。

 念のために右手のフレークにアングルを打つ。うん、よく効くじゃない。念を入れてその横にコの
字も打っておこう。おう、こいつも効いてるぞ。あれ、どうしてアングル浮いちゃったん?うわー、

 フレークごと壁から剥がれかけてる!もうそれ以上は触らずにソロソロと下降する。バンドを再度
渡り返しザックをデポしたテラスに戻る。そこからビレーされながら達夫さんが例のチムニーに入り、
今夜のお宿を探しに行く。

 そこには人がかつていた痕跡があり、残置ピンと空缶が残っていた。誰に気兼ねすることなく石を
ガンガン落とし、更にボルトを打ち足してなんとか二人分のスペースが確保できた。その間僕は、瞬
きだした星の下、ネコ耳まで雪を被った後立山の稜線の風景をのんびりと眺めていた。

 決して普通の人はこんな贅沢な時間を経験することはできないだろう。一日の労働の後の穏やかで
至福の時!

 チムニーの中は殆ど見晴らしが利かずその点ちょっと不満だった。それでも月の明るい夜で、ツェ
ルト越しに一晩中夜は白く浮き上がっていた。肝心の居住性は、チムニーが外気を遮断してくれたよ
うで一向に寒くなかったのはいいとして、さて・・寝るにはちょっと狭かった。

 僕のスペースは何とかズリ落ちないように足を突っ張ったりしながらも横にもなれたが、達夫さん
の方はロクに横になることもできず、辛い夜となったようだ。

 翌朝、明るくなって行動開始。もう今回の完登はないので行けるところまで行き、留守本部への連
絡を考えて12時から13時の間をタイムリミットとする。まず達夫さんがユマールで上がり、ボル
トを追加してビレー点を整備する。ザックは前日と同じところにデポした。

 5P目、いよいよ未知の部分に入って行く。野村がトップに立つ。やはり破砕帯の下辺がバンド状
になっていて、これを左に5Mトラバース。そこから一気に5M、フリーで破砕帯を越え、残置ピン
二本を拾って垂壁の人工となる。フリーに入る前に念のためにボルトを埋めることにする。

 ところが、音も高く一見硬そうな岩は、ジャンピングを叩くほどに細い亀裂を生じやがて5センチ
四方のフレークとなって浮き上がってくる。ラープを打ち込めるようなリスさえ見当たらないのに!

 苦心惨憺のうえ開いた穴は無惨にもなかで崩壊し、ボルトはチップを完全に喰わえこんでいながら
何の抵抗もなく穴から抜けた。仕方なく再度穴を開ける。またしても穴はかなりガタガタなものであ
ったが、とにかくボルトが手で抜けない程度には設置できた。かと言って、効いているとはとても思
えないが。

 この頃すでに朝いちのトローリーがダムに到着していた。ダムの向こうに見える黒部源流の山々が
神々しいまでに白い。なんてこと言ってないで、急げ急げ!ボルトの設置で気を鎮められたとは思わ
ないが、破砕帯は思ったよりしっかりした組成で、やってみたら割りとすんなりフリーで通過するこ
とができた。ランニングの辺りがこの破砕帯の上辺で、被ったこの部分を更にフリーで越えてボルト
ラダーへ。

 これまた、超浅打ちだ。それでも岩も硬いし、4P目の経験もあることだから信用してタイオフで
じりじり進む。途中一旦フリーが交じり3Mほどボルトの間隔が空く箇所があり、垂壁中のホールド
を頼りに完全にアブミから足を離してそのボルトを取りに行った。

 これまで以上の超々浅打ちだ。タイオフスリングを巻き付け、リングを持って体勢を移・・動くよ、
このボルト!加重をかけ切る前で助かった。自分でも不思議なぐらい落ち着いてクライムダウンし、
何とかアブミに戻る。

 再度フリーで突っ込んでボルトを打ち足すなんてとてもできそうにないので、そこから一本新たに
追加し、例のボルトは手で抜いて(!)チップだけ残ったその穴を再利用して設定し直した。

 更にその上のボルトから、躊躇の末アブミを残して一気にフリーに出、若干傾斜が落ちたとは言え
依然急なフェースを10Mのランナウトで待望の岳人の館へ。「へっ、これが中央バンド」ってぐら
い、それは予想に反して狭い空間で、岳人の館も、もう何年も訪れる人がいないせいか、粉石で半ば
埋まってしまっていた。

 しかしその前には、小さいながらもしっかりと根を張った木があり、ようやくにして何の危惧もな
くビレーすることができた。ここまで来れば中央ルンゼ経由で何とかルートに戻ることができる。
<最低ライン>を突破できたわけでホッとする。

 6P目。今度はバンドを右に10M渡り、ルンゼ下のテラスにビレー点を作り、そこから再度野村
がトップに立つ。草付のルンゼをブリッジングで登り、やがてカンテを左に越えてこれまでに比べれ
ば緩いフェースをグングン登る。オールフリー、岩も硬く快適この上なし!ガビンにこんな楽しいピ
ッチがあったとは驚いた。が、このピッチ、ピンが一本もない。

 ピンが打てそうなリスに乏しく、また地形上、上部破砕帯の落石が集中するようなので、恐らくか
つての残置ボルトはすでに破壊されてしまったのだろう。出だしから暫くのところにカムを一発決め
た切り、結局45Mまるまるランナウトした。達夫さんには「危なすぎる」と怒られた。

 一応リスを探しながらだったのだが、想定外に巡り会ったこの爽快さも相まって分かっていながら
ドンドン登ってしまったのが本当のところだ。だが、下降時に改めて自分が登ったところを振り返り、
こんなところをノーピンで登ったという事実に正直ゾッとした。

 決して緩い傾斜ではない。「緩い」というのはあくまで相対的な問題で、これまでずっと完全な垂
直に馴染んでいた体にすれば確かに「緩い」傾斜ではあるのだが。何とかピンを三本打ち込み、達夫
さんを迎える。もうここは、岳人第一ルート、雲峰ルート、それに左手のカンテを越えれば鵬翔ルー
トと交錯する地点だ。

 次回は鵬翔ルートを経由してここまで戻って来れる。更なる成果にニヤリ。岳人ルートでいう「踊
り場」付近から見上げる行く手は、大凹角と称するルンゼからその大ハング、かぎ型ハングへと連な
っている。「ルンゼ」とは、通常流水路のイメージで間違いないと思うのだが、そいつの場合はどう
見ても<落石道>にしか見えない。

 ルートはこのルンゼ沿いに、下部岩壁のそれと比べると格段に幅の広い上部破砕帯を通過し、ハン
グを左から巻いて上部に続いているはずだ。詳しい記録が残っていないので、本当のところは分から
ない。

 う〜ん。これまでに比べれば壁の傾斜はぐっと弱まり、雰囲気も明るく気分的なものも含め楽にな
るように思えるのだが・・先の困難を今から考えたところで詮ないこと。これから一年もの間、例の
苦しい思いをするのもかなわない。

 今はとにかくニヤニヤしておこう。今から更に進んだところで、今後について大した情報は得られ
そうにない。また、仮に再度来週ここに戻ってきたとしても、これまでの調子からして土日だけでと
てもすべてが片づくようには思えない、うん。

 今回はここまでとし、来年改めて三日程度かけて再挑戦としよう。11時半、ボルト二本をばっち
り埋め下降開始。途中何度かバンドのトラバースを交えつつ、懸垂5回で無事基部洞穴横に降り立っ
た。今回は、完登できなかったものの一定の成果はあげることができ、必ずしも敗退とは考えていな
い。水入り引き分けぐらいじゃないだろうか。

 自身では、何よりガビンと対等に渡り合うことができ、復帰後緒戦でここまでできたことに満足し
ている。ダム下流の水は記憶以上に濁っていて、「千古悠久の黒部の流れ」に憧れてやって来た人々
をガッカリさせやしないかと変なことを心配したりもした。

 すべてが終わり、ダムから暮れだしたその壁を振り返る。「帰ってきたんだなぁ」としみじみ思っ
た。紅葉にはすでに遅い黒部での、そんなある秋の日の出来事であった。

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