谷川岳/幽ノ沢/左フェース

東京雪稜会/藪内、渡辺、松井、芦田


< 記 録 > 藪 内 淳 志


<山行日>     1997年7月12日(土)

 先週の土曜日に梅雨の合間をぬって、のつもりが土砂降りの日をわざわざ選んで、になってしまいまし
たが、幽の沢左フェ−スに行って来ました。メンバ−は渡辺、松井、芦田とぼくの四人。

 金曜日は坂戸駅に夜十時集合、一の倉出合着は十一時半、関越沿線に住んでいると、ほんとうにいつも
ながら谷川岳が近い。空を見上げれば何と天の川が見えるではないか!というわけでみんな期待に胸をふ
くらませ、ビ−ルとつまみで腹を脹らませ、早々に寝袋に入る。

 テントからはいだしたのは五時、何だかどんよりしているなあと思いつつも、「いやあ朝日に雲がかか
るとやばいんですよね、まだかかってないから大丈夫っしょ」とのメンバ−の声に勇気百倍、さあ行くぞ
っ...あれっ、朝日に雲が...

 出合発は六時。幽の沢の出合から、「日本の岩場」通り沢が左にカ−ブするなめの所で右側の支沢に入
る、んだけどもいきなり強烈なやぶ漕ぎで、踏み跡も薄く、結局右により過ぎて展望台より全然上へ出て
しまい、二俣のさらに上へクライムダウンをする羽目に。

 ここからはほとんど沢登り。芦田氏に至っては、早々にクライミングシュ−ズを履いて、万全の体制で
登ってゆくが、油断をかましたぼくは、三回ぐらいドップ−ンとはまって、折角のゴアのアプロ−チシュ
−ズが濡らしてしまった、じゃなくってウェ−ディングシュ−ズにしてしまった。あ〜あ、冷たいなあ、
あれっ、雨降ってきたっ...

 今から思えば、このアプロ−チがこの日の先行きを見事に暗示していたのだけれど、そんなこととは思
いもよらぬ四人組は、「う〜ん、明るくって良いですねえ、一の倉とえらい違いますねえ」などとのんき
に言いながらさらに進む。

 雨降りも沢登り状態のぼくには何の関係もなく、目の前には明るく開けたカ−ルボ−デンが、ガスがか
かるでもなく、くっきりはっきり見えていた。

 カ−ルボ−デン到着はかれこれ八時半。パンツまでしっかり絞って、一応雨具も着て、渡辺/藪内組、
松井/芦田組で、さ〜て左フェ−スへ。

 最初の2ピッチは簡単なIII級程度、2ピッチ目は「プロテクション少ないけど、III級程度だし、練習
のつもりで行ってみ」と言われてトップで行く。「そこのクラックの所にピンあるでしょ」、「...ありま
せ〜ん」、「幽の沢の初登ル−トだから、岩場の弱点をついて登ってるはずだから、ピンはやばそうだな
あ、自分がここに欲しいなあという所に必ずあるもんだから、打ちやすい所を探せばあるから、ねっ、あ
ったでしょ」、「...ありませ〜ん、(ずるっ、がんっとヘルメットから岩にぶつかる音)、あ〜止まった
あ、良かったあ、怖かったあ」、てな調子で進み、「じゃあその辺でピッチ切って」、「は〜い、(左斜
め下五メ−トルにシュリンゲの束を発見して)あっ、あそこがビレ−点だわ、とっても行けないわ」とビ
レ−に入る。渡辺フォロ−しながら、「ここにあった、ここにもあった」とのたまう。この後ぼくがトッ
プをする機会は、二度と訪れなかった。

 T1から先は完全にガスの中で、ほとんど何も見えない。4ピッチ目は、かの有名なZピッチを通過(し
たと信じている)。これまでとはうってかわって、ピンが乱打されている。怖かったんだろうねえ、皆の
衆。ガスの中を見え隠れしながら、悪い(この先もっともっと悪くなるなんて、この時点では夢にも思わ
なかった)トラバ−スを行く渡辺、ガスの切れ間に見えたのは、ほ〜らしっかりA1だあ。ぼくも後続のた
めにランニングを残置して(実は回収するのもいやだっただけ、という話もあるが...)続く。雨に濡れ
てザイルが重い。

 5ピッチ目、ル−ト図によればそんなに難しいはずはないのに、なんであんな所にハングがあるんだろ
う。思い出したように赤い古いペツルのヘルメット(ぼくのは赤い新しいペツルやぞ)が、ガスの中から
浮かび上がる。がちゃがちゃという音で「ああ、あの辺か」、と見当をつけながら、「なんでこんなに時
間がかかるんやろ、あかん眠なってきた、寒いなあ」、と突然、「クライムダウンしま〜す」、「えっ、
なんでっ?」。どうもル−トを間違えたらしい。

 「確かにこのピッチは厳しい、え〜っと、この下向きのフレ−クと上のフレ−クをとってと...げえっ、
まとめてはがれたやんけえ!」、よくそのはがれたホ−ルドを抱いたまま落ちなかったもんだと我ながら
運のよさに感心しつつ、浮いたホ−ルド山積のピッチを、「(ずるっ)うっひょう、ちょっとはっててえ
ええ」と叫びながらずるずるとはい上がり、「厳しいっすねえ」、「うん、このピッチは結構しんどかっ
たね」、この先さらに2ピッチ、地獄が続くとは知らない二人ののんきな会話であった。その時ガスが切
れて視界が開け、渡辺ひとこと「あっちが左フェ−スだったね」。

 結局いまだもってT1とT2の間はどこ通ったか良く分からんだけれど、どうも左フェ−スと実践ダイレク
トとその間を適当にミックスして登ったらしい。T2の上は直登ル−トに合流したものと思われるが、それ
でもクライミング中は途中まで正面フェ−スのつもりだったんだからしょうがない。

 それでもその2ピッチを無事通過、草付きを目の前にして、「もう終了点はすぐそこだよ、あと2ピッ
チぐらいかな」と渡辺。ただの草付きと思いきや、なんのなんのしっかり厳しい2ピッチ登って、「もう
終了点はすぐそこだよ、あと2ピッチぐらいかな」と渡辺。さらに悪いカンテを越えて、「あと2ピッチ
ぐらいかな」と渡辺。う〜ん、2ピッチは長い。

 やっとのことで、長い長い2ピッチを終了し、くたくたになって中央壁の頭に到着したのは夕方の四時
半。この時点で雨中行軍はすでに十時間を超えておりました。堅炭尾根を下って、芝倉沢に下り立ったの
はもう日も暮れようとする七時でした。

 ここでヘッデンつけて、まずは最初の雪渓に。左岸へ大きく巻いてはい上がるか、それとも目の前にあ
いたクレバスから、雪渓の下を潜ってよじ登るか。後者を選択して、草付きへ移り左岸を行くと、行く手
を遮るのは細〜い柱状の雪で支えられた、今にもくずれそうな雪渓。左岸沿いに「落ちるなよ〜」と祈り
ながら、そろそろとのっかること一度、さらにもう一度。そして行く手が切れて高巻き、懸垂で下りるこ
と一度。淵に遮られ右岸へ移り、目の前にあったのは、「右土合8.0km」の看板。芝倉沢の出合、時すでに
九時十一分。

 あとは淡々と林道を歩き、一の倉出合到着は十時。湯檜曽駅で人心地着いて飯にありついたのが、日付
の替わった頃でした。湯檜曽駅で宴会中だった皆さん、夜中にお騒がせしました、心からおわび申し上げ
ます。

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