丸山東壁/左岩稜

      
日程
2001年10月6日(土)〜8日(月)
メンバー
(FYK)福村浩子、蜂谷一彦
記録
(FYK)蜂谷一彦
写真
なし
ルート図
なし

<山 行 記 録>


 蜂谷一彦@福岡(FYK)と申します。

 3連休は、丸東に行きました。
 黒部の山あいを彩る紅葉は、なかなか美しい光景でありましたが、
山行内容そのものは、好天の3連休を費やして左岩稜1本だけ、
という大変情けない結果で終わりました。 (^^;;;
 予想よりも大幅に時間がかかってしまい、「要修行」を再認識いた
しました。

<場所>黒部/丸山東壁/左岩稜 (IV,A1,435m)
<日程>2001年10月6日(土)〜8日(月)
<メンバー>(FYK)福村浩子先輩、蜂谷一彦 (計2名)

10/5(金)
 博多〜名古屋は新幹線利用。名古屋〜松本は急行「ちくま」に
乗るが、指定席・自由席ともに満席。
 通路も足の踏み場もないくらいの「寿司詰め」状態だった。
 洗面所のスペースにザックを押し込んで座り、上半身立位の
状態で仮眠を取るが、とても熟睡など出来ない。
 とにかく、翌日のclimbingに備えて、目を閉じてジッとするだけ。

10/6(土) 早朝、松本駅に到着。
 駅のホームで福村さんと合流。
 急行アルプスの臨時便に乗り換えて、信濃大町へ。
 アルペンルートは観光客と登山者とで大賑わいだ。
 始発のトロリーバスに乗り込み、7時頃、黒4ダム到着。トイレ
で着替えを済ませて出発。
 一時間半程で一ルンゼ押し出しに着いたが、2人とも丸東は
初めてなので、最初、別の踏み跡などをウロウロ探したりして、
余計な時間がかかった。
 居合わせたクライマーに、ここが一ルンゼの押し出しであると
いうことを教えてもらい、不要な荷物をデポして、左岩稜に向か
う。
 階段状の岩場を少し上がって左にトラバースしたころから取
り付く。福村さんのリードで登攀を開始するが、早々にルートを
右寄りに外れてしまい、タイムロス。途中まで懸垂で戻って、
左岩稜に復帰する。
 以降、ブッシュや木登りを交えながら、IIIとかIV、A1程度の
簡単な場所を交互にリードしながら進むが、微妙に「いやらしく」
感じる。木登りのあとに人工に移るピッチがちょっと怖かった。
 中央壁を見ると、緑ルートの三日月ハングの上には2人組、
下には3人組の姿があった。3人組パーティーの方々は、こちら
に向かって手を振ってくれたので、我々も振り返して、にわかに
盛り上がる。わーい。 (^◇^)/~~~
 その他、ダイレクトルートを登っていた2人組の方もいらっしゃ
いましたが、途中までFIXを残して懸垂で下っていかれた様子
でした。

 なんだかんだと時間がかかってしまい、大バンドに到着した
のが18時頃だった。まだ半分しか来てないのに〜!
 大バンドには、東京の3人組の方々がいらっしゃって、いろ
いろと親切にして頂いた。その方々が張ってくれたFIXを伝っ
て、大バンドの左端まで移動し、快適な場所でビバークする。
 夕食はジフィーズのサーモン・リゾット。
 シュラフカバーとザックを被って、ツェルト代わりのフライで
一夜を過ごす。夜行列車で満足に眠れなかったので、今日
はぐっすり眠れると思っていたが、やっぱり寒くて、熟睡は
出来なかった。

10/7(日) 6時起床。朝食は紅茶一杯ずつと、各自の
レーションを少々口にするだけ。
 さぁ〜、残りはさっさと済ませて、早いとこ降りて、旨い飯
を食べよ〜と思ったが、考えが甘かった。。。。
 この大バンドから、「日本の岩場」のライン、すなわち、左
の踏跡を進んでブッシュを直登するコースをたどるが、ルート
がよくわからない。
 頭上の岩壁の裾を右にトラバースして、洞窟の上方に戻っ
たが、素直に「日本クラシックルート集」のライン通りに登れ
ば良かったと思う。出だしからのタイムロスを悔やみつつ、
ザレたテラスへ上がり込む。

 その先のA1のピッチは、福村さんがリードしたが、支点
がやや不安定で、セカンドでも悪く感じた。
 チョックストンのあるチムニーは、中には入らず、その右
側の垂壁に連打されたボルトをたどって、頭上のグラグラ
している枝に乗り移るが、なかなか怖いところだと思う。
 ルート全体を通じて、岩というよりも、約半分はブッシュ
と木登りという感じで、無雪期は快適さに欠ける。

 最後、岩屋のある地点から左上していくと、東壁ルンゼ
の手前にある崩壊した岩場にたどり着く。そこは浮き石
だらけで油断できず、だましだまし右の方へ登り返して、
樹林帯に復帰した。このあたりが終了点であろうと思わ
れるが、実のところ、初めての2人にはよくわからない。

 あとは、樹林帯とブッシュをひたすら登り、露岩を右に
左に巻きながら、北峰頂上を目指す。
 やがて、FIXロープの張られた露岩が出てきた。
 もし切れたら嫌なので、念のためロープを出して登る。
 しばらく藪漕ぎを続け、やっと丸山北峰に出る。
 確かに、終了点から北峰までは、まともな踏み跡は
全く残っていない。そして、その先もだ。
 ここから、コンパスを頼りに南西方向に進んで、尾根上
を忠実にたどる。満足な踏跡もなく、藪漕ぎを続け、やが
て主峰と北峰の間のコルに至るが、内蔵助平への下降
地点がよくわからない。
 シュリンゲが巻き付けられた大木が目印であるとのこと
であったが、それを見つけることができなかった。

 時刻は17時半を過ぎており、暗くなりはじめていたので、
無理な下降は危険と判断、もう1泊、ビバークすることに
した。水は2人あわせて僅か300ccが残っているのみ。
 100ccを非常用として残し、残り200ccを2人で半分
ずつ飲んだ。
 各自の僅かなレーションを口にしたほか、周辺で採取し
た直径1〜2mmの黒や赤の木の実を数十粒、頬張った。
 とりあえず、「腹減った」と「喉が乾いた」は禁句という
ことにしたが、さほど辛くもなく、悲壮感もなかった。

 でも、まさか入門ルートとされる左岩稜で、2晩もビバー
クするなんて、思ってもみなかったなぁ〜。
 お互いに、「要修行ですな」と確認し、うなづきあう。
 この日も寒くて、熟睡は出来なかった。


10/8(月・祝) 6時行動開始。
 なるべく尾根上をたどるように注意しながら、北西方向
に下降。空腹で力が出ず、足があがらない。
 ブッシュを掴みながら、所々、沢筋を横断して下降を
続ける。昨夜はビバークして正解だったと思う。
 約2時間後に平坦部に出た。ここまで来れば一安心。
涸沢沿いにしばらく進んで、ようやく登山道に飛び出した。
 まずは沢で水分補給。あ〜、生き返った〜!
 そこから1時間ほどでデポ地に戻り、クッキーやらチョコ
レートやらを貪り、お湯を沸かしてラーメンを食べた。
 なんて旨いラーメンなんだ。やっぱり、トンコツは最高!

 福村さんは、このあと独りで山に残り、剱岳に向かうと
いうので、ここで別れる。10時10分頃、出発。
 僕は、翌日なんとしても出社しないとマズイので、帰り
のバスや電車の時刻が気になり、黒4ダムへと急ぐが、
先程食べたトンコツラーメンが胃にもたれ、おまけに重荷
が肩にくい込んで、なかなかペースがあがらなかった。
 11時30分頃、トロバスの乗り場に着くが、どこに入れ
たか、往復切符を探すのに手間取り、11時35分発を
見送って、12時05分発に乗った。

 引き続き、扇沢から12時半発のバスに乗り継いで、
信濃大町へ。以下、〜松本〜名古屋〜新大阪〜博多
へと移動するが、いずれも、指定席・自由席ともに満席。
 広島からようやく席に座れた。ヤレヤレ。
 博多着が20時45分。移動だけでクタクタに疲れた。

 以上、ビバーク続きのトホホな珍道中でありましたが、
ま、エキサイティングな山行ではありました。
 もっと修行して、次回は緑ルートなどにも行ってみたい
と思います。

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