マッターホルン/ヘルンリ稜・モンテローザ山群/デュフールシュピッツェ

日程
2001年8月11日(土)〜19日(日)
メンバー
(FYK)北川博英、蜂谷一彦
記録
(FYK)、蜂谷一彦
写真
なし
ルート図
なし

<山 行 記 録>


 蜂谷一彦@福岡(FYK)と申します。

 8/11(土)〜8/19(日)の日程で、スイスに行って来ました。
 登った山は、マッターホルン(4,478m)のヘルンリ稜、ならびに、
モンテローザ山群の主峰デュフールシュピッツェ(4,634m)の
2座です。
 会の先輩と一緒に、なんとか自分達の力だけで登りたい、
という強い思いから、「ガイド・レス」にこだわった山行でした。
 両座とも無事に登ることができたのは幸いでしたが、それなり
の苦労を味わい、ヘトヘトに疲れました。
 まだまだ修行が足りなぁ〜と痛感してます。

 現地では、風来坊の大野さん、須藤さん(?)にお会いしました。

 以下、長文ですが、気が向かれたら御笑覧下さい。

<場所> スイス/マッターホルンならびにモンテローザ
<日程> 2001年08月11日(土)〜18日(日)
<メンバー> (FYK)北川博英さん、蜂谷一彦 計2名


8/11(土) 福岡=香港=チューリヒ (翌朝着)
 当初、安くて接続のよい大韓航空を希望していたが、チケット
が取れず、香港経由のキャセイ・パシフィックの格安チケットが
出発3日前になってやっと取れて、無事出発に漕ぎ着けた。
 チケットは、行きが福岡=香港=チューリヒ、帰りがローマ=
香港=福岡、代金の合計15万3千545円(空港税込み)。
 香港では、ビクトリア・ピークや九龍(カオルン)界隈をブラブラ
歩き、登山道具店などを物色して時間を潰した。
 尚、福岡空港の搭乗手続きカウンターで香港の観光パンフを
もらったが、これに中環(セントラル)〜チムサァチョイ間のフェリー
の無料乗船券が付いており、移動手段にうまく利用することが
できたので、少々得した気分であった。
 空港に戻ってから、60番ゲート付近にあるシャワールームを
利用した。とても快適だった。

8/12(日) チューリヒ=ブリーク=ツェルマット=ヘルンリ小屋
 早朝チューリヒ到着。ここから列車でブリーク、そしてツェルマット
へ移動する。
 2度目のツェルマット。マッターホルンを見上げると、昨年と同様、
雪がべったりくっついている。訊けば3日前に降ったばかりだとか。
 しかし、飛行機雲が一直線にいつまでも残っている。これは、
「上空の風が無い」=「天候が安定している証拠」であろう!
 相談の結果、この日の内にヘルンリ小屋(3,260m)へ入ること
に決め、不要な荷物を駅前のホテル・バンフォーフの地下室に
デポする。ロープウェイでシュワルツゼーまで行き、そこから徒歩
2時間少々でヘルンリ小屋だ。
 ヘルンリ小屋では、風来坊の大野さん、須藤さん(?)のお二人
にお会いし、ACMLのお仲間がいて、とても心強く思った。
 夜、満点の星空を見上げていたら、マッターの左横を上から下へ
一直線にスパッと「流れ星」が落ちた。とても格好いい光景だった。

8/13(月) マッターホルン登頂=ビバーク
 朝4時半頃出発。下部の登路は順調に進むも、モズレイ・スラブ
で「渋滞」。ここで時間を喰ってしまい、ソルベイ避難小屋(4,003m)
に着いたのが9時半頃だったか。
 イカン、このままの調子では、また敗退になってしまう。(=去年は
この避難小屋で時間切れとなり敗退。)
 気ばかり焦るが、そのすぐ先の岩場でも順番待ちで渋滞している。
 大野さんパーティのあとを追って、小屋の左横の岩場を登るが、
僕達の登行スピードは遅く、ずるずると引き離されてしまう。
 大ベテランの大野さん達には、経験・技術・体力・等々、全ての面に
おいて、自分なんか全然かなわないなぁ。もっと修行せねば。。。。と
思った。
 しばらくして、最初の極太FIXが出てくる。これを「7の字」状に登り、
更に簡単な岩場を登ったあと、杭が20mおきくらいに打ってある雪面
に達する。ここでアイゼンを付けるが、登り組と下り組の離合でまたも
や渋滞。
 これを数ピッチ登って、切れ落ちた岩稜を渡り、上部の極太FIXに
至る。この時点でかなり遅い時間だったので、ビバークを覚悟。
 極太FIXを掴んで「ごぼう抜き」でガンガン登りたいところだが、息
が切れてスピードが乗ってこない。
 頂上から戻ってきた大野さんと須藤さんに激励をいただき、気合い
を入れなおして登高を続けた。
 FIXが終わって、傾斜も緩やかになり、ようやくの思いでスイス側
の山頂(4,478m)へ達した。時刻は17時すぎである。
 明るいうちに、少しでも下降しておきたいが、北川先輩が「せっかく
だから、イタリア側のピーク(西峰)も踏んでこよう」と仰有る。
 僕自身は内心、西峰など、もうどうでもいいから、それよりも、とに
かく一刻でも早く下山に取り掛かりたいなぁと思っていた。
 でも、どっちにせよビバークは避けられないんだから、と思いなお
し、先輩の意見に賛成することにした。
 ナイフリッジを伝って少し下降、小コルに達し、そのすぐ上のピーク
が、鉄の十字架のある西峰(4,476m)である。
 先輩と固く握手を交わす。両名ともヘトヘトに疲れ、しばし座り込む。
 念願の山頂に立てたものの、疲労のため感激は薄かった。
 17時50分頃、往路を戻って下降に取りかかる。
 何ヶ所か懸垂で降りたが、その都度、何故かロープが岩に引っか
かって、回収に苦労させられた。少しでも急ぎたいのに、時間は容赦
なく過ぎて行く。
 切れ落ちた岩稜に入る手前の、上のFIXの末端部分の平坦な場所
で、2人組(外人・男女)がツェルトを被っていた。顔を出して、こちらを
向いて、「ベリー・コールド」と笑っている。
 女性の方から、煙草はあるか?と訊かれたが、あいにく自分は煙を
嗜まない。
 そこから1ピッチ下、約4,200m地点にて、我々もツェルトを張ること
にした。時刻は20時前だった。まだ十分明るいが、どう頑張っても、
明るいうちにはソルベイ避難小屋までは辿り着けず、張れるところで
張ったほうがいいと判断した。
 去年と同様、雪と岩の上での、ツェルト1枚のビバーク。寒くて殆ど
眠れず、ガタガタ震えながら窮屈な夜を過ごす。
 な〜に、一晩寒いのを我慢するだけだ、死ぬことはないさ、と自分に
言い聞かせても、やはり、寒いものは寒い。

8/14(火) ヘルンリ稜下降=ツェルマット泊
 6時頃、明るくなってツェルト撤収。早い登山者は、もうここまで上が
ってきていた。
 杭のある雪面や、その下の岩場を下降中、登りの人達との離合に
時間がかかった。登り優先がルールであり、辛抱強く待つことにする。
 日本人パーティも数多く見受けられた。
 ソルベイ小屋手前の岩場を懸垂で下り、ロープを回収しようとしたら、
女性ガイドが我々のロープを(無断で)使って降り、何気ない顔して、
さっさと我々を追い越していった。おいおいネェーチャン。。。と笑って
しまったが、現地ガイドの人達は登りも下りも、とにかくスピーディー
である。
 ソルベイ避難小屋から下る際、小屋の基礎の脇に打ってある鉄杭
(=豚のしっぽのような、巻きグソのような形をしたヤツ)を利用して懸
垂できるが、それよりも更に左奥に進んでから下降したほうがよい。
 雪解け水が岩場を伝って流れている。それをペットボトルで拾い集
め、喉を潤した。順番待ちやルート探し、疲労感などで、なんだかんだ
と時間がかかり、ヘルンリ小屋に着いたのは14時を過ぎていた。
 ガイドさんと組む人達は、1日で登って降りてくると言うのに!
 いかに我々の行動が遅いか。僕自身のトレーニング不足を如実に
露呈する結果となった。
 ヘルンリ小屋では、ガイドさんと組まない人達は、パスポートを小屋
に預けることを義務づけられている(?)ので、帰りにパスポートを、
「忘れずに回収」することが最も肝心である。
 15時すぎに小屋を出発。 「あ〜疲れたなぁ〜」と思って、のんびり
と歩いていたら、北川先輩から、「こういう時も、走って負荷をかけた
ほうがトレーニングになるから、遠慮しなくて先に行っていいんだよ」
と慈愛(?)に満ちた御言葉を頂いた。僕は疲れていたので、本当は
ゆっくり歩きたかったが、その御金言に素直に従い、小走りにヘルンリ
稜を下った。
 1時間10分後にシュワルツゼー到着。山岳ホテルのレストランで
ジュースを買い求め、グビグビ飲み干した。
 20分遅れてK川先輩も到着。17時頃、ロープウェイに乗ってツェル
マットへ下る。
 CO−OPで買い物を済ませて、ホテル・バンホーフに向かう。
 受付のマダムに、「私は去年、地下のシャワー室でドアの鍵がロック
したまま開かなくなって窓から外に出た男です」と片言のブロークン・
イングリッシュで伝えたところ、「OH〜」と思い出してくれた。笑顔の
再会である。
 マッターに登ってきたことを報告すると、拍手して喜んでくれた。部屋
はドミトリーしか空いていないが、ビバークに比べたら天国だ。
 シャワーを浴びて、コインランドリーで洗濯後、食事に繰り出す。
 店を探すのも面倒臭かったので、ホテルのすぐ隣にある店でミート・
フォンデュを注文。これはスイス風の「しゃぶしゃぶ」で、一番最後に
「残ったお湯」は、頼むとスープにして出してくれる。これは大変旨かっ
た。ワインを飲むと急激に酔いが回る私は、途中からウトウト寝てしま
った。ホテルに一足先に戻り、洗濯物を乾燥機に入れようとするも、
使用中だったので、またあとでやろうと思ったが、ベッドに入り、翌朝
まで熟睡してしまった。

8/15(水) ツェルマット=ローテンボーデン=モンテローザ小屋
 6時に目が覚めた。昨日の夜、洗濯物を乾燥機に入れ忘れたことを
思いだし、ダッシュで地下へ。ビニール袋に入ったまま残っていた。
 早速コインを入れて、乾燥機を回し、牛乳を一杯飲んでベッドに戻る。
 1時間後に取り出すと、殆ど乾いている。
 朝食にサラダ&パスタ。 「For ALL」と張り紙されたボックスの中に
は、以前の宿泊客達が残していった食料品や調味料等が入っており、
それらをみんなで使い廻しすることが出来るので、大変ありがたい。
 食後、レーションを買いに行こうと思って街に出たが、この日はツェル
マットのお祭り行事があるとかで、殆どの商店は閉まっていた。
 仕方なく、キヨスクでチョコのような菓子と飲み物を買って、それを
持っていくことにした。
 ドミトリーの料金は、一泊30スイスフラン(=約2,250円)。
 ゴルナーグラート鉄道に乗って、終点の1つ手前にあるローテン
ボーデン駅で下車。すぐ近くにリッフェルホルンという岩山がある。
 長い道を伝って氷河に降り立ち、徒歩2時間半でモンテローザ
小屋(2,795m)に到着。夕飯まで時間があるので、その先の登路
を偵察。ボリュームたっぷりのディナーを愉しんで、早めに寝た。

8/16(木) デュフールシュピッツェ登頂=モンテローザ小屋泊
 朝2時起床。コーンフレークと牛乳を飲み込み、2時40分すぎ
に出発。ヘッドランプの明かりが、点々と続いている。
 岩場を抜けて、氷河が始まる箇所からアイゼンを装着し、コンテ
を組む。クレバス帯を右に左に越え、長い登りに差し掛かるが、
北川先輩は調子が振るわないらしく、しきりに眠気を訴える。
 ザッテルトーレの幅広の斜面では、50歩進んでは2分休止、
という超スローペースで、それが、40歩に一回、30歩に一回、
やがては10歩に一回の小休止を要求するほど、北川先輩は
眠りたがっていた。他の外国人達と大きく距離が開き、時間だけ
が過ぎて行く。このままのペースでは、登頂はおぼつかないし、
ガスも出てきた。帰りのことを考えると、もう引き返したほうが良い
と、僕は思ったが、北川先輩に訊ねると、「大丈夫、行こう!」と
仰有るので、そのまま進む。
 牛歩の足取りでザッテルに到着。休憩をはさむと、北川先輩
のペースも回復してきた。
 ザッテルから雪面をあがって岩稜に達し、これを伝って更に急
な雪面を登る。岩峰を2つ越えて、小コルから赤いFIXザイルの
張られた凹角状を登ったところが、デュフールシュピッツェ(4,634
m)の山頂である。ここにも鉄製十字架が据え付けられている。
 小屋から約1,800mの標高差で相当疲れたが、長居は無用。
天気が崩れる前に、さっさと降りるベシ。
 岩稜では、ロープを岩の割れ目に落としながらコンテで進む
ことができるが、フレンズも何ヶ所か使った。無くてもよいが、
用心に越したことはない。
 ステップの刻まれた急な雪面を一歩一歩慎重に下る。
 ザッテルから先の雪面は、ガンガン下る。アイゼンの雪団子
を払いのけて、ひたすら下り続ける。やがて、ポツポツと小雨
が降ってきたが、まもなくモンテローザ小屋に到着した。時刻
は17時頃だったか。お互い、駅まで歩く気力もなく、ここにもう
一泊することにした。
 まずはビールで乾杯。スマートな登山とはとても言えなかった
が、マッターホルンとモンテローザの2座を踏むことができたの
は幸いであった。

8/17(金) モンテローザ小屋=ツェルマット=ローマへ移動
 朝7時に起床。7時半に出発。岩場に付けられた道を下って、
氷河に差し掛かる。最初はアイゼンなしで歩くが、コチコチに
凍っていて、うまく歩けない。滑ってクレバスに落ちたりしたら
大変だ。アイゼンを装着してガンガン歩いたほうが断然よい。
約2時間後にローテンボーデン駅に到着。途中から小雨に降
られ、少々寒かった。
 ツェルマットに到着し、バンホーフのマダムにモンテローザ
に登ってきたことを報告。マッターに続いての登頂に、とても
喜んでくれた。
 地下のシャワーを借りて、着替えたのち、マダムにお別れ
の御挨拶。「またお会いしましょう」と笑顔でバイバイ。
 ブリークに出て、「ミグロ」というスーパーで束の間のショッ
ピングをしたあと、ミラノ行きの列車に乗り込んだ。
 夕刻、ミラノに到着。ここでユーロ・スターの切符を買って
ローマへ向かうことにする。
 ローマ到着は深夜だったが、時間はよく覚えていない。
 確か、0時に近かったと思う。
 ホテルを探していると、「ツーリスト・インフォメーション」と
書かれた名札をつけた怪しい男が近づいてきた。
 タクシーに乗せて法外な料金を要求してくる輩のことが本
に書いてあったので警戒したが、まずはその男の話を聴い
てみると、徒歩3分で1室12万リラ(=6千円)の安いホテル
があるという。一人3千円。。。。。
 タクシーに乗せられる訳でもないし、人気のない路地裏等
に引き込まれそうになったら、拒否して逃げればいい。
 案内されるままに付いてゆくと、無事に目的のホテルに
着いた。受付で料金を確認。確かに12万リラだった。
 男にチップを要求されたが、あいにくローマに着いたばかり
で「リラ」は持ち合わせておらず、スイスフランで我慢してもら
った。ホテル代は、北川先輩がカードで払うことにした。
 エアコンもない部屋だったが、横になれるだけで十分だ。
 シャワーを浴びて、2人ともパンツ一丁で窓を開けたまま
寝た。万が一、他の外人から、その光景を目撃されたら、
「日本人のホモカップル」(?)などと噂されていたかも知れ
ない、アブナイ場面だったかも知れない。

8/18(土) ローマ=香港(翌朝着)
 いよいよ、帰国の日が来た。折角だから、ローマの町中
を見て歩こうと、僅かな時間、観光を愉しんだ。
 テルミニ駅周辺の、ナントカ聖堂の建築やら噴水広場やら、
オペラ座やらを見て回った。北川先輩は、音楽には造詣が
深く、「一度は本場のオペラを聴いてみたいなぁ」と仰有って
いたが、ローマのオペラ座は、それほど有名ではないとか、
玄人らしいことを教えてくれた。
 テルミニ駅からフィウミチーノ国際空港へは、レオナルド・
エクスプレスと呼ばれる直通列車が通じている。
 料金は2万リラ(=約1千円)だったが、ホームにあるイン
フォメーションで係員に「スイスフランではだめか?」と聴く
と、20フラン(=約1千5百円)でOKだとのこと。
 割高だけど、換金の手間を考えると面倒くさかったので、
それで切符を買うことにした。2人合わせて40フランを払う
と、その係員は机になおさず、胸のポケットに入れていた。
(=こういう場合、彼の収入になるって訳かも?)
 なにはともあれ、無事に空港に到着。土産物を短時間で
物色し、飛行機に乗り込む。
 疲れてはいたが、熟睡は出来なかった。

8/19(日) 香港=福岡
 早朝に香港到着。眠い。街に出る気力はなく、空港の
ターミナル内で時間を潰す。

 まずは初日にも利用したシャワールームに向かい、
リフレッシュしたあと、「飲茶」を愉しもうということで意見
が一致。ところが、飲茶の店は、出発フロアの外側に
あり、出口をいろいろ探して、やっとの思いで飲茶に
ありついた。
 食後、出発フロアに戻ると、急に眠気が襲ってきた。
 待合いロビーの椅子の上で横になって、1時間半ほど
熟睡した。
 夜9時頃、福岡に到着。長かったEuro−Alps旅行
が終わった。
 さぁ、次の山に向けて、トレしなきゃ!

 北川さん、どうもお疲れ様でした。
 ありがとうございました。 (^.^)/~~~

※ 尚、参考までに、香港にある屋外の人工壁の情報
です。キャセイの機内にあった「ACTION ASIA」という
雑誌の広告に書かれてあるのを見つけました。
 高さ18mの立体型人工壁です。
 中継地として香港に寄った際には、山行前(後)の腕試し
に足を延ばしてみるのも、いいかも知れません。

 香港基督教青年會京士柏百周年紀念中心
 (YMCA king’s park centenary centre)
住所: 22 gascoigne road,Yau Ma Tei
,Kowloon,hongkong
電話: 852−2782−6682
FAX: 852−2783−7876

 以上、長文失礼いたしました。

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