涸沢岳/西尾根〜北穂高岳

日程
200012月30日(土)〜1月3日(水)
メンバー
(FYK)蜂谷一彦、その他
記録
(FYK)蜂谷一彦
写真
なし
ルート図
なし

<山 行 記 録>


こんにちは。
蜂谷一彦@福岡(FYK)と申します。

年末年始は、当方も、涸沢岳西尾根経由で北穂に入りました。
当方は3人グループで、29日の昼に福岡出発、交替で運転しながら30日
の午前1時頃に新穂高の駐車場着。
明け方まで仮眠をとり、朝7時から行動開始、トレースに助けられて、14時
すぎに涸沢岳着、白出コルにて幕営。
31日、様子をみながら出発し、昼すぎに北穂の冬期小屋に入りました。
小屋のノートには、めっこ山岳会の3人の方のお名前が、30日付けで記さ
れておりました。


>> 朝、小屋を出たとき滝谷を下から詰めてきているパーティがひとつ確認できました。
>
> あの雪で突っ込んだパーティがいたんですね〜〜〜。無事完登できたのかな〜??


上記はおそらく、松本CMC(クライミング・メイト・クラブ)のお二人ではないかと思います。
我々が北穂の冬期小屋に入ったあと、しばらくしてお見えになりました。
お話を伺ったところ、滝谷出合から「ツルム右岩稜」というところを登り、30日はツル
ム
の頭でビバーク、そして31日に北穂到着、とのことでした。
松本CMCのお二人は、翌1日のお昼すぎに北穂を出発し、南岳方面に行かれました。
お話では、このあと、槍の西稜を登る計画だとのことでした。
「ランナウト」の編集をされていると、仰有っておられました。

31日は、もう一組(飛田和夫さんと横浜山岳会の方2人)の3人パーティが北穂に
入ってこられました。滝谷出合から蒲田富士の北西稜?(間違っていたらゴメンナサイ)
を登ってこられたとのことでした。

1日は、我々FYKと飛田さんパーティーは沈殿。

2日は大荒れで、滝谷登攀は断念、下山を試みるも視界が悪く、風雪も酷くて、まともに
目をあけて居られない状況で、松濤岩の少し先まで進んだだけで引き返してきました。

3日、両パーティとも一致団結して下山再開。稜線の途中、涸沢側に雪洞を掘っている
最中の2人組が居ました。北穂の小屋まで行ってみると仰有ってました。
さらに進み、涸沢岳直下の暗部にて、雪洞を掘りはじめていた単独行の方がいて、
お話では、滑落して負傷したとのこと。自力歩行は可能だとのことで、一緒に下山する
ことに。6人でその方の荷物を分担し、鎖場までザイルをFIX。
順番に鎖を伝って、涸沢岳頂上に到着。身体が飛ばされそうな暴風雪のなかを、
あるときは四つん這いになって、西尾根を下降。ルートがわからず、遅々として進まず、
猛烈な暴風雪のため気が狂いそうでした。

どうにかこうにか蒲田富士に至り、雪庇に注意しながら、視界の利かない雪稜上を
慎重に進みました。樹林帯に入り、やっと生きた心地がしました。
屈強な飛田さんパーティがいらっしゃらなったら、我々FYKのメンバーだけでは、とて
も
降りきらなかっただろうと思います。飛田さん、ならびに横浜山岳会の方達に対して、
大変感謝しております。本当にありがとうございました。

幕営地点で飛田さんパーティと単独行の方々とお別れし、我々3人は更に下降を続け、
なんとかその日の内に、新穂高の駐車場に辿り着きました。
翌日も天気は悪かったようで、この日に降りれなかったら、ずぅーと足止めを喰らって
いたかも知れません。奥穂の白出の小屋で動けなくなっているパーティも多いのでは
ないかと思います。
平湯で温泉につかり、そのあと、高山の赤十字病院の救急外来に直行。
残念なことに、リーダーが両手に凍傷を受けてしまったのです。(指の第一関節から上
が変色しており、ぬるま湯につけた状態で「激痛」を覚えるとのこと。)
薬だけもらって、御飯を食べたあと、そのまま運転を交替しながら、1/4(木)の午前
中に福岡到着。 解散後、リーダーは地元の病院へ直行しました。

リーダーの凍傷の具合が気になります。完治するとよいのですが・・・・
どなたか、西日本(九州にできるだけ近い場所)で、凍傷治療のノウハウがある病院
をご存知でしたら、御教示ください。

僕自身も、今回、顔面に軽度の凍傷を負いましたが、指のダメージはありません。
みなさま、大変お疲れさまでした。御苦労さまでした。

★ エリア別山行記録へ戻る ★ INDEXへ戻る