マナスル遭難に関する新聞報道

◆マナスルで1人死亡 日本勤労者山岳連盟の登山隊

日本勤労者山岳連盟に14日に入った連絡によると、同連盟のネパール・マナスル
(8163メートル)登山隊(近藤和美隊長=59歳=ら6人)が登頂に成功したあ
と遭難し、栗原功隊員(42)=群馬県群馬町引間=が亡くなっていたことがわかっ
た。

同連盟によると、9日に第1次隊の3人がシェルパ3人と一緒に登頂に成功。続い
て、12日に第2次アタックに向かった近藤隊長ら3人とシェルパ1人が悪天候のた
め7500メートル付近で断念、下山途中の7000メートル地点で栗原隊員が衰弱
と凍傷で動けなくなった。

13日にヘリコプターによる救助活動を行っているが悪天候で遭難地点に到達でき
ず、日本時間14日午前に栗原隊員が6500メートル地点で亡くなったとの連絡が
入ったという。近藤隊長も衰弱と凍傷が激しくなっており、もう一人の上野幸人隊員
(47)の状態も心配されるという。


近藤隊長は登山経験42年の高所登山のベテランで、チョモランマをはじめ8000
メートル峰5座、7000メートル峰6座10回登頂の実績を持つ。(10月15日
asahi.com 17:15)

◆マナスルで前橋労山の栗原さん遭難死

「念願の海外遠征だったのに……」。前橋勤労者山岳会(前橋労山)に所属する栗原
功さん(42)=群馬町引間=が14日、ネパールの高峰マナスル(8163メートル)に挑
戦中、吹雪にあい死亡したと現地から連絡が入った。山岳会のメンバーや遺族らは、
突然の悲報に沈んだ。

大胡町堀越の栗原さんの実家には、同日昼過ぎに日本勤労者山岳連盟から遭難死した
という連絡が入った。

栗原さんから家族にマナスル行きの話があったのは8月の出発前。「行ってくるか
ら、と元気そうに話していました」と父親の善六さん(75)。その後、「無事に(ネ
パールの)カトマンズに着いた」という絵はがきが届いた。

「そのあとはなんの連絡もなくて元気でいるものだと思っていたのですが……」と善
六さんは言葉少な。今後のことは「山岳連盟と相談しながら決めたい」と話してい
た。

前橋労山によると、栗原さんは同連盟が会員を対象に公募していたマナスル遠征隊に
申し込み、今年3月ごろにメンバーに決まった。

本格的に山を始めたのは前橋労山に入った約6年前だが、登山歴は11年ほど。積雪期
の登山としては、谷川岳や北岳、八ケ岳などを経験し、海外遠征は初めてだったとい
う。

今回は、第2次アタック隊の一員として9日にベースキャンプ(約5千メートル)を出
発、最終キャンプに入ったと11日に連絡があった。遠征隊のホームページ(HP)に
よると、栗原さんは疲労が激しく、最終キャンプに到着したのもかなり遅れ気味だっ
たという。

前橋労山の小見静雄会長は「もし順調に登山が進んでいれば、来週開く集いで報告で
きると思っていた。残りのメンバーの無事を祈り、遺体は何とか下ろしてあげたい」
と話した。(10/16 asahi.com 群馬版)

◆マナスル遭難 安否不明で家族ら心痛

ネパールヒマラヤのマナスル(8163メートル)で12日、下山途中に遭難、救助
を待っている日本勤労者山岳連盟(労山)登山隊には、盛岡市中央通2丁目の上野幸
人隊員(47)が参加していた。労山によると、シェルパ1人を含む4人が悪天候で
遭難。栗原功隊員(42)=群馬県群馬町引間=が死亡し、近藤和美隊長(59)=
東京都杉並区井草=も凍傷で衰弱しているという。上野隊員の安否は不明で、家族や
関係者の心配が募っている。

上野隊員は登山歴約30年のベテランで、海外での登山経験も豊富だ。山岳ガイドな
どの仕事の合間に、ヒマラヤや南米に遠征していたという。

今年7月には、3年ぶりに登山が解禁された岩手山で、万一の噴火に備えて登山者を
誘導する監視業務に加わっていた。

マナスル登頂後、今月24日に帰宅の予定だった。

自宅で連絡を待つ、母千和さん(78)は「気候の厳しい山での遭難で、凍傷が心
配。今はただ連絡を待つだけです」と話していた。(10/16 asahi.com 岩手版)

ACHP編集部

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