大雪山の遭難者2人、8日ぶり生還−1人は自力下山

◆大雪縦走で不明2人の捜索、再開も天候悪化で中止

大雪山系の黒岳(一、九八四m)から旭岳(二、二九○m)への縦走を計画し、予定
日を過ぎても下山しない登山者二人の捜索は十九日朝から、道警旭川方面本部と旭川
東署、地元の山岳遭難防止対策協議会など約三十人態勢で再開されたが、天候悪化の
ため、正午ごろ、中止した。

安否が気遣われているのは、大阪市都島区都島北通り一、会社員宮本和彦さん(28)
と福岡市南区大橋一、会社員植田剛裕さん(25)。

捜索隊は上川管内東川町の旭岳と、同管内上川町の黒岳の二つのルートに分かれて
ロープウエーで入山。二人が宿泊する予定だった旭岳、黒岳の石室を目指したが、両
ルートとも風雪が強まり、午前十時半ごろ、捜索を中断。天候回復が見込めないこと
から、この日の捜索を打ち切った。捜索隊の一部は下山した。

旭岳ロープウェイの山頂駅周辺の天候は正午現在、風速二六m、気温氷点下七度で大
荒れの天候。 [北海道新聞 2000年12月19日]

◆大雪山系で不明の2人の捜索再開

上川管内の大雪山系黒岳(一、九八四m)から旭岳(二、二九○m)への縦走に出か
けたまま、行方不明になっている大阪市都島区都島北通り一、会社員宮本和彦さん
(28)と、福岡市南区大橋一、会社員植田剛裕さん(25)の捜索は、天候が回復した
ため二十日午前八時から、道警旭川方面本部と旭川東署、地元の山岳遭難防止対策協
議会の二十四人による合同捜索隊の手で再開された。ヘリにより上空からの捜索も
行っている。 [北海道新聞 2000年12月20日]

◆黒岳で遭難の2人、8日ぶり生還−1人は自力下山

大雪山系黒岳(一、九八四m)に十五日から登ったまま行方が分からなくなり、生存
が絶望視され捜索が打ち切られていた、福岡市南区大橋一、会社員植田剛裕さん
(25)が二十三日午前、自力で上川管内上川町層雲峡温泉近くの国道に下山、八日振
りに保護された。一緒に登っていた大阪市都島区都島北通り一、会社員宮本和彦さん
(28)も同日午後一時ごろ、同温泉から約二キロ離れた沢沿いにビバークしていると
ころを、道警ヘリが発見し、救出した。二人とも手や足などに軽い凍傷を負っている
が、命に別条はない。

旭川東署によると、自力で下山した植田さんは二十三日午前十時半ごろ、同温泉から
二・五キロほど北見寄りの国道で、通りがかりのトラックに助けを求め、層雲峡駐在
所に駆け込んだ。手や足に凍傷を負っていたため、同町内の病院に入院し手当てを受
けている。

植田さんは、同行した宮本さんが山中で待っていると、救助を求めたため、同署は道
警航空隊にヘリ派遣を要請。救助に向かったヘリが同日午後一時すぎ、紅葉谷付近に
二人のテントを発見、近くにいた宮本さんをつり上げて救出し、旭川市内の病院に搬
送した。宮本さんは手足のしびれを訴えているものの、意識ははっきりしているとい
う。

二人の入山から九日ぶりの無事救助について登山関係者は「厳冬期の冬山でこれほど
長く生き抜き、パーティー全員が生還した例はないのでは」と驚く。

二人は十五日から十七日までの日程で、黒岳から旭岳(二、二九○m)の縦走を計画
し入山した。十五日は黒岳山頂にテントを張って宿泊。翌十六日、吹雪で視界が悪く
なったため下山を決め、リフト乗り場に向かったが、登山コースを大きく外れてしま
い、沢沿いにビバークしながらふもとを目指した。二十二日午前、植田さんは助けを
求めるため、体力の消耗が激しい宮本さんをテントに残して下山、丸一日かけて同温
泉街にたどり着いた。

厳しい寒さの山中で、二人は抱き合って眠って体温の低下を防ぎ、そうめんにマヨ
ネーズをつけて食べるなど高カロリーな食事で体力を維持していた。気持ちがなえそ
うになると「ここで死ねば犬死にだ」と励まし合い生還を目指した。

植田さんと宮本さんは登山仲間。植田さんには、冬山登山の経験はなかった。

宮本さんが十八日になっても出社しないため宮本さんの勤務先が同日、道警旭川方面
本部に届けた。同署と地元の山岳遭難防止対策協議会が同日から捜索を始めたたが、
二人の生存の可能性は極めて低いとして、二十一日に打ち切られていた。 [北海道
新聞 2000年12月24日]

◆無理な計画、危険招く 大雪山系遭難

冬の大雪山系から23日、2人のパーティーが8日ぶりに生還した。十分な下見もな
く、最も厳しい時期に登るという計画そのものの無理が、遭難を招いた。中高年を中
心とした登山ブームを背景に、山の情報は書店などにあふれているが、地元の山岳関
係者らは「山には強い個性があり、それを熟知した上の登山でないと遭難の危険は常
にある。今回の登山はそれを無視している」と警告している。

大雪山系は主峰の旭岳でも標高は2、290メートル止まりだ。だが、(1)なだら
かな山容で風が強く、地吹雪になると方向を見失いやすい(2)最低気温は極端には
下がらないが、最高気温も例えば零下20度前後と余り上がらない(3)溶岩地形な
ので突然がけになったりし、とくに冬場は危険が大きい――といった特徴がある。旭
岳ビジターセンターの池永甦次所長(68)は「冬の大雪を縦走する人はほとんどい
ない」と言う。

今回の計画について、旭川山岳会の新井孝副理事長(50)は「東(黒岳)から西
(旭岳)へと、季節風に逆らうようなルートを取っているのが、まず問題」と指摘。
下山ルートについても「左手の沢寄りを下りれば自然にリフト駅に到達するというの
がこの山の常識だが、急しゅんで雪崩の危険が大きい右手の赤石川を下ってしまっ
た」と言う。

また、層雲峡ビジターセンターの保田信紀センター長(59)は「結果論ではある
が、沢に下ったと分かった時点で、スノーシューを捨ててでも尾根に登り返すべき
だった。捜索隊が発見しやすくなるし、GPS(全地球測位システム)も無線も使え
る」と語る。大雪山系は、山スキーかツメの付いた輪かんじきで登るのが普通とい
う。

登山を前に、2人は電子メールで装備の相談をしていた。「それを見ると、食料が1
週間程度あったようだ」(池永所長)というが、発見された時にはほとんど残ってい
なかった。赤石川で雪崩に巻き込まれなかったことなど、偶然が幸いしたようだ。
「夏に登って地形を頭にたたき込むとか、冬にピークを往復してみるとか、準備が必
要だ。一足飛びに縦走というのは無謀」と言う。(12/24 北海道新聞)

●大雪山系遭難者と一問一答


上川町立病院に収容された福岡市南区の会社員植田剛裕さん(25)は、朝日新聞の
取材に対し、入山してから自力下山するまでの9日間の行動などについて以下のよう
に答えた。

――15日に黒岳に入山した後、旭岳方面へ向かったのか。引き返したのはいつか。

15日に黒岳に登頂したが、登りの傾斜がきつく、雪がものすごくて体力を消耗し
た。宮本さんがかなり消耗しており、荒天になることも考えて、この時点で旭岳への
縦走は断念し、翌朝から引き返すと決めた。

――いつの時点で遭難を認識したか。

16日も悪天で沢でビバークし、17日に「地図上ではあと7―8時間で層雲峡に出
る」と期待した直後、ガケに囲まれた。宮本さんの体調が悪化し、せき込んで夜も眠
れない状態になったのを目の当たりにして、「大変なことになった」と生命の危機を
深刻に受け止めた。

――単独で救助を求めに行った際の装備は。

宮本さんはテント本体に残ってもらい、私は雪洞を掘るためのスコップと、テントの
フライシートを持って出発した。

――食料と燃料はどのくらい残っていたのか。

入山して4日目で残量が厳しくなった。初日で体が消耗したので使いすぎた。5日目
からはずっと、朝と夜に1回ずつ、1つのカップにお湯を沸かしてスープを溶かし、
そうめんを砕いて入れたものを、二人で分け合って食べていた。

――予備食も予備燃料もなかったのか。

初日に使いすぎたが、遭難するとは思わなかった……。甘かった。

――宮本さんを残していく際に、決めたことは。

お互いにあきらめずに頑張ること。

――凍傷の具合は。

昨日、手袋をとって手を見ると、カチカチに凍っていた。わずかに動くが、手足とも
感覚がない。それがショックで……。(12/24 北海道新聞)

ACHP編集部

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