チョンムスターグ日記4〜5

◆ベースキャンプに到着
渡辺佳苗と仲間のチョンムスターグ日記4

キャラバンは川の増水に苦労し、その遅れを取り戻そうと、標高4500メートルを
超える高原砂漠を連日10時間以上行動し、一日に40キロメートルを越す距離をか
せぐなどして、やっとベースキャンプ(BC)にたどりつきました。5日からいよい
よ登山です。

 ◇   ◇

7月29日 ヤールックサイ――クムブラック

初めて青空が出た。ロバ方さんも気合が入る。谷筋から左岸の段丘に上がり、雄大な
眺めの中を進んだ。

30日 クムブラック 停滞

ロバとロバ方さんを休ませ、隊員たちは近くの5000メートルのピークに高度順化
のためハイキング。

31日 クムブラック――4000メートル地点

キャラバンルートの最高地点、クジルアット峠(5068メートル)を越えた。この
日の泊まり場は、水もロバの草もない。ロバ方さんが途中で水を汲むはずだったの
に、汲んでいなかった。最後のミネラルウォーターを分け合ってしのいだ。

8月1日 4800メートル地点――クジルサイ

大きな塩湖ショールクルを左手に見ながらひたすら進む。夕方、冷たい雨が降り出し
た。

2日 クジルサイ――ヤトーコーガン

峠を越えケリヤ川の上流域に入った。徒渉数回。全部ロバに乗って渡れた。

3日 ヤトーコーガン――BC

ベースキャンプ(BC)までの最後の峠にたどりつくと、巨大なチョムスターグ山群
が迎えてくれた。どっしりと風格がある。こんなに素晴らしい未踏峰が我々を待って
いてくれた。



――◇ロバについて◇――
有村哲史(1年)

僕たちの朝の関心事は、今日一日自分を運んでくれるロバがどのロバか、ということ
です。食糧や装備をロバにくくりつける作業が終わりに近づくと、ロバ方さんたちが
隊員にロバを割り当ててくれます。キャラバンが進む中でロバにも様々な個性がある
ことがわかってきたので、ああ、今日のロバは当たりだとか、はずれだとか、思うわ
けです。始めは元気でも終いにはばててしまうロバ、文字通り道草ばかり食っている
ロバ、まったく言うことを聞いてくれないロバ・・・・と、いろいろいます。やは
り、一
番良いのは粘り強く最後まで歩いてくれるロバです。

キャラバンも中盤にさしかかると、高度は4000メートルを越えました。僕など歩
くだけでも息が切れます。それをザックを入れると100キロ近くにもなろうという
人間を載せて歩くのですからロバにとっては災難というほかありません。高所に行く
ほどえさの草も少なくなります。それに、連日の疲労が重なり、強いロバでもばてて
しまいます。

乗っていたロバが突然ひざから崩れるように座り込んでしまう光景が、しばしば見ら
れるようになりました。そういう時には、情け容赦なくムチや棒、蹴りがロバに加え
られます。ロバはいやいや立ち上がって歩き始めます。初めはたたくことに抵抗が
あった隊員も、今ではすっかり慣れてしまいました。しかし、動物を使役すること
は、そういうものだと思います。

そんな中で、僕は幸運にも良いロバに乗ることができました。彼は2日も続けて比較
的体重の重い僕を運んでくれました。黙々と歩き続けた彼も10時間移動が2日も続
けば、さすがにばてます。先頭集団から大きく遅れ、薄暗くなった河原をよろけるよ
うに歩きます。石ころに足をとられ、ひざを屈しかけます。しかし、他のロバと違
い、ぶざまに倒れることはありませんでした。

5秒間ぐっとこらえ、体勢を立て直すと再び歩き始めたのでした。出発してから11
時間、僕もロバも疲れ果ててキャンプサイトに着いた時には、本当に泣きたくなるよ
うな気持ちでした。しかし、地面に飛び降りて「ありがとうな」と首筋をなでてやっ
たのに、ロバは無表情のまま丘の上へ草を求めて走って行きました。無用の愛着は、
こちらの一方的な思いに過ぎなかったのでした。



――◇食べ物について その1◇――
中島卓也(2年 食糧)

キャラバン中の食事は基本的にコックさんが作ってくれる。僕を筆頭とする隊員が彼
を手伝って毎日の食事が進行していく。

新疆登山協会が派遣したコックさんの作る料理は想像以上に僕たちの口に合い、おい
しい。くせがあると聞いて身構えていた羊肉は意外とおいしかった。主食のコメは中
国産を使っている。日本産にはかなわないものの、圧力釜を使ってそれなりにうまく
食べられる。

時々そのコメを使って昼の弁当を作るのだが、低温のため、食べるころには冷え切っ
て硬くなっている。それでも全員が残さず食べるというのは、この食糧係の僕が提供
するおかずが絶妙にみんなの食欲をそそらせるからだろう。

それにしても、新疆の果物はおいしい。道々食べたラグビーボールのようなメロン、
ハミウリは絶品だった。もう、生の果物は食べ尽くしてしまったが、そのおいしさは
ドライフルーツになっても健在で、ブドウ、イチジク、クルミなど日本のものよりは
るかにうまい。

ではまた、来週。 

2000年8月3日

◆7日から本格的登山
渡辺佳苗と仲間のチョンムスターグ日記5

8月4日 ベースキャンプ

ベースキャンプで休養をかねて荷物整理。朝、91頭のロバのうち不要になった46
頭とロバ方10人が帰るのを見送った。山田隊長ら3人は、前進ベースキャンプ予定
地(5250メートル)を往復。
 220キロの道のりを荷物を運んでくれたロバたちも久しぶりに鞍をはずし、のん
びり草を食べる。その背中は荷ずれで皮が破れて痛々しい。尻の肉も落ち、太ももに
しわが寄って、彼らにとってもつらいキャラバンだったことが分かる。

5日 前進ベースキャンプ

前進ベースキャンプを設営。5700メートルまで登り、上部ルートを偵察。技術的
な問題もなく、第1キャンプを6000メートル付近に建設できそうだ。

6日 オフ

5日の行動で学生らに疲れがたまっていることが分かったので、完全な休養日とし
た。雲一つなく、これまで最高の天気だ。もったいないが、あせりは禁物だ。明日か
らいよいよ本格的な登山開始だ。

◇新疆のニンジン◇
春野一彦(2年、総務・医療)

先発隊がオアシスの町ホータンで購入した野菜のうちニンジン、タマネギ、ジャガイ
モなどは、麻袋に入れられ、ロバの背で揺られて、ここ標高4850メートルのベー
スキャンプに着いた。3週間たったいまも我々の食卓に上がる。

新疆の野菜はうまい。特にニンジンがいい。口に含むと、ほのかな甘みがいっぱいに
広がる。

けれどもこのニンジン、見た目はおよそニンジンらしくない。赤くないのだ。黄土色
で調理すると黄緑色になり、あまり鮮やかな色とは言えない。通常、ニンジンが料理
に彩りを添える役割はほとんど果たされていない。しかし味は絶品なのである。

登山隊の連絡官のヌルさん(34)によると、新疆にも赤いニンジンはある。あえて
黄色いニンジンを選ぶのは、味が格別にいいからだそうだ。確かにこのニンジンに
は、素材の味そのもので、人をうならせる力がある。

コックのデルシャットさん(25)が作る、たいした味付けもしていないニンジン粥
を2杯も3杯もおかわりしたくなるのは、ひとえにこのニンジンの味のためだと私は
思う。

さらにヌルさんに言わせれば、日本の野菜は非常にまずいという。彼は今年3月まで
1年間、東京に日本語の研修のため留学していた。

言われてみれば、スーパーや八百屋に並ぶ日本の野菜は見栄えはしても味に感動する
などということはほとんどない。もしかすると、飽食の国に生まれた我々よりも、オ
アシスのあふれる陽光で育つ野菜に恵まれた新疆の人たちの方が、ある意味でずっと
豊かな食生活を営んでいるのかもしれない。

◇チョンムスターグのアプローチ事情◇
隊長 山田新

チョンムスターグへのキャラバンルートの最高点クジルアット峠(5068メート
ル)の手前で奇妙なものを見た。

一辺が1.5メートルぐらいの鋼鉄の四角いタンクや緑のペンキの塗られたパイプ、
ストーブなどの生活用具が荒涼とした山中に放置されていたのだ。

新疆登山協会連絡官のヌルさん(34)によると、1997年に寧夏省のグループ
が、トラックでチベット側から遙か西のケリヤ峠を越え、チョンムスターグの麓であ
るケリヤ川上流域を突破して、砂金の盗掘に来たのだという。

放牧に来た牧民の通報で当局に摘発されたそうだ。ということは、彼らはトラックで
クジルアット峠も越えたことになる。

7000メートル近いチョンムスターグが未踏峰で残されていたのは、接近困難が最
大の理由だろう。

初めて登頂を狙ったのは、88年の京大隊だ。崑崙山脈西部の峠と新疆、チベットを
結ぶ軍用道路・新蔵公路で越え、西チベットの道なき高原をトラックや四輪駆動車で
走破した。しかし、悪路に阻まれ、ケリヤ峠に達したのがやっとだった。

ヌル連絡官によると、その後、94年にスイスの偵察隊がホータンから車で1日行程
の村・ポルーからケリヤ川上流域へ入ろうとしたが、失敗した。さらに翌年、スペイ
ンの偵察隊が京大隊ルートを車でたどり、ケリヤ峠を越したところで退却した。

チョンムスターグを登山目標に決めた私たちは、昨年5月、まずポルールートから偵
察隊を出した。標高5000メートルの高原砂漠を行くキャラバンに、ロバの消耗が
激しく、厳しい偵察行となった。

ケリヤ川上流域に外国人として戦後初めて入ったものの、ベースキャンプ予定地にた
どり着けず、ガスの切れ目にチョンムスターグと思われる山の写真を撮っただけに終
わった。この結果に、本隊の派遣の自信を持てなかった私たちは、昨年9月、今回の
カラサイルートをたどる第2回偵察隊を出し、チョンムスターグの麓まで到達した。

実は、解放軍が70年代に作ったチョンムスターグ周辺の10万分の1の地図には、
ケリヤ川上流に沿うルートについて「5−8月、時速15キロで車の走行か」と印刷
されている。確認していないが、京大隊もおそらく、この情報に基づいてアプローチ
の手段に車を採用したのだろう。

私たちがロバによるキャラバンという、100年前と変わらぬ手法にこだわったの
は、京大隊の失敗に学んだのが第1の理由だ。車という機械力に頼るよりは、変化の
激しい自然を相手に、より柔軟で、応用がきくと考えたからだ。

実際のロバのキャラバンは、この夏の記録的な多雨による川の増水で、厳しい渡渉を
強いられるなど、苦戦した。それでも外国人として102年ぶりにチョンムスターグ
の麓に到達できた。ロバの奮闘に感謝しなければならない。

ところで、私たちがクジルアット峠を越えるあたりから、ルート上に車のわだちが
くっきりと確認できるようになった。最近、車で通った者がいる。さらに峠を越え、
ケリヤ川源流のもう一つの支流を渡ったヤトーコーガンに、数張りのテントがあり、
5、6人の男がいた。

そばに日本製の四輪駆動車と「北京ジープ」、ラクダ2頭もいた。聞けば、江沢民政
権の「西部大開発」の号令に基づく崑崙山中の資源調査なのだという。今回、増水で
車を5台流されたとも聞いた。それでも現に車でこんな奥地まで入っている条件に恵
まれれば、車でケリヤ川源流域に入ることができるのだ。

地上に残された数少ない秘境も、車の利用で、人臭い地域になる日が近いかもしれな
い。
2000年8月6日

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