チョンムスターグ日記 1〜3

◆ホータンのバザールで 渡辺佳苗のチョンムスターグ日記1

こんにちは。早稲田大学山岳部3年で主将の渡辺佳苗です。ことし創部80周年の記
念登山をすることになり、遠征隊に現役の学生5人も全員参加することになりまし
た。きょうから、私たちの登山の模様を衛星回線を使ってできるだけ頻繁にお届けし
ます。
       ◇        ◇

きょう(7月20日)、中国新疆ウイグル自治区のウルムチからホータンに飛んだ。
北京などの大都市とは全く雰囲気が違う。タクラマカン砂漠の南の縁に沿ったシルク
ロードのオアシス都市だ。この地に住むウイグル族の人たちの彫りの深い顔を見てい
ると、ああ、異国の地に来たのだなと、自分が旅行者であることをしみじみと感じ
る。

午後、キャラバンに必要な物を買い出しに出かける。ウイグルの人たちが私たちに向
ける好奇の目にはじめは少し戸惑った。しかし人が多く集まるバザールを歩き、少し
ずつなじむにつれ、おどおどしていた自分に気がついた。素直にそのままそこにある
空気を楽しめばいいのだ。自分を飾ったり、恥ずかしがったりする必要は全くなかっ
た。現地の人とのやりとりがとても楽しい。

バザールはとてもにぎやかだ。ウイグルの人たちの生活がそのままそこに集結してい
る。色とりどりの布やスカーフが並ぶ一画を過ぎると、食料、米やトウモロコシを売
る場所になり、大きな袋にいっぱいのお米がおいてある。その横に食料を入れるため
の袋も売っていたので、キャラバン中に野菜を運ぶための麻袋を購入。新疆登山協会
から派遣された連絡官のヌルさんに通訳をしてもらって、どうにか買うことができ
た。その間、私たちのまわりに人が集まって人だかりができた。私たちがとても珍し
いらしい。

大きな荷台にラグビーボールのようなハミウリがいっぱい載っていて、人が集まって
いる。どうやらおいしいらしい。ヌルさんが一つ買ってくれて、そこにいたウイグル
族のおじさんがナイフで切り分けてくれた。新疆名産のメロンで、少し時期が早くや
や歯ごたえがあるが、ほのかに甘くておいしい。

雰囲気に、ようやくなじんだころホテルに戻る時間になってしまった。だが、旅のこ
つを少しつかんだ。キャラバン、登山と私たちの旅はこれから始まる。私たちを待ち
受ける出来事がとても楽しみだ。 (2000年7月20日asahi.com)

◆濁流を前に停滞 渡辺佳苗のチョンムスターグ日記2

現地からの第一報をオアシスの町、ホータンから送った後、長くごぶさたしました。
実は第二報を送ろうと準備した直後、パソコンが故障してしまったのです。故障は重
症で、現地では修理不能。残念ながら写真は送ることができませんが、文章だけは衛
星電話を使ってお届けするよう努力します。

     ◇     ◇

7月23日 キャントカイ――カラサイ

西域南道の交通の要衝、ニヤ(民豊)から四駆で1日行程の農村、キャントカイが
キャラバンの出発点だ。登山隊の荷物を運ぶロバとロバ方たちが、朝暗いうちから私
たちの泊まった民家に集まってきた。見物の村人たちも多くて大変な騒ぎとなった。

2時間ほどで、荷物をつけ終わり、いよいよ出発する。12人の隊員、連絡官ら3
人、17人のロバ方に、乗用を含め90頭のロバが200キロ、10日間の行程で
ベースキャンプを目指す。

ロバに初めは乗りにくく、少しお尻が痛かったが、だんだん慣れてきた。タクラマカ
ン砂漠から崑崙山脈に向かって緩やかに高度を上げる。グランドキャニオンのように
垂直に切り立った峡谷や、小高い丘の連なりのスケールの大きさに、自分の心も解放
されていくようだ。

7月24日 カラサイ――コシラシ

3500メートルのウレーシュ峠を越え、ネギチャック川とパシム川が合流するウイ
グル語でずばり「合流点」を意味する「コシラシ」に着いた。峠を越えるころから小
ぬか雨が続く。ロバ使いの親方、ヌルアホンさん(48)が「水量が多く、ロバが渡
れないのでここで泊まる」という。いそいでテントを張った。

7月25日 コシラシ 停滞

前日来の雨で、川はさらに増水し、濁流がゴーゴーと大きな音をあげる。今年は6年
ぶりの大雨だという。雨のおかげで草がよく育ち、放牧には最高のシーズンだとい
う。

周囲の山はぽっちゃりと丸く、山腹には、点点と緑の草が目立つ。前日、山の思いが
けない高いところにヤギとヒツジが放牧されていた。

朝から待機したが、霧雨が降ったり止んだりの状態が続きロバを渡すのが危険という
ことで、結局停滞した。 (2000年7月26日asahi.com)

◆徒渉に悪戦苦闘 渡辺佳苗と仲間のチョンムスターグ日記3

しばらくごぶさたしました。こちらの山中で2週間にわたって降り続いた雨は、6年
ぶりの大雨とのことで、私たちは毎日、川を渡るのに大層苦労し、日記を送る余裕が
なかったのです。今日から、早大山岳部の渡辺佳苗でなく、他の部員も交代で執筆す
ることにしました。したがって「渡辺佳苗と仲間のチョンムスターグ日記」と改題し
ます。今日の担当は、山田剛士(2年 装備)です。

 ◇   ◇

7月26日 コシラシ――クヤック

テント場の目の前の濁流を渡る。腰のあたりまで濡れる。流れが速く、それ以上の徒
渉を避けるため、ロバ方さんたちと一緒に、河岸段丘にロバの上がれる道を作った。
全部のロバを通すまで2時間かかった。

27日 クヤック川徒渉

広い河原に濁流が何筋も泡を立てている。右岸から左岸に人とロバを渡すのに丸一日
使ってしまった。

濁流で足元が見えない。流れる大石がすねにあたって痛い。深みで流されそうになる
と本当に怖い。テントは結局、直線距離で600メートル動かしただけだ。体や着物
が濡れて気持ちが悪い。

28日 クヤック――ヤールックサイ

クヤック川に合流するセルズルック川を渡れず、河岸段丘を何キロも迂回した。割合
簡単な徒渉で対岸に移り、段丘の上を行く。

ロバを連れた4人の男たちとすれ違った。2日行程ほど上の金鉱で砂金掘りをしてい
たが、雨続きで全然仕事にならなかった、という。こんな場合、金が採れても採れた
とは言わないだろう。それにしてもたくましい山の男たちだ。

――徒渉のこつ――

散々てこずった徒渉のことを書いてみたい。昨秋偵察した児玉茂OBの報告には徒渉
が大変などとは全然書いていなかった。おそらくちょろちょろの流れで、何の問題も
なかったのだろう。我々の場合は、毎日雨が降り、川は土色の激流となって行く手を
阻んだ。

人が何とか渡れる位の深さは、ロバにとっては相当厳しい。腹が水につかって流され
やすく、背負った荷物が水につかるのが困る。だいたい人間のひざ上まで水があると
馬方さんはゴーサインを出さなかった。

馬方さんもマイペースで、水が減ったのを見てからロバに荷物を積み始めるため、出
発できるころには、また水が増えていらいらさせられることもあった。日本人とは時
間の流れ方が全然違うのだなあと痛感させられた。

ここで徒渉のこつをお教えしたい。

あなたも長い人生で一度くらいは川を渡ることがあるかもしれない。ないか……。

まず、深みの見極め方。波があまり立っていない所は、たいてい深い。川面が泡立っ
ているような所は、一見危なそうだが、実は浅い。どうしても深みを渡らねばならな
いときは、上流から下流へ歩く。流されつつ前進する感じ。上流に向かって歩くの
は、水流に押されて難しい。あふれる水面を見ることになってとても怖い。

また、一人づつ渡るよりは、多人数で肩を組んで渡ったほうが、安定する……、と大
まかに言うとこんな感じだ。もし、あなたがどうしても荒れた川を渡らねばならなく
なった時は、このことを思い出していただけたら幸いだ……。そんなことはないと思
うけど。 (2000年7月30日asahi.com)

ACHP編集部

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