ゆうしないしんのうけのきい
祐子内親王家紀伊

   ●(生没年不詳)
    裕子内親王家に仕えた小弁を母に生まれたこと以外詳しいことはわかっていません。
    諸説では、藤原師長の娘で、堀河院御乳母典侍紀伊三位師子と同一人物とも言われ
    他には、平経方の娘、源忠重の娘。紀伊守藤原重経(素意)の妹とも妻とも言われています。
    御朱雀天皇の第一皇女裕子内親王に仕え、一宮紀伊とも呼ばれました。天喜四年(一〇五六)
    『皇后宮寛子春秋歌合』から永久元年(一一一三)の『定通歌合』まで数度の歌合に参加して
    います。
    この和歌の詞書には、堀河院の『艶書合』で詠まれた歌です。『艶書合』とは宮廷の歌人に
    口説きの歌を女房に送らせ、女房からの返歌、ついでに女からの恨み言と男の返歌という
    組み合わせでそれぞれ歌の技巧を争った遊びです。

   ●この和歌は『金葉集』恋下・五〇一に収められています。






[百人一首へ]