きのつらゆき
紀貫之

   ●(八六八頃〜九四五年)
    紀望行の子で、三十六歌仙の一人に数えられます。
    大内記、加賀介、美濃介を歴任し、延長八年土佐守となりました。
    承平四(九三四)年十二月に任地を離れ、承平五年二月に帰京するまでの五十日間の
    見聞を綴ったものが『土佐日記』(承平五年成立)です。
    
    紀貫之の和歌は現在一千首あまり現存していますが、その半数が皇族や大貴族から依頼されて
    作った屏風歌です。屏風歌は当時の寝殿造の家屋では必要不可欠な家具であり装飾でした。
    一流の歌人と画家が、それぞれ歌を詠み絵を描くわけですが、貫之は売れっ子の歌人だったと
    言えるかもしれません。

   ●この和歌は「初瀬にまうづるごとに、宿りける人の家に、ひさしくやどらで、程へて後に
    いたりければ、かの家のあるじ、かくさだかになんやどりはあると、いひいだして侍りければ、
    そこにたてりける梅の花を折りてよめる 貫之」とあります。

    貫之は長谷詣でをするときの定宿がありました。しばらく詣でてなかったので、久しぶりに
    訪れてみたら、宿の主人に「あなたはこちらの方にいらっしゃらなかったけれども、相変わらず
    お待ちしておりました」と言われたときに返した歌です。

   ●この和歌は『古今集』春上・四二に収められています。






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