わからのさだいじん
河原左大臣
  ●(八二二〜八九五年)
   河原左大臣は「源融」のことで嵯峨天皇の皇子として生まれ、
   「源」の姓を賜り臣席に下り、左大臣従一位となりました。
   六条河原の院に住んで風雅な生活を送ったので 、
   「河原の大臣(おとど)」と呼ばれました。

  ●庭作りが趣味で、六条河原の院の庭は鴨川の水を引き込み、
   毎月三〇石の海水を難波の浦から運ばせて 陸奥国の塩釜(千賀?)の
   塩屋を模した建物が作られて汐焼きを楽しんだと言われています。
   宇治にも同じような贅沢な別荘を造り、これは後の平等院になりました。
   また嵯峨の清涼寺(釈迦堂)も源融の別荘の跡だと伝えられています。

  ●この和歌は『古今集』恋四・七二四に「題知らず」として収められています。






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